悔恨録 : 風はいつだってアゲインストだった

無知だった、愚かだった、頼りなくていい加減だった

でも誰でもない、私が一番私らしかった頃の話を少しだけ

主な登場人物

:主人公、情けない怠け者 :三馬鹿トリオの一人、広島は因島の生まれ。YはやくざのYではない。 :三馬鹿トリオの一人、野生児。怪しげな友達が多い九州男児。 Yさん:色白、凸凹のはっきりした美人。 Cさん:Yさんの友達。勝ち気な女の子。 Yちゃん:行き付けのスナックの姉御。Yさんの友達。 M先輩:私の良き飲み仲間。単なるお人好し

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第6部(51〜60) 第7部(61〜70) 第8部(71〜80) 第9部(81〜84)

第一(笑)寿荘の頃 :第四部

目次

第三十一話 「悲しみを分かってやれないことの淋しさ」

第三十二話 「ずっと側にいるからな」

第三十三話 「なんの事? どういう事?」

第三十四話 「なーんにも無くなった」

第三十五話 「丘の上の愛を聴く度に」

第三十六話 「義兄弟の思い出・九州への旅(1)」

第三十七話 「義兄弟の思い出・九州への旅(2)」

第三十八話 「義兄弟の思い出・九州への旅(3)」

第三十九話 「義兄弟の思い出・九州への旅(4)」

第四十話 「おい、おい、俺もかよ?」

第四十一話 「汗がポトリ。肩がピキッである」


第三十一話「悲しみを分かってやれないことの淋しさ」

名前も知らない娘の悲しさを聞いた。

Yさんは小さい時に結構重い病気にかかったという。それが原因で、「子供が産めないかもしれない」と医者に言われていた。そして、そのことがもとで婚約が解消されたという。十代の終わりのことだ。親の反対に遭い、どうしても別れなければならなかったようだ。
どうして、そんなことで別れなければならないのだろう。どうしてそんなことで婚約を破棄できるのだろう。そんなことなら好きになんかならなければいいんだ。きっと彼女もそう思っただろう。まだ、幼い彼女がどれほど傷ついたのか本当のところは分からない。傷つくことを恐れて何もしない私には、大好きなYさんの悲しみさえ分かってやれない。
そんなことがあって、彼女は恋に臆病になったという。きっと淋しかっただろうに。小さい時から、いやなことや、悲しいことがたくさんあっただろうに。それなのに、また。今になって、どうして。
でも、そんな彼女にもやがて新しい恋が芽生える。悲しい思い出があるから、彼女は消極的だったようだが、子供が出来ないこともすべて知ったうえで付合いたいと言われ、やっと彼女も閉じていた心を開いた。
でも、結局その恋も婚約破棄という最悪の結果で終わる。二十代の初めのことだ。私と出会うちょっと前のことだ。失恋の淋しさを私の空元気が少しは慰めていたのかもしれない。
子供が産めないかもしれないということは、それ程に大きい問題だった。少なくとも二人の周りの人にとっては。そして、周囲を説得することも、周囲を無視することも若い二人には出来なかった。そういうことだと思う。結局傷ついたのはYさんだった。どうして、同じ辛さを二度も彼女に与えたのだろう、彼女は哀しい思いをどうやって受け止めてきたのだろう。

こんな話をされて、男は何をすればいいのだろう。何も出来ない。好きになることしか、出来ない。私が幸せにしてやろう、不覚にもそんなことを考えてしまった。
「でも、彼女、俺のこと、好きじゃないんじゃないかな、、、」
「だって、一回も家に送らしてくれないよ」それは本当だった。何度か家まで送るといったことがあるのだが、近いからとか、慣れてるからとか言われてうまくはぐらかされていた。
「それは、多分、あの娘…」 やはり子どもの時の病気のせいで少しだけ左の足が悪いらしい。言われなければ気づかない、実際に私はぜんぜん気づかなかったのだが、左右の腿の太さがちょっと違うという。酔うと少しだけ足を引き摺ることがあるという、それを彼女は結構気にしていて。
「知られたくないんだと思う」とYちゃんは言った。

そりゃないよ。何でも言ってくれよ。俺に頼ってくれよ。そう思った。何が出来るではない、何でも出来ると思っていた、それが間違いだと言う醒めた大人は私の周りには居なかった。
そしてアゲインストの風がそれを教えてくれまでそれ程長い時間はかからなかった。

