11.台風の目 (のつづき) ようやく、後方から一台、車のちかづいてくる音が聞こえる。 また通り過ぎていってしまうのだろう・・そう思い、ひたすら歩く ことにした。 車は、聡美の横をゆっくり通り過ぎていったが、暫くして 前方を見ると、路肩でハザードランプが点滅している。  「私を待っていてくれているのかしら、でも・・」 今度は逆に別の考えが頭をよぎっていた。もし、このまま犯罪にでも 巻き込まれたら。誰も目撃者の無い中で、素性も知らない人間に連れ去ら れて、山奥にでも埋められたら。誰も彼女を捜す手がかりを見つけられな いだろう。 聡美は、さっきのタクシーがもう一度戻ってきてはくれな いだろうかと祈っていた。 もう雨風に叩かれるがままに立っていると、車の中から男が下りてきて 聡美の方へと走ってくるではないか。  聡美は、怖くて、大声をあげた。 声がかすれて悲鳴にならなかった。 もし声になっていたとしても、回りの暴風雨の音に吸い込まれて、どこ にも響いてはいかなかっただろう。  「聡美さん、聡美さん」 男は、彼女の名前を口にした。・・信じられない。初めて訪れた土地 で、誰かが自分を呼んでいる。 タクシーの運転手には、名前は告げて いないはずだ。 滝のような雨の中、ようやく相手の顔に焦点が合う。それは、見覚えの ある顔だった。  「花村さん、どうして、ここに?」 聡美は、へたりこんだ。 「話は後にして、早く車へ」 聡美は、夢を見ているのかと思った。 もう夢でもいい、相手が 安全な人間と分かれば、頼るしかない。立ち上がると車の助手席めがけて 走った。                 ☆ 花村の車の中の様子は、2ヶ月ほど前とさほど変わっていなかった。 キャンプ用品が最後部座席にたくさん積まれていた。  レインコートを丸めて足元に置く。花村から手渡された、柔らかい タオルで濡れた髪をふき始めた。ふと視線を感じて見上げると、彼の視線 が白いブラウスの透けた胸元やうなじに向けられている。 花村は、はっと して、目をそらす。彼は、急いで振り返って、後部座席の鞄から 大きめのTシャツとスエットのパンツを取り出した。 「着替えに持ってきたもので、綺麗に洗濯してあります。 前を向いて運転 してますから、どうぞ後ろで着替えてください。 誰かとすれ違ったと しても、この土砂降りの中なら車内の様子までは分からないでしょう」 「・・ありがとう」 コップ受けに缶コーヒーが立ててある。 「・・さっき買ったんです。開いてるけれど、口はつけていないから。 よかったら、どうぞ」 「・・暖かいコーヒー」 「僕は、胃腸が弱いほうなので、出先で冷たい飲み物は口にしないんで すよ。 聡美さん、体が冷えているでしょう、よかったら・・」 彼女は、一口すすった。 聡美は、座席の間から後部座席に移った。 そこでバスタオルを背中に羽織り、借りたものに着替え始めた。 体に張り付いたブラウスを剥がすように脱ぐ。 ブラのホックを外して取り、素肌の上にTシャツを被る。 少し腰を浮かしてスカートを脱ぎ、すぐにスエットを履こうかと 思ったが、その下まで濡れていて気持ちが悪いので、素早く丸めるように ずらして足元に落とす。大急ぎでスエットを履く。 その一部始終のパタ、ピタ、という音を花村の耳は逃さなかった。 聡美は再び助手席に戻った。 風呂上がりのような爽やかな聡美の顔。 男物の所帯じみた服装と アンバランスで、花村は、思わず笑いをもらした。 「なにか、おかしいですか?」 「あ、ごめんなさい。可愛いな、と思って・・」彼女から目をそらす。 正面を向いて運転しながらもやはりクスクス笑いは漏れてくる。 ・・・聡美はすこし不機嫌になった。 恥ずかしさといっしょに今日の 出来事のすべてが情けなくて、ついにはダッシュボードに突っ伏して、 声を上げて泣いてしまった。  驚いたのは花村である。 自分のせいで、聡美が泣いてしまうなんて。 「ごめんなさい、笑ったりして」  花村は、しばらく様子を窺いながら運転していた。 が、延々と泣き続ける聡美を放っておけず、車を路肩に付けた。  彼女を拾ってから、まだ30分ほどしかたっていない。 「ねえ・・、そんなに泣かなくても・・」 花村が聡美の顔を覗き込んで、微笑みかける。 よけいに思いがこみ上げてさらに泣き募る聡美。  花村は、思わず彼女を引き寄せて抱きしめてしまった。 聡美は、花村の胸の中で暫く泣いていた。 ストラティスの胸を思わせる暖かな胸から心音が伝わってくる。  懐かしい温もりとオーバーラップして、余計に涙が湧いてしまう。 雰囲気に飲み込まれ、いつの間にか二人は唇を重ねていた。 次第にTシャツの下から胸の方へと延びていく花村の手。 