翌朝起きると、相沢の方が先に起きてた。 眠れないと思ってたのに、知らないうちに寝たらしい。 ボーッとする頭のまま、台所で朝食作ってるらしい相沢の背中に声をかけた。 「……二日酔いとか、してないの?」 「あ、おはよ」 見たところ、元気そうだった。 「今、朝飯作ってるとこだから。飲んだわりには酒残ってないみたいなんだ。慣れてきたかな?」 「……きのう、高永神無がおまえを連れて来たんだ。で、一回ふられたくらいじゃ諦めないんだってさ。既成事実作る気でいたみたいだよ。僕に気ぃきかせて出てけって。頭きたから追い出した」 相沢が驚いた顔で振り向いた。 「彼女が連れて来たのか?」 「覚えてないんだ?」 無意識に、嫌味のこもった声になった。 相沢は困った顔してる。 「いや……なるべく昨日は、彼女に近寄らないようにしてたんだけどな。全部で八人くらいいて、俺は他の奴と喋ったりしてたはずだけど……」 「じゃ、途中から近寄って来ておまえに飲ませまくったんだ。どうせ、途中の記憶ないんだろ? 飲ませすぎたって言ってたしね」 僕の声からは感情が抜け落ちていた。わざとじゃないけど感情が麻痺したような感じ。 「悟瑠」 コンロの火を消して、相沢がこっちに来た。僕の目の前に座る。真正面からまっすぐに僕の目を見た。 「怒ってるだろ」 「べつに」 「いや、怒ってる」 「怒ってない」 ぐい、と身体が引っ張られた。一瞬のうちに相沢の腕の中におさまっていた。ぎゅうっと力を込めて抱き締められる。少し苦しい。 「俺の好きなのはおまえだけ。何度言わせりゃわかるんだ?」 腕の中は暖かかった。気持ちのいいぬくもり。やっぱり僕はここが好きだ。 相沢の背中に腕をまわして、抱きしめ返した。抱きしめるのも気持ちよかった。 でも何度聞いても、確かめても、不安が消えることなんてない。相手のことが好きなら好きでいるほど、不安なんて強くなる。そんなの、どこのカップルだってそうだろうけど。 信じるとか、信じないとか、そういう問題じゃなくて。 ただ、怖いだけ。 ……ふいに、唇が塞がれた。 「ん……」 パジャマの衿から裾にかけて、ボタンがはずされる。僕は少し嫌がってみた。 「なに……してんの。朝だよ」 「仲直りするには最適なんだって」 「セックスが?」 僕は小さく笑って、布団の中に倒れ込んだ。その上に、相沢がおおいかぶさる。 襲ってくる愛撫の感触に身をゆだね、呼吸が乱れていく。 「あ……っ、あ……」 首筋から胸へとおりていくキス。脇腹を撫でられて、ズボンを下着と一緒に奪われる。 何度かキスを交して、頭がぼんやりとしていく。相沢に触れられる箇所が熱くほてって、気持ちがいい。 されるだけじゃなくて、僕の方からもしてやる。相沢の下腹部に顔を寄せて、舌を使う。頂点に達して放出されたものを飲み干して、もう一度勃たせてやる。 僕の中にそれが入ってきた時、いいようのない快感が身体中を貫いた。 全身で相沢を感じて、何も考えられなくなる。 キスをしながら相沢は腰を動かして、僕から平静さを奪う。 絡み合いながら上になったり下になったりしながら、僕たちは快感に浸った。 ファミレスのバイトに行くと、話が急展開していた。 相沢とあんなことした日に尾崎さんに会うのって、何か変だ。 気まずいような、変な気持ちになる。 「来月発売の雑誌で、きみを使うことに決まった。きみが首を縦に振るまで、俺はしつこく勧誘するつもりでいるから、覚悟しておいてくれよ。たった二ページだから、そんなに意識する必要はないんだ」 「……もうやらないって、言ってるのに……」 うんざりとして、僕は恨めしそうに尾崎さんを見やった。 「ちなみに、他出版社から連絡先を訊かれてるらしいけど、秘密ということになってるから」 「当然ですよ。うちに来られちゃたまりませんってば。相沢にも迷惑だし」 「俺の連絡先も秘密になってるよ」 尾崎さんが笑った。 それにしても、なんでこんな展開になっちゃったんだろう。 ため息ついて、僕は仕事を始めた。 最近気づいたんだけど、前より少し女性客が増えた。 あんまり気にとめてない上に、まだ直接声かけられてなかったから、なかなか気づかなかった。