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第三十二話 「ずっと側にいるからな」
Yさんが来た。

Yちゃんに「xxx君が話したいことがあるから」とその日のうちに店に呼び出してもらった。家に居た彼女は程なくやってきた。話したいことがあるといっても、何を言おうと考えていたわけではなく、行き当たりばったりだった。当たって砕けろ、ってなもんだ。
元気ないって聞いたからとかなんとか言った。その後ボソッと
「俺、Yさんのこと好きだから」
私の話はそれで終わった。いきなり、砕けている。自爆である。しかし、伝えるべきは伝えた。店にいる客は私たち二人だけだった。

「ありがとう」彼女はうつむきかげんにそう言った。気持ちが伝わったと感じた。少なくとも冗談で言ったのではない。君のことを真剣に考えているんだ、そう自分でも確信した。誰に何を言われようと彼女を幸せにしてあげよう、そんなことを考えていた。
二人で少し飲んだ、あまり遅くなれないとYさんは帰っていった。Yちゃんに急っつかれて、そこまで送って行くと後を追った。店を出てすぐの道でYさんを抱きしめた。そっと壊れ物を包み込むように抱きしめた。心が安らいだ。もう、大丈夫だよ。そう心の中でつぶやいた。俺がいるぞ。ずっと側にいるからな。
「彼女ー、大丈夫。助けようか」酔っ払いにからかわれた。どうやら、酔っ払いが女の子に無理矢理抱きついたように見えたらしい。酔っ払いに酔っ払いと思われるなんて、情けない。酔っ払いはお前のほうだー。
ここで、押さないでいつ押すんだ。そう一人突っ込みをするほど正気ではなかったのだろう。そのまま二人並んで川沿いの道を歩いた。この頃から急に酔いがまわってきた。実はこの後よく覚えていない。多分、第二話につながってゆくのだと思うのだが自信はない。なにしろずうっと違う日の話だと思っていたのだから。でもそう思わないと話がうまくつながらない。
でもそうなら、本当に私は碌でもないなぁと思う。幸せにしてやると誓った日にどうして「つり出し」をしなければいけないのだろう。どうして、その後そのままサヨナラしてしまったのだろう。

そして、その日が彼女とのサヨナラになった。私の幼い告白が私と彼女を遠ざけてしまうことになる。いつだったかは分からない。2年目の秋、10月の水曜の夜のことだと記憶している。

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第三十三話 「なんの事? どういう事?」

ちょっと興奮していた。

夜中電話して親に好きな人がいると言おうとしたりした。もちろん、実際は元気だの一声で電話を切ったが。なんかしゃんとしなければいけないような気がした。一人じゃないんだ。そんなとこだろうか。いやはや、気が早い。あれほど振られることが恐ろしかったくせに、一体どうしてしまったことだ。多分幼すぎた私には「ありがとう」の5文字に込められた複雑な思いが理解できなかったのだ。
拒否されないことは、すなわちイエスであると信じていた。もちろん、そんなわけはない。でも他にどうしようがあるというのか。遠からず結論は出るわけで、少なくとも嫌われてはいないわけで、もしかしたらうまく行くかもしれないわけで。ほーら、真剣に考えれば考えるほど気分が沈んで行くじゃないか。

いつものようにスナックに飲みに行った。でも不思議とYさんとは会わなかった。一回だけ店から電話を入れてもらった。Yちゃんに頼んだ。体の調子が悪いと言われた。ちょっと心配になった。「大丈夫かな」
「多分、大丈夫。ブルーデイだと思うわ」とYちゃんは言った。そうかそれなら心配ない「おなごは大変だのー」とまた飲んだ。「好きだ」と言った日からちょうど一週間後の水曜、3バカトリオで飲みに行った。水曜は残業無しの日なので早い時間からだ。
いつものスナック、いつもの2階、いつものメンバーだ。そこでYちゃんからメモを渡された。なんだ、「恋文かな?」とおどけて受け取った。そこには『Yさんのことは忘れなさい』と書いてあった。なんの事?
はっきりしなさいって言ったのはYちゃんじゃないか。どういう事?
「あたしたちが思っていたよりあの二人、深く付き合っていたの。ごめんね」…「もう遅かったの」
周りの評判が良くないこともあったからか、二人の付き合いについて彼女は正確な事を言わなかったようだ。だから誰が悪いわけではない。当たり前だ、そんな事は分かっている。問題は「ありがとう」の意味だ。本当は俺のことが好きなんじゃないか。本当は俺の方がいいんじゃないか。もちろん、そんなわけはなかった。あるわけがない。でも「ありがとう」って言ったじゃないか。それなのにこんな事?

