ジャッキー佐藤
1957年10月30日生−1999年8月9日没

女子プロレス界初のスーパースター、ジャッキー佐藤。
リングでは他を寄せ付けない強さでしたが、病気には勝てませんでした。

ビューティペアを知ったのは、わたしが小6の時でした。当時の仲良しが既にビューティペアの大ファンでしたので、彼女からいろいろ話を聞かされているうちにわたしまでファンになってしまいました。それまでは格闘ものは大の苦手でしたが、試合前に歌うビューティペアの姿に感動し、またリングで敵のブラックペアと闘うその姿に感動し、気がつけばすっかりビューティペアの虜になっていました。

ビューティペアはジャッキー佐藤とマキ上田のコンビでした。リングで闘う時はジャッキーが青い水着のようなものを着用し、マキは赤い水着のようなものを着用していました。今では決して考えられませんが、フジテレビが金曜日の午後7時というゴールデンタイムに女子プロの試合を中継放送していたのです。わたしは毎週欠かさずみていましたが、毎回手に汗握る迫力ある試合が行われ、親から度々「テレビ見ながらそんなに興奮するんじゃない」とたしなめられたほどです。

また「かけめぐる青春」という歌が大ヒットしました。二人が試合前にリング上で歌うのですが、その時の衣装がこれまたど派手でまるで宝塚のようでした。女の子の声援と紙テープが乱舞し、ものすごい人気だったのを覚えています。わたしはこの歌が大好きで、レコードこそは買いませんでしたが、今でも歌詞を見なくてもほとんど歌えます。「あなたーから、わたしへ」とジャッキーが唄い、それに答えてマキが「わたしーから、あなたへ」と唄い、そして二人ががちっと手を組むのですが、これがまたとてもカッコよかったのです。

わたしの地元大田区に大田体育館がありまして、ここはプロレスの大きな試合が度々行われることで有名なところです。試合の始まる時期になると新聞屋さんから女子プロのチケットを貰うこともよくありました。小学生の頃は試合を見に行きませんでしたが、中学生になってからは新聞屋さんで貰ったチケットを利用して友達と何度か女子プロの試合を見に行きました。そして念願の生ジャッキーをやっと見ることができたのです。

情けないことに試合の内容はほとんど覚えていないのですが、他のファンに混じって一緒に歓声を挙げて、紙テープを何度も投げたことだけははっきり覚えています。紙テープも最初はどう投げたらよいか勝手がわからず、そのままぼーんと丸投げしてしまい友達の失笑を買ってしまいました。

ビューティペアは実力の面でも超一流でした。昭和51年には、第63代WWWA世界タッグチャンピオンを獲得。またジャッキーは翌52年、相棒のマキが保持していたWWWAシングルチャンピオンも、同年11月に死闘の末、獲得します。そしてタッグとシングルの両方で世界の頂点に立ちました。(参考サンスポ)
わたしはこの時のジャッキーとマキの試合をテレビで見ましたが、見ていてとても辛かったです。できればどちらにも勝たせてあげたかったです。結果、ジャッキーが勝利しましたが、勝負の世界の厳しさをこの試合で理解しました。

昭和62年に現役を引退してからは、川崎市内でスポーツジムのインストラクターをしていました。表舞台からは遠ざかってしまいましたが、日本テレビの「あの人は今」スペシャルでジャッキーの元気な姿を見ることが出来ました。相変わらず気さくで姐御っぽいところがうれしかったです。 そして1999年8月9日、胃がんでこの世を去りました、41歳でした。身内以外では病気のことを知らない人がほとんどで、誰もがジャッキーのあまりにも早い死に驚きました。わたしは葬儀の模様をワイドショーで見ていましたが、なんだかとっても悲しくて、また淋しくて涙が止まりませんでした。


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