Diary


today's diary
Last week's diary

1月3日
私の足元にある小さな土地。
私の周囲にある小さな世界。
年を追うごとに土地が広がる。
年を追うごとに世界が広がる。
一番古い記憶はアパートの前の道。
一番遠い記憶にあるのは家族の顔。
アパートの前の道は、外へ外へとのびていった。
家族の顔以外にも様々な顔が加わっていった。
私の足元にある小さな土地は見たこともない土地につながっている。
私の周囲にある小さな世界は大きな世界へとつながっている。
家の前の道から、幼稚園へと通う道へ。
幼稚園の頃はその周囲が私にとっての全ての世界。
その時に遊んでいた土地が私の生活圏。
それが小学校に通いだすと、世界が広がった。
世界が広がったら生活圏も広がった。
そうやって、少しずつ、私の足元の土地は広がる。
そうやって、少しずつ、私の生活圏も広がる。
こうやって、少しずつ、少しずつ、私の足元の土地がのびていくと、
こんな小さな町も他の国の小さな町とつながっていることに気付く。
戦禍に逃げまどう人達の住む街も私の町につながっている。
私がいて、私の足元に土地がある。
私がいて、私の生活する世界がある。
私の下に土地があって、遠くへ、遠くへとのびている。
私の周囲に人がいて、もっと、もっと多くの人に想いがいたる。
だから私はどこかも知らない土地でも好き。
だから私はどこかに住んでいる見知らぬ人が好き。
だって、私は私が好きだから。
私と同じように生きている人達が住む土地が好き。
私と同じように小さな世界に住んでいる人達が好き。
どこに住んでいようとも私は私。
私がかつて住んでいた土地、今住んでいる土地、これから住むかもしれない土地。
それらの土地に住んでいる見知らぬ人達。
それらの土地に育つ文化。
たとえそれが自分と違うものであっても、その中に自らを置いてみたい。
そこに同化するのではなく、「私」として溶け込んでいきたい。
だって、そこは私が生まれ育った土地の延長線上にあるのだから。
そこには私が生まれ育った世界にいた人達の延長線上にある人がいるのだから。
私は自分を否定したくない。
だから相手を否定したくない。
私は自分の中にある全てを認めていきたい。
排斥したり、逃げたりするのでなく、
それを認め、飲み込み、自分の一部として、全ての延長線上に置いていきたい。

今日も、どこかで、会ったこともない人達が普通の暮しを営んでいる。
見たことも、聞いたこともない町のどこかで。
これらの人達に、これらの土地に、沢山の恵みがありますように。
世界中の全ての土地、全ての人が同じように生きていけますように。
私の足元から四方八方へと延びる土地。
その土地の上に住む、会ったこともない、私の遠い周囲を囲む人達。
国境や国籍を越え、人種や民族を越え、文化や宗教を越え、
世界中の人達を自分の仲間と思いたい。
たとえ生まれた土地以外のところに住んでいても、
根無し草でなく、「私」と、その足元にある小さな土地を中心に
全てのものを認め、愛し、生きていきたい。

