George Harrison
1943年2月25日生−2001年11月29日没

Everything else can wait but the search for God cannot wait,
and love one another.

長い間ガンと闘ってきましたが、とうとうジョージは力尽きてしまいました。58歳でした。わたしの好きなアーチストがまた一人この世を去りました。悲しいです。

ジョージの故郷リバプールの市庁舎では半旗が掲げられ、ロンドンのアビーロードスタジオではファンによる記帳や花束が置かれています。そしてバッキンガム宮殿では衛兵の交代儀式の間にビートルズのメロディーが流れました。 「ジョージ ハリスン氏達の音楽は、わたし達の世代の人生の背景をなすものだった。非情に悲しい。」イギリスのブレア首相も外遊先のアイルランドから異例の声明を発表しました。

ジョージと言うと、インド音楽、宗教色の強い作品などが思い浮かばれるかもしれませんが、彼が企画、開催した1971年のバングラデッシュ難民救済コンサートは、後に続くミュージシャンによる慈善事業の先駆けとなり、世間の注目をバングラデッシュのような発展途上国に向けさせることに成功しました。 このコンサートは有名ミュージシャンの顔見せと言った批評もありますが、ロック音楽史上に残る一大イベントでもあり、コンサートの収益、コンサートの模様を収めた3枚組アルバムや映画の収益、全てが難民救済基金にあてられました。

ビートルズのメンバーの中では最年少だったこともあり、しばしば"Quiet Beatle"と呼ばれることもありました。ビートルズ時代の作品はジョンやポールに比べると極端に少ないですが、どの作品も完成度が高く、特に中期後半から解散頃までの作品には素晴らしいものが多いです。それでも後期になってもジョージの作品はアルバムには2曲ほどしか収められませんでした。

それまでビートルズで抑えられていた才能が一気に開花したのが、1970年に発表された3枚組アルバム「All Things Must Pass」です(CDでは2枚組)。ソロデビュー作にしてジョージの最高傑作であるこの作品はプロデューサーがフィル スぺクター、サポートミュージシャンにはエリック クラプトン、ビリー プレストン、リンゴ スターなど気心のしれた仲間達が脇を固めています。このアルバムはジョージの自信作ばかりなので長いアルバムによくありがちな捨て曲などはありません。

1981年、凶弾に倒れて亡くなったジョンに捧げられた曲「All Those Years Ago」が発表されました。この曲はポールとリンゴも参加しています。 この曲が収められたアルバム「Somewhere In England」は当初1980年の12月10日に発表される予定でしたが、その年の12月8日にジョンが亡くなったので急遽発売が延期されました。そして始めからすべて作成し直しました。

日本へは1991年に親友エリック クラプトンと一緒に来日しコンサートを開いています。ここではクラプトンがあの名曲「While My Guitar Gently Weeps」を演奏しています。一部のファンの間では1968年のホワイトアルバムでの演奏を超えられなかったと言う声も聴きますが、ファンにとっては涙ものに違いありません。このコンサートの模様はCDで聴くことができます。

そして2001年、エリック クラプトンは今日本でコンサート中です。既にジョージの訃報は知らされたらしいですが、特にコメントも発表せず淡々とコンサートをこなしているようです。しかしクラプトンの胸中を思うととても悲しく思います。ユタでのクラプトンのコンサートではジョージとの合作「Badge」が演奏されました。ジョージとクラプトンの間にはわたし達が想像する以上の絆があったに違いありません。妻パティがクラプトンの元へ去っても、クラプトンとの友情は変わりませんでした。ボブ ディラン30周年記念コンサートではジョージとクラプトンが仲良くステージに上がっていました。もうあのような姿が見れないと思うととても淋しいし残念です。合掌。


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参考文献: 読売新聞、Roliing Stone.Com、The Beatles Forever