高橋正平氏、ローラーブレードで大クラッシュ!!

  

セントラルパーク一周を終え、疲れきっている二人の男

 貴子さんとのデートのあと、今度こそ正平さんにあおうと、週末のニューヨークの街へ繰り出した。僕にとってこの街最後の日でもあったので、なんとか目標を果たせることとなって、ほっとしつつとても楽しみに二人のアパートに向かった。

 先日のアパートにつき、改めてスげーと思った。入り口が余りにも豪勢なのでその回転トビラをくぐりかねていた僕によってきたごつい警備員が「なんかようか?」といってくるまで、ほんとにここに住んでんのかと思ったくらいだ。その警備員に「ミスター高橋にあいたいんだ。」というと、そいつはぼくをにらみながら正平さんに電話して「長縄という男があいたがっている。」といい、正平さんの許可をとってからやっととおしてくれた。部屋につくと、そこには見なれたふたりがいてなんか不思議な感じがした。「おー、次郎よくきたなー。」と正平さんはいつもの渋い声でむかえてくれた。

 キッチンと二つの部屋、そしてバストイレ。白い壁の清潔な感じがし、壁には正平さんはあまり気に入ってないという絵がかかっていた。その部屋からのながめは右の写真。そんな写真をとりまくったり、しばらくくつろがしてもらって、ローラーブレードをしにいく事になった。

 この街でのローラーブレードの流行りようはすざまじいものがある。歩道はおろか車道も容赦なくかけめぐり、中には車のバンパーに掴まって車と同じ速さで疾走しているのまでいたのに、はじめはおどろいた。しかし、運動神経にはある程度自信のあった僕は、そんなに難しいもんだとはおもっていなかった。彼等くらいとまではいかずとも、自由にのれると思っていた。甘かった。

 三人でレンタルしてセントラルパークまでいってからその靴をはいた瞬間、僕はこけた。カメラ片手に、なんとか壊しはしなかったものの、危ないところだった。これは用心しなければいかんとおもい、正平さんたちのあとについていくことにした。正平さんもこっちにきてから始めたので、スイスイとまではいかないまでもうまいものだった。貴子さんも慎重に乗りこなしている感じだった。僕ははじめ、ついていくのに精一杯だった。

 セントラルパークは、マンハッタン島のまん中にある巨大な公園だが、そのなかには周回コースのようなものがある。それが、公園のメインストリームのようにぐるりと公園のふちをなめている。僕たちはそのメインストリームに合流しようと、靴をはいたところからはしりだした。と、そのときのことだった。僕の目の前を走っていた正平さんが大転倒した。合流地点の混雑に、スピードをつけたまま突っ込んだのだ。あとをついていた僕ももちろん仲良く転び、貴子さんも続いた。三人の連続転倒に周りの人達は笑うどころかとても驚いたように心配そうにこっちをみた。僕たちは、笑うしかなかった。正平さんは太もものうらのジーパンがきれて、痛々しくすりむけていたし、たかこさんもひじをすった。僕はなんとか怪我はなかったが、カメラのキャップが飛んだ。やはり、難しいスポーツのようだ。ハッキリいってパラより危険を感じる。

 しかし、はじめのクラッシュで少し慎重になったものの、三人はまたスピード(調子?)にのって、メインストリームを流れる人の群れのなかにすこしずつとけ込めるようにはなってきた。そうなると、僕も正平さんもかなりのスピードが出せるようになったが、次第に貴子さんがおくれはじめた。僕はなんだかそのスピードにとりつかれてしまって、正平さんと競うようにして走っていたのだが、マイペースの貴子さんはずっとあとからついてくる形になってしまったのだ。しばらくして、正平さんが「公園一周するか?」といってくれたとき、貴子さんは入り口のあたりで待っているという事になった。貴子さんには入り口の近くでまっていてもらって、正平さんと二人で、公園を一周するコースにでていった。