うまく事態が飲み込めなかった。理解したくもなかった。Yが私を程なくそのスナックから連れ出した。Oはわけが分からず付いてきた。2軒目で飲み直しだ。付き合うぞとYは言った。なんだか知らないが俺も飲むぞ、とOが言った。飲むぞーと叫んだ。そして潰れた。かなり足に来た。腰にも来た。まっとうに歩けなかった。気がついたらまたスナックに舞い戻っていた。Cちゃんがいたのは覚えている。椅子を並べて横にしてもらい、バケツに吐いた。「どうしたの、xxx君どうしたの」そう心配そうにみんなに聞いているCちゃんの言葉をBGMにまた吐いた。
一緒にYさんのことも吐いてしまいたかった。苦しくて涙が出た。失恋の苦しさではない。無茶飲みの苦しさだ。失恋の苦しさは酔いが覚めてから襲ってきた。永遠に続くような苦しさだった。

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第三十四話 「なーんにも無くなった」

仕事は普段どおり続けた。

もちろん元気は無かった。ほとんど食事らしい食事をしない日々が続いた。ご飯の一粒も残さないはずの昼食もご飯を一口か二口、好きなおかずを一、二品で終わりである。非国民である。弁当を作ってくれる仕出し屋のおばさんに申し訳ないが致し方ない。食欲がわかないのだ。朝食は前から取らないし、昼食はほんのちょっと。夜は酒だけ飲んでいた。カロリーは足りていたんだろうが人間ちょっとやそっとじゃなんともならないものだと分かった。後年、「まるで高校生だな」と知人に言われた。二十三にもなってなにをやっているんだ。まったくである。でも、精神年齢は昔から幼かったこともあり、まあそんなものでしょう。

あの頃何を考えていたのか今となっては分からない。しばらくしてYさんと一度だけスナックで顔を合わせた。10日ぐらい経っていた頃だと思う。寂しそうに一人でカウンターに座っていた。三馬鹿トリオと一緒だった私は一人彼女の横に座り簡単な挨拶を交わした。「元気だった?」そう彼女は聞いた。「うん」こう私は答えた。俯いたままの短い会話だった。「おれ、あっち」の意味でYとOの方を指差し奥のテーブルに向かった。そして別々に飲んだ。出会う前の2年前の二人として。
Yさんはその後スナックに顔を見せなくなった。Cさんが一人でカウンターで飲んでいる。そして彼女となら前と変わらず馬鹿話が出来る私がいる。YもOもいる。でも、なーんにも無くなってしまった。そんな気がした。

幸せになれよ。そう言わなかったことで私は何かを失ってしまったのかもしれない。仕事帰り、アパートの前に私を待ってYさんが立っている、そんな思いを振り捨てることが出来ないでいた。

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第三十五話 「丘の上の愛を聴く度に」

「丘の上の愛」という浜田省吾の歌がある。

その美貌ゆえに多くの男に言い寄られるが「愛」を手に入れることが出来なかった女性が貧乏な学生と「恋」に落ち心の安らぎを得る。でも、結局丘の上の「おおきな家」に住むためにその「恋」を捨ててしまう。そして今更ながらに、丘の上から「恋」を捨て切れないと涙する。「愛」を美貌で買った女性の不幸を歌っている。そんな風に私には聞こえた。

この歌は私にとって、ずーと長いことYさんのテーマソングだった。この歌を聞く度Yさんのことを思い出した。そして少し恨んだ。
自分では時と共にYさんのことは許していると思った。そもそも好きにならなかったことに責任を感じる必要はない。当たり前だ。好きになるのが私の勝手なら、好きにならないのは彼女の勝手なのだ。分かり切ったことだ、と何度自分に言い聞かせたことだろう。でも、どうしても納得がいかなくて「好きでもないならどうして優しくしたんだろう」と繰り返していた。そもそも許すって言い方が身勝手だよね。

冷静に考えれば一人で舞い上がって一人で空中分解をしたようなものだが、幼かった私には許せない裏切りに思えた。何を約束したわけでもなく、何を伝えたわけでもない。彼女が私の気持ちに気付いていたわけでもなかったろう。彼女は自分の幸せを求めていただけなんだ。
今ならそれが分かる。ずっとそう思っていた。

それなのに「丘の上の愛」を聴く度に「悪い女だ」と思った。歌の中の女性がではない、Yさんのことがだ。
私の中で彼女はついこの間まで「悪い女」だったのだ。それに気付いた時自分の狡さや嫌らしさにショックを受けた。「いい人」だから振られたんだと思っていたのが根底から覆された瞬間だった。自分の好きな人の幸せを妬んでいたことの驚きだ。
彼女の新しい幸せを無理してでも祝ってやれなかったんだろうと今更ながら思う。「おめでとう、幸せになれよ」ってたった一言で良かったのに。その程度の優しさも持てなくて、なんで人を好きになったりするんだろう。それで男っていえるんだろうか。

