えっ、イラク復興支援っていいことじゃないの?
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「イラクの人の声に耳を傾ける」

秋貞 早苗

私は、6月12日から1週間、
イラク国内を旅してきました。
ヨルダンから国境を越えて、
バグダッド、カルバラ、バスラを周りました。
強い陽光を浴びながらの旅でしたが、
たくさんの魅力的な人々との出会いがあり、
楽しく、幸福な旅でした。

たった1週間だけ。
広いイラクのほんの1部分を垣間見ただけ。
だから、自分が危険な目に遭わなかったからといって、
今、イラクは危険ではない、安全だなどと
言い切ってはいけないということはわかっていますが、
日本でマスコミから伝えられる情報が、
あまりにも事実とずれていると感じたので、
私が体験してきた6月のイラクのことを
できるだけたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。

「イラクはまだ全土が戦闘地域」だということが、
最近、よく、TVの報道番組などで言われます。
自衛隊の派遣の是非について、
戦闘地域への派遣なのか、
非戦闘地域への派遣なのかということが、
焦点になっているからだと思います。
私は、自衛隊の派遣には反対ですが、
反対の理由は、イラクが、戦闘地域だと思うからではありません。
イラクの人たちが待っているのは、自衛隊ではなく普通の市民で、
今のイラク国内は、気をつけるべきことに気をつけることができれば、
普通の市民が訪れても大丈夫だということを肌で感じてきました。
イラクの支援は、自衛隊ではなく、NGOや個人のボランティアで
やっていくことが大切だと思います。

今回、イラクに入国するまでは、私たち日本人はアメリカの
攻撃を支持してしまった国の国民ですから、もう、すっかり、
イラクの人に嫌われてしまっているだろうとと思っていました。
でも、違いました。
ぜんぜん、嫌われていませんでした!
日本政府の決めたことと、多くの市民の願いとが、
決して同じではないということを、
イラクの人たちは、わかってくれていたのです。
「アナ、ヤバニェ(私は日本人です)」と、
あやしい発音のアラビア語でいう度に、
嬉しそうな、歓迎の笑顔に出会えました。
イラクの人の「親日」の思いは、
今も、続いているのです。

イラクの人たちは、
「聞いて欲しい」と思っています。
戦争で受けた被害のことを、
これまでの圧制の苦しみを、
今、助けを借りたいのだということを。

バグダッドで出合った若者は、
爆撃で破壊されてしまった自分の車の前で、
その車が家族にとってどんなに大切な車だったか、
めちゃくちゃに壊れてしまって、今、どれだけ困っているか、
私に教えてくれました。
バスラの老人ホームのおじいさんは、
略奪が行われた夜、怖くて声もあげられず息を潜めていたこと、
付近の住民が助けてくれたことなどを、
一生懸命、話してくれました。
カルバラの知的障害者施設の施設長は、イラク政府がなくなってからは、
60人の入所者の食糧をスタッフがお金を出し合って購入していること、
衣類が足りなくて困っていること、入所者の通院のために、
どうしても車が必要なので、なんとか手に入れたいんだと
いう願いを語ってくれました。

もし、自衛隊がイラクに派遣されたら、
自衛隊員には危険が付きまとうだろうと思います。
自衛隊は、今回、イラクの人たちの生活のためではなく
アメリカという国を支援するために派遣されるようですから。
家族や友人を殺されたなら、
米兵への怒りや憎しみは当然でしょう。
大切にしている宗教上の習慣をを理解してもらえないなら、
英兵に敵意を持つのは無理のないことかもしれないでしょう。
だから、
米兵や英兵にとって、
イラクは、今も戦場。イラク全土が、戦闘地域。
米兵を支援しに行く自衛隊にとっても、
イラクは、常に危険な戦闘地域だということになってしまうでしょう。

でも、その危険な戦闘地域が、
市民にとってはJokeの飛び交う生活の場であり、
「非戦闘地域」なのです。
普通に買い物ができ、
タクシーをつかまえてあちこちに行くことができ、
たくさんの親切な人との出会いがある場所なんです。

8月に、また、行きたいと思っています。
あちこちで頼まれた、小さな約束を果たすために。

イラクの街を歩き、
イラクの人たちと触れ合い
その声を聞くこと。
しっかりと耳を傾けること。
今、
いちばん大切なことだと思います。

イラクの人たちと、しっかり心をつないでいきたい、
そう思います。

えっ、イラク復興支援っていいことじゃないの?
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