Brian Jones
1942年2月28日生−1969年7月3日没
破壊への坂道を転がり落ちていった金色の髪、青い瞳の美少年
ローリングストーンズの女性ファンだと大抵ミックやキースというような場合が多いのですが(ちなみにわたしはキース)、これが男性ファンだとキースはもちろんのことブライアン・ジョーンズの名前もよく挙がります。 ストーンズファンでバンドを組んでいる人にもブライアンを好きな人はかなりいます。 わたしの高校時代の同級生N君はブライアンの大ファンで、ブライアンの短くて破滅的な生き方からある種の人生哲学みたいなものを感じていたようです。
どこのバンドにも一人はブライアンのような厄介者、手におえない者がいることが多いです。 同じ時期にはピンク・フロイドのシド・バレット、ドアーズのジム・モリソンがそうだと思います。 特にブライアンとシドはバンドの設立重要メンバーでもあるにもかかわらず、ドラッグのやりすぎでおかしくなってしまい、終にはバンドを解雇されてしまいました。 またジム・モリソンがパリのホテルで亡くなった日はブライアンが亡くなった日からちょうど2年後の1971年7月3日でした。
ブライアン・ジョーンズのことを彼こそが真のRolling Stoneだ!と言い切る人もいたりします。 楽器演奏のテクニックうんぬんよりもその存在自体が破壊的で強烈だったせいかもしれません。 確かにストーンズ設立当時のブライアンはバンドのリーダー的存在でした。 バンドの中でミックやキースよりも音楽的素質があったのもブライアンでした(バンド設立当時)。 しかしながら既にこの頃から私生活は荒れ放題で、15歳にしてすでに子供の父親だったそうです。
外見も他のメンバーよりハンサムだったので、ミックが「Old Lip Lovers」と呼ばれたのに対して、ブライアンは「金髪の美少年」でした。 後にキースの妻となるドイツ人モデル、アニタ・パレンバーグをミック、キース、ブライアンで取り合ったようですが、彼女をゲットしたのはブライアンでした。 メンバーの中で楽譜が読めて学問的な音楽教養があったのもブライアンでした。 なので他のメンバーは(特にミックとキース)ブライアンに対してライバル心と嫉妬心を感じていたと思います。 しかしながらそのブライアンに対するひけめが優位に変るのもそう時間はかかりませんでした。 ブライアンがだんだん壊れてきてしまったからです。
バンド初期の頃はどうにか他のバンドメンバーとの関係もまずまずだったようですが、ミックとキースがバンドの実権を握るようになってからはブライアンの存在はだんだん薄いものとなってしまいました。 またドラッグへの依存もますます強いものとなりレコーディングやツアーでの演奏に支障がでるようになってきてしまいました。 そうなるとブライアン抜きでレコーディングに臨むことも多くなりました。
一部ではミックとキースに相当いじめられていたと噂されていますが、本当のところは、ほとんど相手にされなかったとの方が正しいのではないでしょうか。 なぜならその頃にはもう完全に頭がイカレテしまっていたからです。 そしてレコーディングにも参加できない、バンドのお荷物状態になっているブライアンに見切りをつけよう、との案がでます。 ミックとキースはブライアンにクビを言い渡す仕事をチャーリー・ワッツに依頼しました。 ああ、なんて可哀想なチャーリー。 チャーリー談『俺はのばしのばしにしていたんだ。でもそのまま永久に逃げ回ってるわけにはいかないしね。友好的は話し合いだったけど、あんな嫌な思いは生まれて初めてだったよ。葬式なら1回で終わる。ところが相手はこれからも顔を合わせなきゃいけない人間だ。辛かったね』
そうして1969年6月9日、ローリングストーンズはブライアンの脱退を正式に発表しました。 周りが心配するほどブライアンはこの脱退=解雇を気にしていなかったようです。 しかしながら最後まで自分の曲が使われなかったことにこだわっていたそうです。 脱退からおよそ1ヶ月後の7月3日、ブライアンは「熊のプーさん」が生まれた家のプールで溺死体となって発見されました。
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参考文献:ストーンズジェネレーション(宝島社1983年) キース・リチャーズ、彼こそがローリング ストーンズ(CBS・ソニー出版1983年)