そんなことを思う1999年の正月であった。


1月4日
土地、人、文化、社会...。
これらの要素について今、考えています。
子供の頃から、どういう訳か日系人に興味がありました。
日本人から日系○○人となり、○○人と呼ばれるまでの変遷。
たとえば、同じ日系人でも日系アメリカ人、日系ブラジル人、日系ペルー人では別の文化を持ちます。
また、同じ日系アメリカ人でもカリフォルニアに住む人達と、ハワイに住む人達では若干の差があるようです。
今、読んでいる本はブラジルの日系人についてです。
彼らが日本人から日系ブラジル人となり、そしてブラジル人へと変遷していく過程です。
一人の人の中でも「日本人」になったり、「ブラジル人」になったりします。
ましてや一世と三世では祖父と孫であっても外国人並に違う感性を持ちます。
それは、「外国人」というか「異文化人」になってしまったからでしょう。
自らの根っこがあった国の文化を、移り住んだ土地の文化の中に上手に溶け込ませていった人達。
彼らは日本人の血統を引いてはいるけど、既に日本に住む日本人とは別の人種になっているのです。
それを私は「起点」とか「基軸」という風に考えます。
日系一世の起点は日本です。
でも、基軸は日本から動き、別の国へと移動したのです。
起点と基軸の間で彼らは揺れ、自分達の道を模索しました。
二世の起点は親の移民先でしょう。
しかし、だからといって素直に基軸をそこには置けない。
やはり、親の揺れの影響を受け、起点である「自分の国」と、親の国との間を基軸は行き来します。
このことを考える時に、いつも思い出すのが第二次世界大戦中に登場した442部隊とノーノーボーイズと言われた人達です。
アメリカ国民でありながら、日系人であるという理由で強制収容所に送られ、そこでアメリカに忠誠を誓うか否かの決断を迫られた日系二世の男性達。
自らをアメリカ人と信じて疑わなかったにもかかわらず、「母国」から「敵性外人」扱いされ、失望した青年の中には「忠誠を誓わない」を選んだ人達がいました。
彼らがノーノーボーイズ(No No Boys)です。
彼らは日本軍に捕虜として捕まったアメリカ兵との交換要員として使われました。
一方、忠誠を誓うを選んだ青年達はアメリカ合衆国の兵隊として前線に赴きました。
アメリカ軍史上、最も勇敢で、最も死ぬことを恐れず、最も死傷率の高かったと言われる伝説の部隊442の兵隊として彼らは主にヨーロッパ戦線へと赴きました。
ドイツ軍に包囲されたテキサス州の部隊を救助するために向かった442部隊の日系アメリカ兵達は、奇跡とも思われる方法でテキサス部隊を救助しました。
しかし、救助に向かった日系アメリカ兵の人数の方が、包囲されていたテキサス部隊よりも減っていたというのです。
彼らは自らの肉体と生命をもって、次の世代に「拠り所」を与えたと言えるでしょう。次の世代、すなわち日系三世、四世です。
日系二世は「自分達日系アメリカ人は日本にルーツを持つが、既にアメリカ人である」と自らの肉体と生命をもって証明したのです。
ハワイが州に昇格したのは、日系部隊の功績が大きいと言われています。
この二世の「揺れ」を経て、現在の日系アメリカ人の三世、四世が存在します。
彼ら三世、四世は既に日本にルーツを持つアメリカ人になっているでしょう。
起点も基軸もアメリカにあると言えます。
ただ、遠い遠いバックグラウンドとして、日本文化が親や祖父母を通じてあるだけです。
アメリカで日系四世の少女に出会いました。
彼女の先生が「あなたの曾祖父ちゃんの国の人ですよ」と言うと、うれしそうに微笑みました。
でも、それは「身内」としてではなく、さながら、私が行ったこともない祖父の生まれ故郷の人に出会ったかのような態度でした。
こんなことを考えている時に、ふと思うのが台湾にいるおじいちゃん達のことです。
第二次世界大戦中に日本軍に志願兵としていった人が沢山います。
この人達と、アメリカの日系二世部隊が、どことなく重なるような気がするのです。
自分達の同じ血統の人達や、次の世代のために、自分達の肉体と生命をもって、「母国」に自分達の仲間を認めてもらおうとしたような感じがするのです。
以前に出会ったおじいちゃんは「金なんていらないよ。そんなものをもって冥土には行けない。最後の意地を吐いているんだよ」と言っていました。
おじいちゃん達が、その時に「母国」として忠誠を誓った国は敗れ、おじいちゃん達の「母国」ではなくなりました。
だけど、おじいちゃん達がその時に「台湾の次世代のために」と肉体や生命を賭けて何かと戦った気持ちは本物だと思います。
「母国」の「敵国」と戦うだけでなく、別の「何か」とも、442日系アメリカ兵部隊も、台湾の日本兵だったおじいちゃん達も戦ったのではないかと思うのです。
442部隊は「母国」の勝利によって、自らの「基軸」を固めると同時に、次世代の「基軸」もアメリカにきちっと移すことができました。
しかし、台湾の日本兵は「母国」の敗戦により、自らの基軸も否定され、次世代には全く自分達とは異なる基軸が与えられてしまったのです。
台湾の元日本兵のおじいちゃん達が、あの時に、肉体や生命を賭けて戦ったのは、いったい何だったのだろうと考えてしまいます。
でも、おじいちゃん達はめげていません。自分達の歴史を語り伝えていこうとしています。
基軸を否定され、次の世代に受け継がせることが出来なかったおじいちゃん達ですけど、その基軸にどうして自分達が置かれたかということをおじいちゃん達は伝えていこうとし始めています。
私の言う基軸は、別の言葉で言うとアイデンティティになるかもしれません。
これを話しながら、いつも立体図を描いています。
ちょうど平たい面の中心に棒を突き立てた感じです。
上の代から続く「血」や「伝統」がその棒。
平たい面が土地であり、地域社会であり、地域文化であり、環境であるのです。
平たい面はどんどんと外へと延びています。
棒は基軸です。
最初は起点と基軸は同じ点に置かれます。
それが、何かの弾みでちょっとズレるとします。
そうすると、起点と基軸がズレたことになります。
今の私も、ちょうど日系一世の人のような状態になっているのかもしれません。
起点と基軸が微妙にズレているのです。
そしてその間をゆらゆらとしている。
それを「気の毒に」とか「可哀相に」と思う人がいるかもしれませんが、私はそうは思いません。これは当たり前のことなのですから。
別の土地へ移動すれば、その土地の生き方があります。
それに則って、少しずつ、自分の生き方も変わってくるでしょう。
変わらない方が大変ですから。
どう変わっていくかは解らないけれど、でも悪いことではないのですから。
まさか子供の頃から興味のあった「日系人」と自分が似たような状態になるとは夢にも思っていませんでした。


1月5日
言ったもん勝ちなんだろうか。
言わなければ歴史の中からも抹消されてしまうんだろうか。
そんなことを考えた。
歴史の中に書き加えられていないことは沢山あるだろうけど。
今、私が目の前にしている歴史の本にしたってそうなんだろうな。
100年後の人達が目にする歴史の本には今の時代はどう描かれるんだろう。
今、口にした人達の言葉は残り、沈黙を守った人のことは忘れられていくんだろうか。
そんなもんなんだろうか。
歴史の本って語らない人の言葉を切り捨てていくんだろうか。
歴史の裏を描くなんて大層なことは思わない。
でも、色々な人の歴史を肯定的に受け止めていければいいなと思う。
ひとつひとつの歴史は違うだろうけど、でも否定したくはない。
風の中に漂う声にも耳を傾けたい。
静かに、静かに去っていった魂の声にも耳を傾けたい。



 

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