
おまえがやった。
おまえがやった。
ボクがやった、とおまえが云った。
だんだんボクがやったような気がしてくる。
ボクは、おなかの上の何かをいしで必死に叩いていたから。
そうしているボクをボクは見ていたから。
――それともあれは夢だったのだろうか。
おとうさんやシマリスくんやアライグマくんが
ボクが見ていないところで皮を脱いで別なものになっているように
――そんな考えにボクはときどきなる――
ボクも、ボクが寝ていてボクを見ていないときに
ボクじゃないボクになるんだろうか。
そうかもしれない。
そうかもしれない。
ボクのおとうさんは死に神ラッコだから。
ボクは死に神ラッコのこどもだから。
死に神ラッコのこどもだからったら。
*
「妖怪とは名前が全てなんだ」――中禅寺は静かに云った。
「たとえば河童は無数の作者が紡いだ糸で織り上がった織物だ。大事なのは個個の作者じゃない。河童が河童として闊歩できるのは、河童という名前とその振る舞いを知る人間が大勢いて、目撃談や伝承が繰り返し語られることによってなのさ。妖怪は死なない――名前が忘れ去られた時、妖怪はただ消滅するだけなんだ」
「夢生眠も、それが誰かの夢に夢生眠として現れる限りにおいて夢生眠なのさ。最初の夢の紡ぎ手さえ特権的な関与者とは云えない」
――戸部・燕村の夢。虫風呂で暖められた夢。名蔵で発酵した夢。
そのどれもが、夢生眠という織物を紡ぐ糸になる。全てが合わさり夢生眠という夢になる。
一行は佐伯家の奥座敷の前に立っていた。
この襖の向こうに――。
十数人の屍体が転がっており、不老不死のとろをる様が居る――はずだ。
皆が固唾を飲む中、榎木津が猛然と襖を開け放った。
暗闇に目が慣れぬその中から、仄白い無数の生き物が這い出てきた。
ひょろ長い棒状の体、二つの眼、肉眼でやっと確かめられるくらいの手足も見える。 うねる浪のように生き物たちは座敷から流れ出る。
否、これは全体で一体の生物なのか。
「――如浪如浪だ。南方翁云うところの粘菌だ。謎が多い生物だが、不老不死の妖怪などではない。恐らく佐伯家が失踪してからずっと奥座敷にいたのだろう」
「あいつらはどこへ行くつもりなんだ」――木場が尋ねた。
凶相の陰陽師はふと表情を緩めて答えた。
「――さあ、地中かもしれないし、どこかの孤島かもしれない。如浪如浪には元々行き先などないんだ。どうしても思ったところへ行きつけなくて、いつもどこかをあこがれてる――そうした存在だからな」
ふと奥座敷に視線を戻すと、如浪如浪がいたはずの場所に榎木津が屈み込んでいた。 眼を凝らすと探偵の足元には、如浪如浪に似た――しかしやや小振りの茸のようなものが一株、見てとれた。
「榎さん、いけない」――陰陽師の叫びの先には、その茸を掴んで口に入れようとしている探偵がいた。
全員が叫び出していた――
「不老不死を独り占めするつもりか」
「罰当たりめ、死ぬぞ」
「こんな物が残っていると、また馬鹿共が騒ぎ出すんだッ」
怒号が飛び交う中、探偵は平然と口に入れ飲み込んだ。
皆が呆然とする中、
陰陽師は探偵に近づき耳元で囁いた。
――共食いだ。榎さんだけは食べちゃいけなかったんだよ。
榎木茸だった。
*
主旋律は同じ。
それは夢生眠という名前だ。
奏手を異にし、音色も音程も異なる響きは
反撥し合い、絡み合い、輻輳しながら
しかし同一の音楽として紡がれていく。
すべてがおわってボクは箱から出され、いま土手に座っている。
燕村のあたりからふいてくる強い風がのどに飛びこむ。
苦しくなって、イともエともつかない口もとで
風をおし返そうと息を吐き出すと、のどのおくで倍音が生まれた。
のどぼとけのあたりでいくつもの音が重なる。
重なり合って一つになる。
頭がぐわんぐわんと内側からゆさぶられ
ボクはおもわず泣きだしてしまった。
泣きだしてしまったんだったら。
*
中禅寺と榎木津は並んで土手を歩いていた。
鳥口が後ろをついていく。
土手の途中で――関口が目に涙を浮かべ、口を開けたまま寝ていた。
「こいつ尻尾なんてあったっけ」――中禅寺が云った。
「見ろ京極」
榎木津が関口の口の中を指差した。
「こいつ、脳味噌が喉まで降りてきてるぞ――」
中禅寺は覗き込むと、喉の奥に詰まっていたキノコをつまみ出し、ぽーんと空に投げ上げた。
(了)
参考引用頁
『夢生眠谷祭戸地図』
『京極夏彦網共同体』
『京極作品映像化委員会絶対不可能編』
『薔薇十字探偵社』
『喉歌之会』
『壁研究所掲示板』
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