自分が惨めで、悔しくて。愚かさに腹が立って、そんな自分が許せなくて。淋しくて、悲しくて、そしてずっと心にしこりが残った。あの時、絵に描いたような脇役の自分に我慢が出来なくて、意地でもピエロにはならないと誓った。愚かなことだった。
結局私は、あの時「ピエロ」にならないかわりに、その後ずっと「卑怯者」になってしまったのだから。

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第三十六話 「義兄弟の思い出・九州への旅(1)」
トントントン。軽やかである。春である。

寿荘の汚い階段を上がって(わざわざ汚いなんて言うこともないんだけど、なんとなく言っておきたいんだ)YとYの部屋に戻った。少し早いが二人で風呂に行って戻ってきたところである。飲んで泊まって銭湯に行ってまた飲み直そうというわけだ。するとOの部屋の前に見知らぬ男が立っている。知ってるか?とYを見たが、さあと肩をすぼめるだけ。Oには怪しげな友人がいるので、あまりかかわらないほうがいいかなと思ったのだが、持ち物から旅行者風であったこと、朴訥として垢抜けなかったことから
「Oはまだ戻っていないですよ」と声をかけた。「あっ、それは、、、」とかなんとか。留守であることは知っているようだった。当たり前だ。ドアをノックすればすぐ分かる。部屋を訪ねてきたけれど、Oは不在。さて、どうしようかと思案していたところなのだろう。「俺達、Oと同じ会社のものですが、良かったらOが戻るまで」と誘ってはみたものの「ありがとうございます。親切に」と丁寧に断られた。
そりゃ、そうだ。私はいいとして、Yは前にも書いたがちょっとまっとうな職業の人とは思えない人相・風体をしている。何をされるか分からない感じがする。いや、有体に言えば何をされても仕方ない感じといったほうが近い。それじゃってんでYの部屋に入り、風呂道具をサササっと片付けて、馬鹿話のひとつでガハハって笑って、さあ飲むぞとなった。

行き先はYのお気に入りの焼き鳥屋である。寿荘のすぐそばの小さな汚い焼き鳥屋である。この辺は何から何まで汚いのである。駅前のしゃれた商店街とは一線を画す、きたなだらけの一帯なのである。そこが何とも落ち着いたりするのである。勇んでドアを開けると、先ほどの男がまだ立っている。ぼーとしている。「あの、俺達すぐそこの焼き鳥屋に飲みに行くんだけどよかったら一緒にどうですか」怪しいもんじゃありませんの笑顔を精一杯振り撒きながら誘ってはみたのだけれど、やっぱり丁寧に断られてしまった。もしかしたら私達の方こそOの怪しげな友達と思われていたのかもしれない。確かに私はいいとしてYは、、、。
それじゃってんで見知らぬ旅人を寿荘に残して私達は一軒先の焼き鳥屋に行った。「ここがうまいんだ」とのYの言葉を聞きながら、たれと塩で定番の串を何本か、ビールを結構飲んだ。さあ、腹が一杯になった後は酒でも飲むかといつものスナックに行った。

そこではなんとOと先ほどの旅人が談笑しているではないか。なんだ、お前ら。「おー、来た来た」とOが手招きした。旅人はぺこりと頭を下げ「先ほどは」と言った。「なんや、もう知っとるのか」「おう、知っとるぞ、さっきアパートで会った」それなら話は早いってんで、まずは乾杯。それから自己紹介。ふむふむ、なるほど二人は幼馴染なのね。キミハルって言うのね。公務員なのね。研修で東京に来たわけね。Oと違って生まれ故郷で就職したのね。大体分かった。前に焼き鳥屋で一杯やってることもあって酔いは待った無しでやってきた。思考もぶつ切りになってきた。するってえとつまり、あなたさんのお住まいは、九州は熊本の片田舎、大字田舎、字田舎、電気も通っていないとうわさに高い片隅町三番地なのね。いつもOに言ってる性質の良くない冗談をぶちかましたりした。飲んでしまえばこっちのものだ。人類はみな兄弟なのだ。確かに旅人はいいやつであった。「気に入った」なんて声を張り上げて「義兄弟だ」なんてのたまった。「よかですよ、よかですよ」とキミハルは言った。「おおっ、よかか。よかか」と杯を交わした。簡単である。これで私達は友達になった。もちろんこんな馬 鹿なことをしなくても友達にはなれる。でも、こんな馬鹿なことは友達としか出来ない。そう気づいたのは、友が故郷に戻ってから大分経ってからのことである。

