ジュース

わたしは昔から柑橘系ジュース(オレンジ)が大好きで、それ以外はあまり飲みませんでした。今は果汁100%ものも多く出回っていますが、当時は10%か20%くらいの薄いものが主流でした。わたしが好きだった銘柄は「バヤリース」と「プラッシー」です。

バヤリースは缶に描いてあった絵が遠い外国を感じさせました。その昔いろいろなメーカーの大きなネオンが首都高の羽田出口付近にあり、もちろんバヤリースのネオンもありました。当時からなんとなくレトロなデザインだなあと子供ながら感じていましたが、夜の羽田空港をバックにピカピカと輝くバヤリースのネオンはとても奇麗で、不思議な雰囲気を醸し出していました。

プラッシーは当時はお米屋さんでしか買えなかったと記憶しています。バヤリースほどメジャーではありませんでしたが、なぜか熱をだして寝込んでしまった時に母がお米屋さんでプラッシーを買ってきてくれました。それ以外ではあまり口にしなかったと思います。製造元がビタミンCでお馴染みのタケダだったので、おそらくそのジュースにもビタミンCが含まれていたのでしょう。そのため、プラッシーと聞くと、熱をだした子供の頃を思い出します。

もう少し年齢が上がると「サントリー50」や「ハイシー50」などを飲むようになりました。サントリー50はCMソングがユニークで、今でもそらで唄えます。『わたし いいます かあさんに オレンジ50 もういっぱい サントリー』というものです。歌詞をよおく見るとおわかりだと思いますが、この歌詞は英文法の主語+動詞+目的語+目的語のSVOOなのです。今でもサントリーのCMは凝ったもの多いですが、当時からCMのセンスは抜きんでていたと思います。

この時代には粉ジュースもよく見かけました。オレンジの粉末がビンの中に入っていて、それを水に溶かして飲むのです。しかしそうしないで、そのビンの中に指を入れてなめる、それを繰り返すという行儀の悪いことする子供達もいました。わたしもその中の一人だったのですが、昭和40年代生まれの子供に虫歯が多いのは、この粉末ジュースのせいだとも言われています。駄菓子屋でも袋入りの粉末ジュースが売られていましたね。

炭酸系では「ファンタ」と「三ツ矢サイダー」です。
今はよくわからないのですが、当時のファンタはオレンジとグレープしかなかったと思います。どちらもあまり好きではありませんでしたが、近所の焼き肉やのオレンジジュースがファンタオレンジだったのでやむなくこれを注文していました。ファンタのCMではいつも最後に「ファンタスティック」というセリフで終わっていました。わたしも真似をして言っていましたが、発音がとても難しかったです。

三ツ矢サイダーは東京12チャンネル(現テレビ東京)の夕方のマンガのスポンサーでした。当時の12チャンネルのマンガはアメリカのマンガが主流でした。で流れていたのが、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を真似したようなCMソングでした(と思う)。

コカコーラのようでしたが、それほど人気が出なかったのがドクターペッパーです。今飲んでもあんまり美味しく感じませんが、子供のなぞなぞで「お医者さんがトイレに入って用をたしたあと、紙がないのがわかりました。さてここでお医者さんはなんていったでしょう?」という問題が流行りました。答えは「ドクターペーパー=ドクターペッパー」です。

炭酸系はイマイチ苦手で全部飲みきれませんでしたが、炭酸系ではないものの、不二家のネクターも甘すぎて全部飲みきれませんでした。甘さが濃厚でどろっとしていて最後には飽きてしまうのです。ここのレモンスカッシュは美味しかったです。

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