尾崎さんに言われて初めて客の観察をしたくらいだ。 意識してみると、確かに増えてるような気がした。誰を目当てに来てるのかまではわかんないけど、そういうのって、たいがい女同士の組み合わせで来てる。男女客の場合はウェイターなんか気にとめてない。 女ふたりで来るのもいれば、グループで来るのもいた。僕は誰が来ようとどうでもよかったから、あんまりちゃんと見てないんだけど。 「和風ステーキセットふたつ、ナポリタンひとつ、フルーツパフェひとつ、抹茶アイスクリームひとつ。デザートは食後ですね。以上でよろしいですね?」 注文された物を確認のために読み上げ終わったところで、目の前の三人連れの女性群のうちのひとりが声をかけてきた。 「あの、この店によく来る友達に聞いたんですけどぉ、雑誌に出てたりとかしてますよねぇ?」 「最近よく間違われるんですけど、たぶん人違いですよ」 澱みない嘘が僕の口から滑り出した。 自分でも驚くほど反射的でなめらかだった。 営業スマイルでそれを言ったら、目の前の三人がポカンとして僕を見た。 何か変だったかな。 戸惑いながらその場から去ったら、いきなり背後で三人組みがきゃーきゃー騒ぎ出した。 「な、なんなんだ?」 「きみが笑顔なんて見せるからだろう」 厨房に戻るなり、そこにいた尾崎さんに言われた。 「笑顔?」 「注文取る時も、料理運ぶ時もきみは笑わないから、きみ目当ての女性客たちも声はかけられないし、近寄ることもできなかった。話かけにくそうにも見えるからね。そこで勇気を出して声をかけてみる客がやっと登場した。何の話かまでは聞こえなかったけど、きみが笑いかけてしまったのは事実だしね。彼女たちは間近で目撃できて、見惚れてしまった。それであの騒ぎ。罪な人だよねえ」 「……変な観察してないで、仕事してください」 「してるよ、ちゃんと」 尾崎さんが料理を持って客席の方へと行ってしまった。 ……なんか、嫌だなぁ。 あんまり注目浴びたくないのに。 成り行きで雑誌に出たことが、まだ小さいけど波紋を呼んでる。 遠くから静かに波が押し寄せて来てるような感覚。その波は巨大化して間近に迫って来るんじゃないかという不安。意思に反して流されはじめてる恐怖。 今だけだ。 自分に言い聞かせた。 さっきみたいに声かけられるのは、今だけだ。 だから大丈夫、と。 手に入れた平穏と満たされた愛情は決して崩れたりはしない、と。 そんな風に自分に言い聞かせた。 あの出来事を皮切りに、僕に声をかけてくる女性が増えた。 勇気を振り絞って話しかけてみれば、笑顔も見られることを発見したらしい。 女の子の情報網ってのはスゴイらしくて、ひとりの女の子から始まったことが、たちまち友達にまで浸透していく。友達が友達を連れて来て、さらにその友達がひっぱり込まれて、どんどん話が広がっていく。特に、中高生にそういうのが多かった。 ラブレターだの、手作り弁当だの、漫画やドラマに出てくるような事態に発展して、僕は正直戸惑った。 女に興味ないなんて、言えないし。 冷たくすれば寄って来なかったのかもしれないけど、そんな態度取るの悪いような気がして、つい愛想よく対応してたら逆に大変なことになった。 「まるでアイドルだな」 尾崎さんが笑う。 ちなみに、女の子に囲まれてるのは僕だけでなく、尾崎さんにも同じことが起こっていた。というか、僕が知らなかっただけで、以前から尾崎さんは女性客からアイドル視されていたらしい。 つくづく、自分の鈍さが嫌になった。 「どうするんですか、だんだん事態が大きくなってるんですけど」 「普通、男は喜ぶよ? 女の子にモテモテになると」 「普通の男の話でしょ、それは」 「もうひとつ、教えてあげようか。彼女たちの一部の間では、俺と悟瑠くんはデキてることになってるよ。熱烈な恋人同士なんだって。特定の彼女がいないのもそのせいだって」 それを聞いて冷や汗が出た。 そりゃ確かに僕は男とデキてる。けど、その事実を広める気は決してない。 尾崎さんともアブナイところまで行ったけど、まだ何もないし……。 なのに、なんで女の子たちの想像力はそこまで発展できるんだろう。 