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第三十七話 「義兄弟の思い出・九州への旅(2)」

ゴールデンウィークである。

Oは九州に戻ると言う。「お前はどげんすっと」「どげんもこげんもあるか。何もせん」「なんもせんて、しょーがなかねえ」としょーもないことでは人後におちないOに言われた。そうは言われても、実際休みに何かするという感覚はなかった。計画をすることが億劫であった。準備をするのが面倒であった。この億劫・面倒は私の人生の生き方を解くキーワードである。実に単純・明快である。簡単である。奥が浅いとも言う。「遠くまで行って美味しいものを食べるぐらいなら近くのまずい食堂でいい」というポリシーで生きてきた。おかげで人生を狭くした。その分無理をしないで助かるのだが、色合いはまことに単調、淡色となった。もちろん、たっぷり後悔はしている。しかし、致し方ない。何しろ面倒なのだから。

「一緒に来るか」「行ってもいいか」「大人しくしとけよ」「馬鹿やろう、俺は常識人だ」話は決まった。こういう風に人生も簡単ならどんなにいいだろう。別に用意するものもない。今思い出すと土産も持っていかなかったような気がする。もちろん、Oがそんなものはいい、と言ったからだが。そう言われても、そうするかなあ。そうはしないよなあ、と今でも思う。その時だってそう思ったに違いない。でも、土産を選ぶのが面倒なのだ。これが欲しいって言ってくれれば、どんなに楽か。律義に生きようとすると本当に人生は疲れる。

向こうに行ったらキミハルとも会えるという。期待は高まるばかりである。旅自体は好きなのである。駅弁にビールがとても好きなのである。九州は修学旅行以来二度目、熊本は初めてだった。新幹線で一路九州は博多へ。いざゆかん、さあ飲まん。友よ、友、飲めや飲め。もう新幹線に乗った瞬間からナチュラルハイである。ビールもつまみもたっぷり有る。日本晴れである。ガタンと静かに、そして力強く新幹線は走り出した。ノンストップだ、超特急だ。しかし、実際は結構止まった。本当に超特急?だった。
そして困ったことに、飲めども飲めども一向に目的地には着かなかった。九州は遥かに遠かった。心踊る雰囲気も2時間が限度である。大阪を過ぎたあたりからは場所の感覚も無くなった。一体、どのぐらいかかるんだ。何?8時間。私のこの記憶は正しいのだろうか、本当にそんな長い間新幹線に乗っていたのだろうか、自分でも信じられない。やたら、日が長かった。落ち行く夕日を新幹線が追いかけていく。何時までも沈まない夕日を見ながら、綺麗だな、なんてぼんやり考えていた。もう、正常な思考が出来ないほど飽いていた。お尻も痛かった。始まったばかりなのに少しだけ後悔していた。まるでOと登った富士登山みたいに。ちょっといやな予感がした。

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第三十八話 「義兄弟の思い出・九州への旅(3)」

やっと北九州に着いた

ほんとにやたらめったら遠いんだ、九州って。そう思った。海を渡った、感慨はなかった。修学旅行の時の初心な幼さはとっくになくしていた。早く楽になりたいとだけ思った。とにかく飽きやすいのだ、私は。
ここで一泊した。多分Oの叔父さんの家だったと思う、もしかしたら兄さんだったかもしれない。どんな人だったかは忘れた。ただ、ここで生まれて初めてウイスキーの牛乳割を飲んだことは忘れない。薦められたときは言葉に詰まった。Oはなんとも無い風であったから、こちらの人にとっては何ということもないのかもしれないが、社会人になってから飲み始めた私にとっては奇妙奇天烈な飲み物と思われた。初心者なの優しくしてね、とかなりビビリながら一口飲んでみると、ウイスキーはウイスキーだった。悪くはない。酒の弱い人もこれならいけるんではないかと思った。なにしろ見方を変えれば牛乳は牛乳だったから。

怪しげなOの叔父さんはやはりかなり怪しげで、宗教論をOと戦わしていた。こちとらはそんな怪しげな会話には参加しない。聞いてるとも聞いてないとも知れぬ風に、静かにしかし確実に酔っていった。じわじわと疲れがにじり寄ってきた。我慢を疲労が寄り切りで勝った。圧倒的な勝利だった。しょうがない、もう、わしゃ知らんかんね。かってにやって頂戴ね。とにかくもう寝るんだかんね。椎名誠風に言えばこうだ。どうだ、参ったか。
なんか、あまり掃除が行き届いていない九州のマンションの一室で、崩れるように私たちは眠りについた。幸せの一瞬である。思えば一瞬が終わることなく繰り返された幸せな時代であった。

