憂鬱だった事

理科の授業で行われたフナの解剖です。
当日はフナの解剖をするということで朝から教室内はザワザワしていました。 初めての事だったのでみんな興奮していたのでしょう。 そして理科の時間。 班ごとに一匹ずつフナが配られました。 濃いグレー色した元気そうなフナでした。 もちろんまだ生きていました。 これからメスで解剖されるのかと思うと可哀相なのと恐ろしいのとで直視できませんでした。 班の男子が解剖してくれましたが、自分はフナに生まれなくて本当によかったと思いました。 ほとんどの子が気持ちが悪がってギャーギャー騒いでいましたが、フナの解剖を通して命の大切さも学んだと思います。 しかしあれ以来、魚は切り身以外触れなくなりました。。。

検便検査です。
わたしが小学生の頃は軟膏入れのような小さい容器に入れて提出していました。 高学年頃になると液体入りの容器に変わったような気がします。 どっちにしてもこれはかなり苦痛でした。 便の入った容器をランドセルの中に入れる事がとても嫌だったのです。 また便秘がちな人は親、兄弟のを借りて提出しているらしいとの噂も聞きました。 小学生のうちはそんなに恥ずかしがらずに黒板辺りに備え付けてあった袋に容器を提出していましたが、これが中高生ともなるとさすがに恥ずかしさが生じてきて提出するのも男子のいない時などを選んで提出していました。 特に可愛いと人気のあった人達は朝一番に学校に来て提出していたようです^^;。わたしはこの時保健委員をしていたのでクラスメイト達の検便が入った大袋を保健室まで持って行くのも嫌でした。

汲み取り便所です。
わたしの実家も幼稚園までは汲み取り式だったと思います。 便器の黒い穴に吸い込まれそうで自分の家のトイレでさえ恐怖でした。 父が子供用の手すりを作ってくれましたが、それでも何度か便器の穴に片足を入れてしまいました。 母方の実家は10年くらいまでは汲み取り便所でしたが、ここでは両足落ちました。 思い出しただけでもブルブルします。

ナスの味噌煮です。
今でこそ食べられるようになりましたが、以前は大の苦手でした。 中学の頃、友達の家で試験勉強をしていたらその子のお母さんがナスの味噌煮をおやつに出してくれました。 ひえ〜ナスの味噌煮!! Why!?と思ったのですが、露骨に嫌な顔をしては失礼なので我慢して一口、二口食べて(実際は飲み込んで)わー美味しいですね!と言ったところお母さんからは喜ばれてしまい、友達にはわたしの分も食べていいよ、と言われてしまい、泣く泣く全部食べる羽目になりました。 苦手な物を食べなくてはいけないのは本当に辛かったです。

セミです。
寿命が迫っているセミは怖いです。 元気のないセミは人の顔の前を低空飛行をしたり、玄関前にじっと止まっていたりします。 死んでいるのかと思ってつついてみると「ジジジ」と鳴いてとこちらに向かって飛んでくるので恐ろしかったです。 横浜に住んでいた時は家の周りにセミがたくさんいたので、夏は憂鬱でした。

最後はイナゴの佃煮です。
これでバッタが大嫌いになりました。 ナスの味噌煮を御馳走してくれた友人Kさんが田舎のお土産だと言ってお弁当の中にイナゴの佃煮を入れてきたのです。 ギャー、ご飯の中に虫が!!と思ったのですが、周りにいた部活仲間が「わー美味しそう」「食べてもいい?」と言い出し、みんなしてイナゴをポリポリ食べている光景はまるで恐怖マンガのようでした。 悪ふざけをするフトドキ者も現われ、イナゴを小さい順に一つ一つ机の上に並べたのです。 佃煮と言えども形はバッタそのものです。 みんなは笑っていましたが、わたしは恐ろしくて顔に縦線が入っていました。