僕も今日までそれなりに生きてきたわけだけど、なぜ生きてきたのかは分からない。 物事にはそれなりの理由があってしかるべきだと思う。下らないものにだって 下らないものなりの理由があるべきだ。でも、僕はどうして生きてきたのだろう。 今日それを考えると、自分の存在の意義なんて全く無いように思われる。 僕がこの世に存在したかしなかったかはいかなる物事の終局的な結末にも なんら影響を及ぼさないであろう。全てのものはゼロから始まりゼロに戻る。 その過程には意義は見出せない。過程がどうであろうと結果は同じゼロなのだろうから。 僕らはその過程の中で生活している。そして僕の人生も全過程の小さな一部分を 構成している。僕はそのことに意義を見出そうと努力したし、ちょっと前までは 自分の見つけた意義を信じ込んでいた。家族を守ったり、友人と語り合ったりした。 そんなささやかな存在意義でも、信じ込んでいる間は僕の心を充分支えてくれた ものだった。その期間中、それらは紛れも無く「大切な物」に感じれられた。 そう信じ込むこともまた努力の産物だったとしてもだ。
今は21時だ。外は静かで空はいつもより明るいような気もする。 僕はなぜこんなに落ち着いているのだろう。少し寒い。 机の上の、読み返している途中の「ノルウェイの森」の下巻の表紙だけが この部屋でただ一つの色のついたものに思える。
僕は半年前に支えを失った。いや、恐らく全ての人が支えを失ったのでは ないだろうか。もし、支えの無い状態で今後もずっと生きろといわれたなら 世界中はパニックに陥っていたはずだ。しかし、そうはならなかった。 半年前から、世の中は奇跡的とさえ思えるほどの静けさに覆われている。 人々はどういうわけか優しい気持ちになっていった。世界は有史以来かつてない ほどに平和になった。なぜだろう。答えを見つけ出すにはあまりにも時間が無いが、 これだけはいえる気がする。この優しさは、平和は、寂しさであふれている。 みんな自分の孤独を忘れようとしているのかもしれない。そして、「期限」付き だったから。
本棚の上に子どものころ河原で拾った石ころが置いてある。
なぜこんな物を大切にとっておいたのだろう。思い出せない。
その石ころもなんだか僕に似ているような気がしてきた。
どうしてお前は存在しているんだ?お前はいったい何がしたいんだ?
そして明日になれば、いや、今でもその石ころと僕には同じ位の価値しかないのだ。
気付かなかったな。僕は石ころより偉くなんてなかったんだ。
窓から空を見上げる。いつもよりはるかに大きく見える月が空を隠していた。 非現実的な光景だ。この距離なら結構らくに月まで旅行できるかもしれない。 でも、ここから見る月はあまり観光地には向いていないようだった。 透き通るような、限りなく白に近い肌色の月だ。
月が視界に占める割合が少ずつ増していくのがわかる。 僕以外にも多くの人間が今、月を、ゆっくり近づいてくる最期の時を 眺めているだろう。
「君は僕に何を話したいんだい?」
自分に問いかける。
人類の滅亡まであと三時間。今夜は静かだ。