次の日、九州にも同じように朝がやってきた。当たり前だ。どんな未開の土地にだって朝は来る。それは分かっていたのだが、でもやっぱり驚いた。「普通なんだ」一体私はどんな世界を期待していたのだろう。
ここからは車である、多分。記憶はあやふやだ。でも、きっと車だ。この後長々と電車にのったわけが無い。そんなことをするくらいなら、東京に引き返した方がまだましだ。だから、ここは車なのだ、しかもあっという間に着くのだ。別に書くのが面倒なわけではない。早く着いて欲しいための反則技でもない。えてして記憶と言うものはそういうものだ。熊本の片田舎を、Oの生まれ故郷に向かって山を登り続けた。確か菊花町と言ったと思う。道の左側には川が右側には一見すれば東京とさほど変わらない町並みが続いていた。
夏の祭りの賑わい、女子バタフライの金メダルリスト、わんぱく時代の川遊び。覚えているのは、そんなことを自慢するかのように、私にOが語ったことだけだ。まだ陽は高く、山並みに夕闇はまだ訪れない。初夏と言っていいような日差しの中に私たち二人はいた。

ほどなく山の上のOの実家に着いた。この辺りにすれば当たり前のどっしりとして暖かみのある昔風の家だった。驚くほど山の日暮れは早く、夕闇はあっという間にやってきた。

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第三十九話「義兄弟の思い出・九州への旅(4)」

図々しくも来てしまった。

Oの生家、九州は熊本の田舎にである。玄関を開けるとそこは土間、Oの住む寿荘の4畳半の倍はありそうな広さの土間である。大学時代のアパート暮らしで慣れてはいるのだろうが、この広さと比べると今のOの生活はかなり過酷だと思わざるを得ない広さであった。
しかしなんとも懐かしい感じがした。私の両親の実家でもこんな感じで、ちょっと薄暗いところにも懐かしさを覚えた。Oのお袋さんとちょっと緊張気味に挨拶を交わす。「錦一がお世話になって」とかなんとか。「いえ、こっちこそ」とかなんとか。程なく親父さんも戻ってきた。もう、部屋に上がり込んでくつろいでいた私を見つけ、上がり口の畳に頭を深々と下げられ「ご無礼しました」と言われた。慌ててこちらも頭を下げたが、思いは「?」である。何しろいきなり無礼をされてしまったのである。確かにこちとらも、いきなりの乱入かなりのご無礼であったが、敵もさるもの侮りがたし、目には目で来たかと身構えていると「単なる挨拶だから」とOに言われた。息子の友達が来られたのに、挨拶が遅れて失礼しました、ということらしい。益々恐縮してしまう。いかん、恐縮すればするほど益々無礼になってしまうのが私なのだ。これまでも、もちろんこれ以後も何度も痛い目にあっている。九州にまで来て、汚点を残したくないと思えば思うほど肩に力が入ってしまう。何しろ人見知りの激しい単なる小心者なのだから。

時間はゆっくりと過ぎていった。どんな話をしたのかはよく覚えていない。何時ものことだ。当たり障りのないことを少し、お愛想を少し、ギャグも二、三発かましたことだろう。いや、私のことだから調子に乗って二、三十発かましたかもしれない。純朴な人たちは私の少し刺のある冗談を驚いたり、戸惑ったりしながらも結構喜んでくれた。もしかしたら愚かな男にはすでに息子で十分耐性が出来ていたのかもしれない。出来の悪い子ほどかわいいと私たち二人を包んでくれていたのかもしれない。そんなことにも気づきもせずすっかり調子に乗って「いい気なもんだよ、山の上の猿」状態とかした私に恐いものはすでになくなっていた。へたな九州弁をしたり顔にしゃべり、食い、飲んだ、のだろう。記憶はない。何時ものことである。

しかし、九州の奥は深い。いや「ご無礼の里」の奥深さであろうか。次の日、あの義兄弟キミハルと再会することになるのだが、突然の乱入者に待ち受けている運命はかなり過酷なものであった。

