Village air raid: error or an act of terror?
村を空爆: 誤爆か、テロか?
翻訳者 : 安廣
村を空爆:誤爆か、テロか?
B-52により死者多数
リチャード・ロイド・パリ−(ジャララバード)
2001年12月2日
ラル・グルが昨日の朝カマ・アド(Kama Ado)の村を歩くと、B-52が頭上をかすめることは殆どなかった。しかし、彼の目にはこの村には誰も生存者はいないように映った。
民家は倒壊し、木造の屋根は30分前に起きた4回にわたる爆撃で燃えていた。「子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえた。」と、隣村の農民、グル氏は言う。
「すると、少年とその祖母が私たちの方に向かって歩いてきて、『助けてくれ、助けてくれ』と言うのです。村には30軒以上の家があって、200人以上が住んでいた。40人家族のうち生き残ったのはこの子と、彼のおばあさんだけだった。」
10歳の少年イクバル・ウディンは、でこぼこ道を3時間も車に揺られ、グル氏によってジャララバードの病院に運ばれてきた。彼は静かにうめき声を上げていた。お腹には榴散弾を浴びた傷跡に包帯が巻かれていた。肋骨が一本折れ、爆弾の衝撃で肺が潰されていた。
ここからオサマ・ビン・ラディンが隠れているとされるホワイトマウンテンまでは陸路で丸1日かかるが、B-52のコックピットからは恐らく距離があるようには見えないのだろう。なぜ爆弾がカマ・アドで落とされたかを他にどうやって説明できるだろうか。グル氏は言う。「あの村でタリバンを見たことは一度もない。オサマのアラブは遠くにいる。私たちは貧しい。お金があればとっくにパキスタンに逃げているさ。」
ジャララバードのムジャヒディン司令官からの報告によると、金曜の夜と昨日の朝の米軍による空爆で少なくとも65人が、おそらく300人以上が死亡した。ジャララバードの治安担当者、ハズラート・アリ氏によると、マイラジュディン地区の二つの村では50人の死亡が確認された。「合計では100人を超える可能性がある。」昨夜語った。
マイラジュディン地区での死者は、「ホワイトマウンテン付近のトラボラへのビン・ラディン追跡」というアフガン戦争の新たな段階に入ってから初めて、民間人に犠牲者が出たケースである。午前中ジャララバードには、地図にも載らないような小さい村で空爆が行われたという話が、他に最低4件は少しずつだが入って来ている。それらの報告は未確認だが、グル氏の報告によりカマ・アドで起きたことがどのようなものであったかがよく分かった。
空爆は、ムスリムがラマダンの夜明け前の食事をとる午前3:30頃始まった。村人の殆どが家にいた。
カーリルという名の若い男もまた病院にいた。腕の骨が折れ、頭に巻いた包帯は血まみれだった。彼が生き残った理由はただ一つ。用を足すため食事を中座していたのだ。そして、家族が食事をしていた家が爆弾で破壊されたとき、彼は木の下でしゃがんでいるところだった。「無我夢中だったが、親類がたくさん死んだのを見た。」と語った。
カマ・アドへの空爆は全くの誤爆であったのか、それともそれには無慈悲な理論があったのだろうか。アルカイダのメンバーがひそむトラ・ボラ近辺には周辺の村にネットワークがあり、現地の人にお金を払って食料を調達してもらっていた。
「これはわれわれの側の失敗だ。」アリ氏は言う。「彼らはアメリカに協力して、アルカイダのキャンプがあるという間違った情報を流していた。しかし、そこにはアルカイダはいないのだ。」北部同盟の外相アブドゥラ・アブドゥラは昨日カブールでビン・ラディン氏はトラボラでなく南部にいると思うと語った。
翻訳専門家ではないボランティアスタッフが訳しています.
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