昼休みも終わり、午後の講義が始まっているので、学院の真ん中に位置するカフェには生徒の姿はほとん
どなかった。
大学部の学生が何人か集まり、テーブルを囲んでレポート作成をしているぐらいだ。
ときおり、笑い声が聞こえてくる。
その光景を見ながら、理事長は口元に笑みを浮かべた。
昼食の後、カフェで過ごすのが、理事長の日課らしい。テラス席の一つ、丁度、全体が見渡せる場所がお
気に入りの席だ。
屋根付きなので、雨の日でもここで過ごすことが多い。
彼が優雅な動作で髪を掻き上げると、やや癖のあるプラチナブロンドが輝く。
ウェイトレスが、テーブルの上に二人分のケーキと紅茶を置いて立ち去った。
「おや、チョコレートシフォンは嫌いだったのかな?」
目の前に座っている者に話し掛けながら、理事長はシフォンケーキを口元に運ぶ。
「ここのケーキは、甘みが控えめで美味しいのに…全然手を付けないじゃないか。」
もったいない、というような口調で、話し掛ける。
学院のカフェのケーキは外の人間が買いに来るぐらいだから、かなり有名なのだろう。
向かいに座る教頭は、その声に少し眉を顰めた。
「別に嫌いだとはいってないぞ。」
フォークを手に取り、一口運ぶ。
「…こんな時間に呼び出して、何の用だ、ルゼーブ?」
低く、相手に問い掛ける声には、ややトゲがあった。
「そんなに拗ねなくてもいいじゃないか、アシュラム。」
相手の端正な顔を見ながら、ルゼーブは少し意地悪く答えた。
「別に拗ねてなどいない。」
「ふふふ…可愛いね。」
目を細め、からかうように声をかけた。
「男に可愛いと言われる筋合いはない。貴方に言われると、なおさら気味が悪い。」
アシュラムは視線を外し、紅茶を一口啜る。
「私から見れば、君は息子のようなものだよ。初等部の頃から知っているからな。」
昔から人形のように綺麗な子だったから、印象に残っているんだよ、と付け加えた。
彼は少しムッとした顔で、ルゼーブを睨んだ。
黒瞳が、鋭く光る。
「綺麗だと誉めているのに。そんなに怨まれるなんて心外だな。」
「貴方がいうと、何か裏がありそうだ。」
「こんなに素直な性格をしているのに?」
忍び笑いを漏らしながら…だが、目は少しも笑っていなかった。
この人は時々、子供のような表情をしてみせる。
確か、初等部6年に一人娘が在籍している筈だから、ある程度、年を取っているのだろう。しかし、自分
の知る限り、昔から全くといっていい程変わらない。
年齢に関して様々な憶測が飛び交っているが、学院関係者ですら理事長の実年齢を知るものは少ない。
「どこが素直だ…」
教頭は彼に対して呆れた口調で言うと、苦笑した。
「私は16時から会議があるのだ。用がないなら帰らせてもらう。」
「まだ2時間近くある。たまには一緒にお茶をしてくれてもいいじゃないか。」
「…それだけか?」
「何か不都合でもあるのか?」
ルゼーブは半分まで食べたケーキの皿を脇へ置き、少し身を乗り出してきた。
「大丈夫、浮気したうちに入らないから、安心しろ。」
その言葉に、アシュラムは飲みかけていた紅茶を吹き出しかけ、思わずせき込む。
「…何だそれは。」
手にしていたカップを置き、やっと落ち着くと、不機嫌な声で返した。
「私だって姪を悲しませるようなことはしたくないし…って、やだな〜、そんな顔をしないで。折角の美人
が台無しだ。」
「………。」
「あの子と帰りも一緒らしいね。職員用の駐車場で何度か見かけたけど。」
ルゼーブは皿を手元に寄せると、ケーキをフォークで分けながら言った。
「…テスト前になると、勉強を教えているそうじゃないか。おかげで成績もかなり良いし。」
意味深な顔で、口元を歪めて笑う。
「何が言いたい?」
「あんなに可愛い彼女を持って、何が不満なんだ?」
カタン、とフォークを皿に置き、アシュラムの左手に手を伸ばし、その薬指に光るリングに触れる。
シンプルなデザインの細身のプラチナリング。
確か、同じものを彼女が持っていたな、と思い出す。
「いい加減、手を離してくれないか?」
いつまで人の手を握っているんだ、と抗議するような口調。
「失礼。」
小さく笑い、彼の手を離す。
「…別に不満はないぞ。」
「そういうことにしておいてあげようか。何かあったら教えなさい。」
何時の間にか、空になった皿を端に寄せた。そして、テーブルに肘をついて組んだ手に顎を載せた。
「何故、貴方に教える義務がある?」
「義務はないが権利はある。この私が相談にのってあげよう。」
口元に笑みを刻みながら、そう答えた。
アシュラムは、彼の事を、相変わらず心の底が読めない人だ、と思った。
「…おや、高等部の授業が終わったようだね。」
ルゼーブが視線を向けた先には、夏服姿の高等部の生徒が校舎から出てくるのが見えた。
男子の場合、そのまま上着を脱いだだけの恰好だが、女子の夏服は白いセーラー服に変わる。
「では、私は退散するとしようか。邪魔者にはなりたくないし。会議までは時間があるから、ゆっくり寛ぐ
といい。」
そういいながら、ルゼーブが席を立ち、勘定をテーブルに置いて去ろうとした時、ピロテースが来た。
「こんにちは、伯父様…あ、ここでは理事長とお呼びするのでしたね。」
上品な仕種で挨拶すると、テーブルに座っている教頭にも挨拶をした。
ルゼーブは自分が座っていた席を彼女にすすめて、立ち上がった。
「授業が終わったらここに来るようにって、伝言ありましたけど…?」
彼女は、そのまま席につき、理事長の方を伺う。
「いや、後で話そう。」
ウェイトレスを呼び止め、ケーキセットを一つ追加すると、彼はそのまま去っていった。
仕組まれたことに気付いたアシュラムは、軽く舌打ちした。
「やられた…」
ただ事情を飲み込めていない彼女は、不思議そうな顔をした。
「…どうかしました?」
「いや、何でもない。」
そして、冷めてしまった紅茶に口を付けた。
「ふふふ…」
「何だ?」
「こうして二人で顔合わせるの、初めてだな、と思って。」
ピロテースは、花のような笑みを浮かべ、嬉しそうに話す。
確かに、校内ではあまり会う機会がない。特に用事がなければ教頭室に入ることもない。
昼食時も、会議等の都合があり、会えないことが多い。
「そうだな…」
アシュラムは、表情を和らげ、彼女に笑みを返す。
昼下がりに訪れた束の間の休息に、木漏れ日が、涼しげな影を落とした。