カミングアウト(ゲイ告知) 「巡り逢い 君のすべての 真による 愛があるのは 希望の光」 ブラッド書 歴史 子供の時からずっと、僕の友達はほとんど女だった。今でもそう。スポーツできないし、一般的な「男らしい」トピックに興味ないし。高校時代、彼女もいなかった。その時、僕は純真なキリスト教徒だった。キリスト教は、同性愛に関して、結構厳しいから、その時、男性の体に興味があると気付いたけど、僕は「ゲイ」と認められなかった。聖書で殺せって書いてあるんだよ。信じられない。 ほとんどの人は、大学時代、いろんな体験をできるけど、僕の大学はキリスト教の大学だったから、生活は本当に正しかった。酒を飲んでないし、タバコを吸ってないし、Hも一度もしてない。実は、凄く純粋、無垢な人だった。(夢の中、男とのHしたけど、それは別でっしょう?) 日本 大学卒業したから、良く探したのに、いい仕事を見つけれなかった。その間、三重県の松阪市に住んでる友達は、「日本に来て、仕事を見つかった方がいいんちゃう?」と言って、日本に行こうと決めた!だから、24歳のブラッドは、日本に行った。 最初のセックスの経験は、英語の雑誌に出会った日本人の男とだった。その男と付き合わなかったけど「僕はゲイだ」と確かめられた。 カミングアウト はじめに、日本にいる一番良い友達にカミングアウトをした。彼女は、「やっぱり。最初会った時ブラッドはゲイだと知ってったよ!」と答えった。彼女にとって、問題はないし、全然びっくりしてない。それから、カミングアウトは簡単だと思った。 何ヶ月後、地方情報誌で会った日本人男の子と付き合った。最初の彼氏だったから、すごく嬉しかった。結局(と言うか、2年後)彼は悪い人だと気付いて、別れたけど最初の頃の彼は良かったので、彼の為にそして自分の為に親にカミングアウトしようと決めた。カナダへ帰る1ヶ月前から、いろんな本を読んで、ネットでカミングアウトの情報を探して、プランを作った。しかし、上手く作ったプランでさえ、思ったより大変だった。 クリスマスの休みだった。12月27日。親と一緒にリビングに座って、お茶を飲みながら、言ってしまった:「僕はゲイです。」お母さんは、立って、座って、立って、部屋から出た。お父さんは、びっくりしたのに、「あまり分からないけど、あいしてるよ」と言ってくれた。その後、お母さんと長い話をした。お母さんは僕を傷つけた。やっぱり、お母さんは驚嘆して、本当にひどい事を言ってしまった。今でも思い出したら、涙が出るぐらい悲しい。
嵐の後の静けさかな。 日本に帰って来たら、いろんな友達からいっぱいメールが届いた。皆は賛否両論だった。そのメールの数は信じられないぐらい多くて、全部返信できなかった。その事で、少し距離が開いた。だから、今でも、後悔してる。カミングアウトの過程は終わってわけじゃない。今でも、知らない人はいるし、まだ話してない人に会った時、それをすべきか、自分でその度に、決めないといけない。今は生徒にゲイについての話をして、理解してもらうために、社会的貢献をしているけど、自分の身を守るために、自分のことは話す事はできない。他の話もあるけど、あとは推測を。でも、一番大切なのは彼氏のノブ君です。1999年の12月、日本語の掲示板で見つけたノブ君と会って、付き合った。2002年に二人がニュージーランドで一年間生活をして、2004年にカナダのバンクーバーに引っ越してきた。2005年3月にノブ君がカナダの永住権を取れた。良ければ、僕らのカップルのページを見てね! 読んでくれてありがとう。 |