Monterey Pop Festival
【4】愛の不在
SF音楽シーンの代表でもあるThe Grateful Deadは、イベントがLA式スタイルの管理であること、また特にチケットの値段が高すぎることについて不平をもらしていた。 彼らはGolden Gate Parkでのフリーコンサートに似たやり方で、もっとゆったりとした柔軟に構成されたコンサートを好んでいた。 フェスティバルではBuffalo Springfieldが呼び物の一つとなっていたが(バッファロースプリングフィールドはLAバンド)、ほとんどのLAバンドはかなり流行遅れだと感じていた。
もちろん主催者側はそれに対しては違う見方をしていた。 彼らはフェスティバルを最高にカッコイイもの"super groovy”にしたかったのだが、正常に計画されたフェスティバルでない限り、町議会からはフェスティバル開催OKのサインが出なかった。 モンタレーポップフェスティバルは今後将来開催されるフェスティバルのモデルとして取り上げられるだろう、と主催者側は常に実感していた。 故に、彼らはフェスティバルを正しいやり方で成功させなければならなかった、さもなければ、再びこのような大規模なロックフェスティバルを開催できない恐れがあったからだ。 事実ロック史上初の大規模フェスティバルになるのだが、6月16日に開催されるまでに、早急に対応しなければならない問題もまだまだあった。初日の午後までには全てのチケットは完売され、チケットをもたない人々も(少なくとも3万人)既に到着していたのだ。
押しかける客や、割り込む者らの数を減らす為に、スピーカーがゲートの外側にも設置されたので、中に入れなくても音だけは聴くことができた。 モンタレー市民が恐れていたレイプや強奪などの、いくつか予想された問題は全く発生しなかった。 彼らはヒッピーらの幸福に輝いた微笑や、彼らがかもし出す全体的な心地よい雰囲気にあっけにとられていた。 警察は奔放なマリファナ吸引には目をつぶってくれていた。
フェスティバルは、金曜の晩、土曜の午後と晩、日曜の午後と晩の5つの公演で構成されていた。 金曜の晩はどこか予行演習みたいなものだった。 才能はあるのだが、このフェスティバルでは場違いだったAssociationがオープニングに登場し、次いでどちらかと言えば無名だったカナダバンド、Paupersが登場し、観客から快く迎えられた。 その後何組かのバンド、アーチストが出演したが、その晩の目玉は何といっても、新生Animalsを率いてイギリスからやってきたEric Burdonだ。 「House of the rising sun」を唄い、John Weiderのバイオリンで、ストーンズの「Paint it Black」を猛烈なBurdon節で唄い上げた。 最後のステージにはSimon and Garfunkelが登場し、彼らは唯一ロックをしないアーチストでもあった。
【5】黒人アーチスト不在のBlues
黒人アーチストを欠いていたけれども、土曜日の午後はBluesタイムだった。 まず最初のアーチストは白人ブルースバンド、Canned Heat。 彼らはここで欠いていたものを、つまりブルースの信憑性と認識の穴埋めをした。
このフェスティバルで成功したのは、Janis Joplinがボーカルを務めるBig Brother And The Holding Companyだ。 その音は生々しく、厚かましく向こう水で非常にエキサイティングであり、観客から熱狂的な拍手喝采を浴びた。 彼らの成功は賞賛の批評を得、コロンビアレコードからは臨時ボーナスとして、夜の部の出演をあてがわれた。 彼らは、"彼らの後は演りにくい、簡単には真似ができない"、ということをここで証明したのだった。 仲間のベイエリアバンドであるCountry Joe and The Fish、Quicksilver Messenger Service、Steve Millerなどが後に続いて最高の演奏を試みたが、残念ながらどれもベストとは言えるものではなかった。
午後のあいだ、丘の向こうのフットボール場ではGrateful Deadがその週末のベストミュージックを何曲か演奏していた。 彼らはフェスティバルの模様を収めたドキュメンタリー映画のためにピースサインを披露することさえも拒否していた。 彼らはどうしても"LA bureacracy(LAサイドによる官僚主義のようなもの)"と手を結ぶことができなかったのだ。
土曜日の晩のステージはごちゃ混ぜ、多種多様だった。 SFバンドのMoby Grape、 Jefferson Airplane、 The Byrds、 Hugh Masakela、そしてシンガーソングライターの Laura Nyroらが登場した。 しかしこの晩一番の盛り上がりを見せたのは、最後を飾ったOtis Reddingの素晴らしく見事なステージであった。
日曜の午後は全体的にRabi Shankarに任せられた。 そして夜の部の公演はフェスティバル最高の盛り上がりを見せた。 Grateful Dead、The Blues Projectの後にThe Whoが登場し、視覚的、聴覚的にも観客の度肝をぬいた。
発煙筒を発射し、ギターを床に強打しているPete Townshendの姿は観客の理解を完全に超えていた。 The Whoに続いて、Jimi Hendrixは実際にギターに火をつけたのだ。 それらの演奏の後では、次に登場するBuffalo Springfieldは既になすすべがなかった。
フェスティバルはほとんどの段階で成功を証明していた。 フェスティバルのモットーは「Music(音楽)、Love(愛)、Flower(花)」であり、60年代ヒッピー達にとってモンタレーポップフェスティバルは「エデンの園」のようなものだったのだ。 フェスティバルで稼いだ20万ドルはチャリティーへ寄付され、開催中危惧されていた怪我人や逮捕者の報告もなかった。
モンタレーポップフェスティバルは1968年に上映された「Monterey」で永遠に語られることだろう。 映画の目玉は、文句なくThe WhoとJimi Hendrixのパフォーマンスであり、 Janis Joplinの"Ball and Chain"の熱唱である。
またJefferson Airplane、 Otis Redding、 Country Joe and The Fishらの素晴らしい場面もある。 映像は初の大規模コンサートであったフェスティバルのフィーリングを見事に捕え、ロック世代の人々が自分自身に気が付いた瞬間をも映し出しているのだ。
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