アルバイト
だらだらと書き連ねています(スミマセン)。 ざーっと読んでくださいね。
これまで何種類かのバイトを経験しましたが、どれも体力重視系、外見不問系のものばかりでした。 初めてのアルバイトは高校1年の時、部活の友達と地元の駅ビルに入っている釜飯レストランで働き、時給は420円でした。 仕事はウェイトレス兼洗い物でしたが、昼の繁忙時間を除けば暇な時が多く、アルバイト生も高校生や大学生ばかりだったので楽しいバイトでした。 またお昼ご飯はその店の好きな釜飯を食べることができたのも大きな魅力でした。 業界用語ではありませんが、午後番(午後5時以降)の人が店内に入ってくる時の挨拶が決まって「おはようございます」でした。 夕方なのになんで「こんにちは」「こんばんは」じゃなくて「おはようございます」なんだろう?とその時は疑問に思いましたが、このような世界では働き始めの時間はどんな時間でも朝とみなしているようです。
高校2年から専門学校を卒業するまでは地元の商店街のかばん屋でバイトしました。 このかばん屋のオーナーはちょっと偏屈なおじいさんで有名でしたが、わたしとは気が合ったようで可愛がってもらいました。 時間は午後6時から7時45分で時給は550円日給制でした。 お小遣い稼ぎのためにほとんど毎日通っていたと思います。 しかし個人商店なので、雨の日はお客さんが少ないということで、雨の日は来なくてもよいことになっていました。 試験が近くなると、勉強道具一式を店に持ち込むことも許可してくれました。 またおやつ代としてバイト代とは別に100円もらっていました。 夏は向かいの牛乳屋さんでアイスを、冬は焼き芋を買っていましたが、100円じゃ小さい焼き芋しか買えないと愚痴ったら冬だけは150円にしてくれました。
専門学生時代もかばん屋のバイトをしていましたが、ここのバイトは主に夜だけだったので、昼間も短期アルバイトの仕事を見つけてはせっせと働いていました。 アルバイトニュース、フローム エーのアルバイト情報雑誌は毎週欠かさず買っていました。 この頃の購読雑誌は「月刊宝島」「an an」「ぴあ」「別マ」そして上にあげた2冊のアルバイト情報誌です。18才の夏は新橋の京急ストア入り口付近で天津甘栗の売り子をしました。 ビジネス街なので、ほとんど売れませんでしたが、たまに来る人は「皇居への行き方を教えて」だの「○○ビルはどこですか?」などの道案内ばかり。 外で暑かったですが、甘栗を食べながらのバイトは結構楽しかったです。 甘栗の殻は店長に見つからないようにこっそり後で捨てましたが、爪が栗の渋で真っ黒になってしまったので盗み食いしていたのはバレていたと思います。
甘栗のバイトの後は浅草の松屋デパートの地下食料品街でイカ飯の販売をしました。 場所が有名デパートの地下街だったのでお客さんの入りはよかったです。 近くに浅草寺があることもあり外国人のお客さんも立ち寄ってくれました。 その時のわたしの格好は青いはっぴを引っかけ、アタマにはマックの店員のような帽子をかぶっていましたが、ある時外国人のおじさんからキミの写真を撮らせてくれとお願いされ、イカ飯の屋台を背景に一枚撮ってもらいました^^;。 この松屋は銀座松屋と違い東武線浅草駅そばにあることからかなりローカル色が強かったです。
19の夏は品川駅構内でしゅうまい売りのバイトをしました。 朝8時から午後5時まででしたが、朝のラッシュ時は牛乳を買いに来るサラリーマンで忙しかったです。 新橋方面へ向かう友達が電車から手を振ってくれたり、高校時代の先生に遭遇したりしました。 しゅうまいを安く買えたので、夕飯のおかずにと母からよく頼まれました。
この年から数年間近所の中学生達を相手に英語を教えるようになりました。 どの子も親の友達の子供なので、お金はそんなにもらいませんでした。 しゅうまい、かばん屋、家庭教師のバイトを交互にこなしていましたが、今思うとよくあんなにやれたなあと感心します。
OLになるとかばん屋のバイトは辞めましたが、家庭教師は続けていました。 OLを辞めてからは松屋と松坂屋のモロ○フで渡米代を稼ぐために働きました。 両方とも銀座にある有名デパートでしたが、松坂屋の方が楽しかったかな。 周りが有名洋菓子店、和菓子店ばかりだったので賞味期限が切れてしまったものを貰うことも多かったです。 マキ○ムのチョコレートケーキやゴ○ィバのチョコレート、フォ○ョンのパンなどを貰えた日はラッキーでした(滅多にない)。
高島屋のお中元包装バイトもしました。 ここでバイトする人は主婦の方が多かったです。 黙々と山のような商品を包装していくのですが、コツコツやる地道な仕事が好きなので苦ではありませんでした。 体力だけが勝負の仕事だったのでまさにわたしに打ってつけの仕事でした。 今頃あの配送センターも忙しいだろうなあ。
結婚後は超円安で(79円)家計が火の車だった時に西武デパートのアルバイトの面接を受けました。 バイトの理由は円安で家計が苦しいと正直に告げたところ、同情して採用してくれたのですが、採用先が希望の地下食料品街ではなくて紳士服売り場だったので断ってしまいました。 一度デパ地下を経験してしまうと他の売り場では働けません。
以上がわたしが経験したアルバイトです。
しかし憧れのバイトもありました。 それはタワーレコードの店員、アンナミラーズの店員(恥)、チケットぴあの店員です。
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