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第四十話 「おい、おい、俺もかよ?」

朝が来た。

前にも書いたが東京となんら変わらない朝だった。もちろん、山里の静かな朝ではあったが。
さて、今日はどうするのかな、と思っているとOがキミハルの家に連れて行くと言った。早速である。異論はない。連れてってもらいましょう、と鷹揚に構えてみた。車ですぐの距離だったと思う。キミハルの家はちょっと今風の作りになっていた。玄関も東京に比べれば広いが普通の玄関であった。多分この辺でも建て増しや建て直しする時は、利便性を重視して今風がいいとなっているのだと思った。

しばらく三人で談笑した。Oの小さい時の話などをしたりすれば、私の知らないOがそこにはちゃんと居た。もうすっかり親友面をしている私にはうらやましいほどの付き合いの長さだった。中学時代は二人ともバレーボール部員だったことも知った。そのうち、Oがこれから友達と会ってくるからといって私をキミハルに任せてどこぞへ行ってしまった。「おい、おい」である。いくら義兄弟の杯を交わしたとは言え、俺を一人にして平気なのかこの男はと思った。そしてOはそれが平気な男だった。しょうがない、まな板の鯉だ。好きにしてもらおう、そんな気になったのはとんでもない間違いだった。

まあ、茶でも飲んで馬鹿話の数十でもぶちかましていれば時間は過ぎていくだろう。そのうちOも帰ってくるだろう。酒でも飲めればぜんぜん問題はないだろう、なんて呑気に構えていた。ところがキミハルたちはこれから仕事に行くという。「おい、おい、おい」である。俺はどうすればいいの?まさかキミハルのお母さんと四方山話していろとでも言うのか?おろおろしている私を無視してキミハルもキミハルの親父さんも仕事着に着替えている。その格好から力仕事であることは容易に想像できた。「xxxさん、これ」と言ってタオルと軍手をキミハルが持ってきた。そのうえ「長靴はどれがいいかなー」なんてのたまっている。「おい、おい、おいに、もひとつおい」である。俺も働くの?

あれよあれよという間に、身支度を整えさせられ、長靴に履き替えて軽トラックに乗せられてしまった。わけが分からん。何が悲しくて九州くんだりまで来て、力仕事を手伝わなければならないのか。多分口には出さなかったが、顔にはしっかりとそう書いてあったことだろう。黒々と大きな文字で。それなのに、トラックはどんどん山の上へ上へと上って行くのである。どうやらこの親子は文字が読めないようであった。トホホである。

もしかしたら、人手不足で困っているキミハルを助けようと思ってOが私を騙して連れてきたのではないだろうか?有りうる。その程度のことは十分にありえる。いや、Oがそんなお人好しのはずがない、きっと小銭を稼いだに違いない。いや、むしろ積極的に小銭を稼ごうと計画したのかもしれない。「キミハル、いい働き手がいるんだが」とかなんとか。有りうる、可能性はかなり高い。そう考えると夕べのOの親父さんの「御無礼しました」もうなずける。そうか、家族もぐるだったんだ。そうだ、そうに決まっている。あの野郎ー、とここまで妄想が膨らんだとき目的の場所についた。5月の木漏れ日降り注ぐ、ひんやりとした空気に包まれた山の中腹であった。木々に遮られて見通しは悪い。いやな予感は当たったのだ。

誰もが無言だった。それがこれからの過酷な労苦を告げていることは愚か者の私にも痛いほど分かった。

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第四十一話 「汗がポトリ。肩がピキッである」

過酷であった。

仕事は椎茸の菌を埋め込んだ原木を山の斜面に井桁に並べることだった。去年取り入れた後整理されていたものだろうか、直径25〜30cm、長さは1.5mほどのやつが相当数、つまりかなりの数が、分かりやすく言えばしゃれにならない数が、道の脇に奇麗に山積みされていた。この一本一本に椎茸の菌を植え込んだ後、山の斜面に適度な光と湿気を維持するためなのだろうか井桁に並べていくのである。楔型の木片を打ち付ければ菌が植え込まれたことになるようだった。打ち込む場所は決まっているのか適度な間隔が開けられていた。

井桁に組んでいくのは親父さんの仕事であった。水平にまず一本、続けて垂直に右左と2本を水平に置かれた丸太に重ね置きし、位置を下げてさらに水平に一本と重ねれば井桁の井の字が出来上がる。見事な腕前である。慣れている。この作業を斜面にそって順次下へ下へ繰り返して行く。ある程度の長さに井桁が組まれると、次の列を新たに組み始めることになる。丸太は次々と親父さんに手渡されていく。上から下へ、右から左へと。見ているだけならこれはこれで結構なものである。キミハルから私へと、私から親父さんへという風に私の肉体が介在するとなると話しは違ってくる。三歩下がってご遠慮申し上げたい。しかし有無もない、休む間もなく次から次と丸太がやってくるのである。井桁はどんどん山の斜面を下へと伸びて行くのである。運ぶべき原木は山の上の道に積み上げられているのである。井桁は山の斜面の下へと伸びていくのである。簡単な問題である。答えは火を見るより明らかである。答えは二つ。一つは人力だけが頼りであるということ。もう一つは私はキミハル、キミハルの親父さんと同じ数の丸太を運ばなければならないということ。蛇足ながらもう一つ答えがあるとすれば 、ここに来たのは失敗だったということだろうか。