「それが事実だと、もっといいんだけどね」 さらりと尾崎さんの口から出た言葉に、僕はドキリとする。 「なに言ってるんですか。仕事しますよ」 慌てて僕は尾崎さんから離れた。 逃げてる自覚は、ある。 こういう時に、尾崎さんは執拗に迫って来たりしない。だからいいんだけど……。 仕事が終わると、夜だった。待ち伏せる女の子たちを振り切るには、ひとりじゃどうにも出来ず、結局尾崎さんに助けてもらった。 一緒に店を出て、尾崎さんの車に乗せてもらう。 「これから毎日、俺の車に乗った方がいいね」 待ち伏せする女の子の数は少ないけど、これが毎日続くのかと思うとうんざりした。 尾崎さんの車に乗せてもらえるのは有難いけど、ふたりきりにはなりたくない。 困ったな……。 「それもこれも、雑誌に載ったりしたせいじゃないですか」 僕が不平を込めて言うと、尾崎さんは。 「あれが原因できみが俺の車に乗ってくれるようになるんなら、結果的にはよかったと思っちゃうよ」 「……」 返答に困って、何も言い返せなかった。 「次の仕事、承諾してほしいんだ。一緒に仕事がしたい」 僕はしばらくためらったけど。 「……今度だけなら」 結局、引き受けることにした。 助けてもらっちゃったし、頑固に断わり続けるのも悪いような気がしてきたから。 「でも、その後はやりませんよ」 念を押す。 「ありがとう」 尾崎さんが満面に笑顔を浮かべて僕の方を向いた。 不覚にも、僕はドキッとしてしまった。 動揺を見せまいとして、僕はうつむいた。心臓が早鐘を打つ。 信号が赤になり、車が止まった。 青になるまでの間、じっと僕の方を見てるのが、気配でわかる。 表情や仕種だけでなく、僕が今感じた動揺すら見透かされてるような気がして、居心地が悪かった。 動き出した車は、少しの迷いもなく僕と相沢の家へと向かう。 行き先は、ホテルでもなければ尾崎さんの家でもない。 ホッとしながらも、僕は尾崎さんを疑っていた。 このまま、別の場所に連れて行かれてしまうかもしれないと。 何もないまま車から降りて、去っていく尾崎さんの車を見送る。 キスひとつもなかった。 それでよかったんだけど、尾崎さんはそれで本当にいいの?と問いかけたかった。 だめだ。 こんな風に僕がぐらついて、どうするんだ。 僕には相沢がいるのに。 誰よりも大切に思ってるのに。 マンションの自分の部屋に入ると、相沢が帰っていた。台所で晩飯を作っている最中だった。 「おかえり」 「……ただいま」 引き受けてしまった雑誌の仕事のことを、相沢に言おうか言うまいか、迷った。 「ねえ、相沢」 「ん?」 台所にいる相沢の背中に話しかけた。 「また、雑誌に出ることになった」 「え?」 驚いて相沢が振り向く。 「もう出ないって言ってたのに?」 「……うん。なんか、断わりきれなくて」 「別にいいんじゃないか? バイトのつもりで続けてみれば?」 そう言われるととは思わなくて、僕はびっくりして相沢を見た。 「僕が有名になると困るって言ってたじゃないか。なんでそんなこと言うの?」 つい、責め口調になった。 「そういうのって、俺の決めることじゃないだろ? おまえがもし、その手の仕事を面白いと思うなら続けてもいいし、違うならやめていいし。決めるのは悟瑠だよ。おまえの人生なんだから」 「なんでそんな、冷めた意見言うんだよ」 相沢は柔らかい表情で僕を見る。穏やかで、思わずホッとするような瞳。 「俺は、おまえを縛りつけたいわけじゃないんだ。もう少し自分に自信持っていいと思ってるし、やりたいことがあるならやってほしい。ずっと前と比べたら、だいぶいい方向に行ってるし、投げやりじゃなくなったし、前向きにもなった。誰だって好きな相手には、いい人生歩いてもらいたいだろ?」 「……」 縛りつけられても、いいのに。 相沢に閉じ込められて、永遠に逃れられなくなっても、いいのに。 でも相沢らしい言葉だった。 いつでも、彼は正しい。 「ねえ、キスしよう」 「え?」 唐突に僕が言ったから、相沢が驚いた顔をした。 「キスしたい」 「うん、いいよ?」 料理を作る手を止めて、近寄った僕の唇に相沢のそれが重なった。 |