パラグライダーをやってるんだというと、「こういうやつでしょ。」といってネコのように両手を前に差し出して、なにやら水平の棒のようなものを掴む格好をする人は多い。そのたんびに僕らはいわなければならない。
「それはハングだよ・・・。」
そして、おかえしにネコの手を肩に並べてみせ、そのあどけないかっこうでもって簡単な説明をする事となる。
友よ、パラグライダーを知ってくれ。
そんな気持ちを込めて、簡単なパラグライダー啓蒙ページを作ろうと思う。
目次
パラグライダーが始まったのはいつ頃かという問いに答えるのは、あまり簡単ではない。ともかくパラシュートのようなもので空を飛んだ事をさすのなら、1620年(370年前!)に塔から布と木でできた道具で飛び下りたFaust Veranzioという人や、1797年に気球から飛び下りたMontgolfier兄弟などがいる。さらにくだって第一次世界大戦、第ニ次世界大戦をつうじて進歩した飛行機からの脱出用パラシュート(ノルマンディー上陸作戦での降下用)などもあるが、これらは今のレスキューパラシュートのようなものであって、操作性も乏しくパラグライダーとは言い難いだろう。(でもおかげでスカイダイビングは新しいスポーツの仲間入りを果たす事になった。)では、今日のような操作性、安全性をもち、スポーツとして普及していくパラグライダーの発祥はいつ頃なのだろうか。
脱出用(飛行機からのダイブ用)のパラシュート以外にもパラシュートの使い道が考えられ始めたのは、1970年代アメリカでのことだったようだ。登山家が、山に登ったあとのスピーディーで経済的な下山手段として、パラシュートに注目したのである。実際にそれを実行したのはドイツ人のDr.DieterStrasillaというエンジニアで、彼はSky-Wingという平らなパラシュートをもって山から飛び下りた。この頃が、今日のパラグライダーの考え方のはじまりのようである。彼はこの道具で、山をのぼりおりする事を夢見ていたからだ。
パラグライダーの楽しみは、それをうまくあやつる事で登山なら何時間もかかる高度を数分で獲得でき、ときにそれを瞬時に失うというところだ。それをパラグライダーの条件とするなら、このあたりが発祥時期といえると思う。このころ、さきにでたハンググライダーはスポーツとして確立しつつあったがパラの普及にはもう少し時間がかかった。
その後の発展期はおいて、今のようなパラが実際に日本に入ってくるのは今からおよそ10年すこし前のようだ。はじめパラをしたのは、登山家の人や、ハンググライダーをやっていた人が中心で、お互いの技術を出し合ってエリアなど整備されていない山を飛んでいたという。それからわずか十数年。全国に百ケ所をこえるエリアが出来、何十万もの人(一日体験含)がこのスポーツに接するようになった。日本には起伏に富む地形と、四方を海に囲まれた島国という条件があったので、それも自然なことだろう。
エリアにたくさんいるおじさんたちは、この黎明期をくぐり抜けてきた人も少なくない。一度はなしを聞いてみると、その歴史や苦労がわかるので、おもしろいものだ。
参考文献:アエロタクトインフォメーションvol.1その他
では実際にパラグライダーとはどんなふうに飛んで、どんなふうに降りる事ができるのかを紹介しよう。
ト思ったけど面倒なのでまたこんど
とりあえず右はテイクオフの様子
パラは面白い、面白いといっても年がら年中飛べるわけではない。はるばる山までいっても、やれ風が強い、風の向きが悪い低気圧が近づいているなどなど飛べない事はしょっちゅうだ。大会だって成立しない事も多い。
そんなときいちいち腐っていたんではお話にならない。
そんなときこそ、いやむしろ、そんなときしかできない事は実はたくさんある。温泉にいくもよし、酒を飲むもよし、マウンテンボードで怪我してみるもよし、またつもる話をするもよし。なにしろ火山大国だから、日本全国だいたいどこのエリアも温泉はつきもので、そこら中から熱いお湯が吹き出ているのだ。パラフライヤーはいつの間にか全国の温泉通になっていく、という噂は必ずしも嘘ではないのだ。
そして、最近の地ビールブーム。宇都宮にも人よんで『バナナビール』という地ビールがあり、その味に取り付かれたフライヤーは数知れない。地ビールのみならず、各地の地酒はその土地の水、におい、あらゆる個性を盛り込んで僕たちをもてなしてくれる。九州の『亀の井』は、全国のアル中学生(ある中学生ではない)を狂喜乱舞させたし、なによりも玖珠町の味だった。他にもそんな酒との出合いはフライヤーなら誰でも知っているたのしみだ。しかし、こんなことバッカスいってると、アル中の温泉好きのおやじになってしまうので、もっとほかのたのしみを。
先にいったマウンテンボードは、講習バーンの傾斜をうまく使えるために多くのエリアに置いてあり、その普及に一役買ったことはまちがいない。うちのサークルも、一部(極一部)の人間が『ビー部』と称して、くんずほぐれつフリスビーを投げあっている。パラカイトとでもいうのか、パラの形をしたカイトを飛ばす姿もよく見る。風が強いだけなら、自分のグライダーや、人のグライダーを使ってその風とたわむれ、テクニックを磨くことも楽しい。どれも広い講習バーンや、風通しのよい山なればこその遊びである。
まあ、あんまり力んで書くとむしろその感覚は伝わりづらいかも知れない。
なにしろ自然の中でゆっくりとした週末を過ごせるというのが、パラの楽しみの共通項なのだから。