運搬に使用できる人力についてしつこいようだが一言申し添えておけば、それはキミハルと私の合計4本の足、そして4本の手を意味している。いささか心もとないのである。いささか、どころか、なんだ坂こんな坂ってくらいトホホなのである。軍手をつけているとはいえ、木肌は冗談にも乙女の柔肌と呼べるものではなく、水を含んだ原木はそれはそれは結構な重さであった。上を見ればキミハルが下を見れば親父さんがおり、逃げ出すことはかなわない。こうなったら、やけくそだ。やってやようじゃないか、こちとら「ハマっ子」だ。矢でも鉄砲でも持って来い、てなもんである。ウンショ、コラサッサー。ヨイサッサー。訳の分からない掛け声を心の中で唱えながら、黙々と丸太の井桁作りに励んだ。ウンショ、コラサッサー。ヨイサッサー。汗がポトリ。肩がピキッである。まだまだ序の口。ウンショ、コラサッサー。ヨイサッサー。汗がポトリ。腰がグキッである。まだまだいけるよ。ウンショ、コラサッサー。ヨイサッサー。汗がポトリ。膝がガクッである。どんどん来るよ。ウンショ、コラサッサー。ヨイサッサー。涙がボトリ。首がピキッである。情けない。

まあ、こんなことを何十回と繰り返したと思ってください。休みを挟んで3、4時間ってところだと思う。吹き出す汗は悪くはなかったが流石に疲れた。休憩中もあまり喋らなかった。帰りの車の中ではウトウトした。
キミハルの家に帰ってから風呂を浴び、ビールを飲んだ。その頃には元気が出てきていた。もう働かなくていいとの思いと肉体労働の後の心地よい疲労感と風呂上がりのビールが活力源だった。しみじみうまいなぁ〜、〜、〜。はぁぁぁぁ、である。
「いやぁ、でもxxx君は良くもったねぇ」とキミハルがのたまった。「ほんとだ、大したもんだ」と親父さんがほざいた。「いや、うちが大工なもんで良く手伝いをやらされましたから」と私が微笑んだ。聞けば、あんなに働かせるつもりはなかったという。ちょっと経験してみるのもいい思い出になるんじゃないか、くらいの軽い気持ちだったなんてことを言う。考えてみればそうだよね。東京から遊びに来た友達の同僚を掴まえて肉体労働させる親子は普通いないよね。それなら、そうと何故先に言わないのだ。「疲れたら休んでね」とか「ちょっとだけやってみる」とか、「無理しないでね」と何故言わないのだ。こう思ったのは、ずっと後のことだ。この時は、疲労から思考回路が止まっていたらしく、呑気にビールを飲んでいた。

程なくOが戻ってきた。もう、すっかり暗くなっていた。「おー、悪い悪い。すっかり遅うなってしまった」と能天気な男である。一緒に飯を食べていけと薦めるキミハルに「いくらなんでもそれはまずい」とOが言うので、退散することにした。Oの家に向かう道すがら今日一日の顛末を思いっきり愚痴っぽく喋った。Oは笑っていた。自分に責任があるとは思っていないようであった。何馬鹿なことをやっているんだ、と思ってる節さえあった。家に戻り今日の簡単ないきさつをOが話すと、「友達を置いていったのか」と親父さんがOを叱った。「しょーがなかねぇ」と叱った。やーい、やーい、叱られた。もっともっと叱ってください、親父さんと心の中で叫んだのだが、「ほんなこつ、こいつは」という親父さんの叱り方は甚だしく迫力に欠けていた。ほとんど効力を発揮しないのではないかと思われた。しかし、それはそれで微笑ましい風景であった。ほっとする家族の雰囲気であった。

その後楽しみにしていた秋の椎茸宅急便は期待に反して到着することはなかった。分け前を寄越せとは言わないがおすそ分けは欲しかった。もしかしたらOが掠め取ったのではないかとの疑念を捨て去ることが今も出来ないでいる。

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