夏休み
夏休み最大の楽しみは海に行くことでした。
小学生時代は海水浴場と言ったら神奈川県の三浦海岸です。 クラゲが出る、虫がたくさん浮いている、ワカメが身体につく、水が汚いとは言ったけれど、なんだかんだ文句を言っても一番多く出掛けたのは三浦海岸でした。 朝のラッシュ前に京急の電車に乗り、1時間弱で到着です。 三浦海岸駅の改札口を出ると、もうそこからいろんなお土産の売店が目に入り、浮き輪やサンオイル(日焼け止めローションなんて絶対に買わなかった)、ピクニックシートなどを調達したものでした。
海水浴場に着くと、まずしなくてはいけないことは「海の家」探しでした。 どこも同じようなトタン作りの簡素なものばかりでしたが、決めては呼び込みのおじさんやお兄さんの人柄が良さそうなところです。 ここでの食事はラーメン、おでん、焼きそばなどがメインで、その他にはホットドッグや焼きイカ、とうもろこしなどがありました。
海の家といっても板の間にビニール製のござが敷いてあって、そこにお茶の間テーブルが置いてあるだけなのですが、そのチープな作りが結構好きで、注文したファンタオレンジを飲みながら「ファンタスティック」とおどけた小学生はわたしだけではないはずです。
しかしどうしても使用できなかったのが、海の家のトイレでした。 ほとんどのトイレは海の家の裏にありましたが、生まれてから一度も使用したことがありません。 なんか汚いイメージがあってう○こ以外なら海で泳ぎながらしちゃった方が手っ取り早かったのです。
小学生だったので、水着はもちろん紺のスクール水着です。 水着うんぬんよりも、とにかく海で泳げて遊べればよかったので外見にはまったくこだわっていませんでした。 今は日本の子供でさえ日焼け止めクリームを塗る時代ですが、わたしらの子供の頃は全身にサンオイルを塗りまくり、小麦色を超えてチョコレートのように濃く焼けるのがイケテいた時代でした。
三浦海岸は若者も多かったですが、それ以上に多かったのが親子連れです。 時にはおじいさん、おばあさんも加えた家族総出のところも多く見かけました。 真夏の最盛期には人、人、人で砂浜が見えないくらいでした。
と小学生時代は東京湾の三浦海岸、またはその先の油壷などに行きましたが、中学生になると逗子へも行くようになりました。 高校生になるとサザンの影響もあってラジカセ持参で相模湾の江ノ島や由比ガ浜へ行くようになりました。 OLになると伊豆の白浜や千葉の房総方面にも足を運ぶようになりましたが、やはり海水浴場といえば三浦海岸の文字が真っ先に浮かんでしまいます。
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