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2000年の9月に渡米してきた私、日本には家族も友達も沢山いたし、仕事だってしようと思えば簡単に見つけられた。でもアメリカに来てみてなんだか赤ん坊に戻った気分に陥った。免許もなければ、英語だって仕事ができると言えるほど自信はない。はたまたここはアメリカ、日本より学歴志向がはるかに強い。大卒なんて大したことはないらしい。しかも私は短卒。また目の前が真っ暗になる。スペイン語が出来たってあまり意味がないみたい。幸い夫が独立経営しているので、あるテレビ局スタジオのシステム導入というプロジェクトを手にした時、私のPC能力(ったって大したことはない)を買ってくれメンバーの一員としてある部門を任された。詮索好きな私は、このオーディオ・テレビエンジニアリングという分野に興味を持ち、図面も読めるようになり、時にはエンジニア達を質問責めして困らせたこともあった。楽しかった。でも何かが違う…。
真冬、まだ扉も窓も入っていないスタジオにオフィスを移すことになったとき、トイレも掘っ立て小屋になったため、家で仕事をすることになった。その内、暇になったたCADオペレーターに仕事を与えなくてはならないので、私のしていた仕事が彼に回され、私は専業主婦となったのである。
その後、インターネットが唯一の友となった私、つまらなかった。当時は自動車免許もなければ車もなく外にも出られないし、友達もいない。そこでネットで色々と調べていた。ハーブティーのオンラインショップもこの時期に立ち上げた。でもアメリカでハーブティーはハッキリ言って売れない(爆)。 そんな時、渡米する前から「アメリカに行ったら赤十字でボランティアでも良いから活動をしたい スペイン語も活用できるし」と思っていたことを思い出し、仕事を検索してみた。でも彼らの求人はオフィスワークばかり、しかも学歴も必須。ボランティアは災害現場での手伝いが多い。そこへ行って何ができるか…。そう考えた時に、よく行く日本食料品店の横にMedixSchoolというのがあったのを思い出し、またまたネットで検索。そこでEMT(救急救命士)の存在を知る。 元々医療関係には興味があったので、調べれば調べるほどどんどん引き寄せられ、ついにはそのMedixにも面接に行った。と言うか「一度おいで」と言われ行ってみると、テストを受けさせられ、面接をされていたのだった(笑)。そこはプライベート経営なのでもちろん生徒が欲しい。だから私にも「君ならやっていける」と言ってくれた。で、その気になった私。 ところが夫の仕事も終わり、次はワシントンDCに行くかもとか、動向がハッキリしなかったり…で、その夏(2001年)にはカリフォルニア州サンノゼでのプロジェクトが立ち上がり、私もその一員として抜擢され行くことになった。そうしてその学校とはどんどん縁が遠のいていく。 思いは募り、ジョージアに帰ってきた2002年の2月、やっぱりEMTを諦めきれず調査を始め、やっと近所にあるカレッジでのEMTコースを見つけ、入学願書提出。テストを受け入学が決まったのである。と言っても英語と数学の簡単な学力審査だった(ちなみにこのカレッジはビザ所有者のみしか入学できないので、TOEFLなし)。 と、元々は赤十字に従事したい、これがEMTを目指すきっかけとなったのだが、今では州に属し消防署に勤めたいという思いが強くなってきた。そしていつかは世界のスタンダードとなったアメリカのEMSシステムの代表として世界を駆け回れたら、と夢は膨らんでいく。 |