ストラティスといる妄想の中で、それを受け入れてしまいそうになる聡美。 一瞬ふと我に返り、彼の腕をすり抜けた。 「どうして貴方とこんなこと・・」 後部座席のバスタオルをさっと引き寄せ、それを肩にかけた。 花村は、黙って、ハンドブレーキを戻し車を出した。 聡美は、辺りの景色に目をやった。 薄暗くなっている。 明らかに来たときとは少し景色が違う。 「あの、駅まででいいですから」 「東京まで送ろうと思っていたので、方向は、駅とは逆です」 花村は運転しつづけた。 「ひとりで帰りたいの、お願い・・」 自分の無計画な行動に嫌気がさしていた。 鋭い閃光が天を引き裂いた。  雷鳴が大音声を上げて響き渡る。 雨は、サンルーフを激しく打ち鳴らしてくる。 車は、カーブの多い山道を走っている。 花村は、黙ってハンドルを さばいている。 聡美は、窓ガラスにもたれかかって、目を閉じた。 眠気を感じた。 考えてみれば、 朝食以来、食事らしい食事も 摂っていない。 このところ、寝不足で食欲が減退していた。 遙香のこと、ストラティスのこと、気になって何も解決せず、 気持ちが張りつめていた。  せめて、少しでも遙香の消息を知る鍵があればと、意地になってやって 来たけれど、何も収穫を得られない。・・疲れた。  そのまま、聡美は眠り込んでしまった。  どれくらいの時間が経ったのだろうか。 ぼんやりとした意識 の中で、車が止まっているが分かった。 暗い車内、照明の下で道路地図を広げる花村の横顔。  時計は、6時をさしていた。 起きようとしたが体が重くて再び眠りに引き込まれる。 周囲の音が次第に遠のいていく。 次ぎに目を覚ましたとき、車は、まだ止まっていた。 頭上の2つの照明のうち、運転席側の一つがまだついている。 時計は、8時だった。 台風は相変わらず猛威を振るい、大きな車体が左右に揺れるほどだった。 雨の打つ音。 遠くで聞こえる雷の音。 「どうしたの?」 横でうつらうつらしていた花村が、聡美の様子に気づいて、体を 起こす。 「・・・私たち今どこにいるの?」 「あ、もう2時間以上、立ち往生してるんですよ」 花村は、目の前が何十メートルもの間、深い水たまりになっていて、 このまま進むと車が浸水すると言う。 「じゃ、どうして、戻らないんですか?」 「実は」 彼は、ガソリンの量が一番下の目盛りを指し、ちょうどスタンドを探して いた時に、聡美と出合って、その事を忘れて走っていたと伝える。 「あと数キロ分しかない」 「そんな。 じゃ、今日じゅうに帰れないじゃない・・」憤慨した。 「ごめんなさい」  「困るわ・・・」 今頃両親が心配しているに違いない。連絡を取りたい。 夜には帰るつもりだった。 夜中母が起きてミルクをつくらなければなら なくなる。 「地図に、ほら、ここです」 花村は、今自分たちがいる場所を指さして、そこから数キロほど戻った場所に ペンションがあることを告げた。 聡美は、恨めしそうに彼をみた。 どうしてこの人と一つ屋根下で過ごさねばならないのだろうか。 その気持ちを察したのか、花村が 「別々に部屋を借りればいい。 それにお腹も空いたでしょう。ご実家に 電話もできますよ」と言う。 今の状況では、その選択しか残されていないようだった。 ところが、その場所にたどり着いてみると、そこはペンションならぬ ラブホテルで、入り口はカラフルな電球のアーチになっている。 建物は、西洋の城のような形だった。 「私、いやだわ、こんなの・・」 聡美は、運転席の脇から、さきほどの道路地図を取り出した。 今、通ってきたと思われる道を指で辿る。 そうして、道なりに ペンションという文字を探してみるが、たった一件、ホテルという 文字しか見あたらない。  「あなたは、知っていたんじゃないの?」 花村は、首を横に振った。 「聡美さん、大丈夫ですよ、何もしませんよ・・」 ・・・信用できなかった。 「僕は軽食を取りたいし、眠りたい。 聡美さんは、電話がしたい。  その条件を全部満たしてくれる場所でしょう」 それでも、聡美は、首を縦に振らなかった。 「“男と女が一つの部屋で過ごして何も無いわけがない”と思ってるんだ・・ ・・だったら想像が過ぎるのは、聡美さんの方でしょう」 今度は、花村が、不機嫌になる。 「そんな。私は、ストラティス以外の男性に心や体を許すことなんてないわよ・・」 「じゃ、それを証明しましょう」 そう言うと、入り口の門をくぐってしまった。 もう、何も言えなかった。 車の中で一晩中過ごすわけにもいかない。  確かに、今、自分に必要な物を与えてくれる場所は、皮肉にもこの施設しか 無かった。 (つづく)



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