 一周コースはとてもエキサイティングだった。思いのほか豊かな起伏と、両はじに迫る木々、そしてそのむこうに見える町並みの変化は本当に飽きないものだった。特に、起伏の激しさは意外で、下り坂などはどこまでつづくのか不安になってしまうほどだった。その下り坂の手前で正平さんが「友だちがこの坂の途中でクラッシュして、全身血まみれになったんだよ。」なんていいだすもんだから、スリルもいやおうなしにたかまって、最後まで無事におりると妙な充実感におそわれたりもした。そのうちになれてきて、なんか二人で体育会のようにガシガシとはしったので、あっという間に一周してしまった。

 正平さんという人にたいしては、イチネンの頃はじめて会ったときに、「とても厳しいひとだな」という印象をもった。しかしただ態度がコワイというよりは、その厳しさは、正平さん自身に対するものであったように感じたのも覚えている。本当にパラグライダーを純粋にやるサークルをつくった初代の孤独とでも言おうか、そんなものを感じたのだ。後輩が増殖していく中で、学生を卒業したOBとしての自立した眼差しといいかえてもいい。この感覚は、実は正平さんにだけ感じたのではなく、伊沢さんはじめその頃の先輩に共通した空気でもあった。それぞれの先輩が、それぞれの年とともに獲得したそれぞれの空気だ。

 そんなふうに僕らも学生を終え、社会に立つことになる。空はこの人達の中に生きている。僕たちはいい先輩を多くもった。一緒に走りながらそんな事を思った。

 一周を終え、とても疲れたので二人で座って休んでいると(冒頭写真)貴子さんもやってきて、なんかまんぞくしたのでとりあえずアパートに帰る事にした。

 帰る途中薬局に寄って傷の薬を買ったのだが、どうもそれは傷ドライとかのソフトな消毒薬ではなく、純粋な消毒用アルコールだったらしく、アパートでそれを使った正平さんは苦しみにのたうちまわる事になった。あれはとてもしみるのだ。思わず写真をとってしまった程の苦しみ様だった(写真)。貴子さんのひじも同様だったけど、写真はとりわすれてしまった。

 ともかく、シャワーを浴びてテレビでやってた『マーズアタック』というバカな映画をみて、くつろいだ。このあとイタリア人のMax(愛称で、本名は忘れてしまった)とその彼女を交え、SOHOのイタリアレストランで飯をくうといううそみたいな約束になっていたので、彼等からの電話をまったのだ。

 さらにうそみたいなはなしだけど、そのMaxはイタリア人らしくきっちりと1時間以上遅れて電話をしてきた。ほんとにイタリア人は時間にルーズなんだなあと笑ってしまった。彼は日本のアニメが好きで、特に宮崎駿が好きだという事だった。正平さんに「そういうイタリア人がいるから『もののけ姫』のビデオをかってきてくれ。」という事を聞いていたので、をもっていったのだが、たいへんよろこんでくれた。本人も嘘みたいな話だけど、ルパンそっくりのもみあげイタリアンで、なかなかナイスガイだった。彼女もいけていた。そんなこんなで、5人で食事して夜10時を回った頃正平さんと貴子さんは翌日に貴子さんの妹がニューヨークにくるので、朝はやく空港にいかなければならないといってかえった。

 僕も次の日、日本に帰る事になっていたのだが、Maxとアニメの話で盛り上がってきたので僕だけ残る事にした。これも嘘みたいだけどその日は丁度Maxの誕生日の前日で、どうせなら一緒に誕生日の午前0時を迎えようということもあった。そのあと、Maxの映画(彼は映画監督を目指していて、自分でも撮っていた)のカメラマンである韓国人のリタも加わり、店をはしごして、明け方近くまで飲んでからホテルに帰った。そして、その日の昼、日本に発った。本当に楽しい夜だった。(詳しく書くとめんどうなほど)

 あの夜、Maxは内緒ごとを話すように僕に「彼女との結婚をきめたんだ。この事をいうのはきみが最初だよ」とはなして嬉しそうに彼女と笑っていた。そう、イタリア人っぽく底抜けに明るく。僕はわらっておめでとう、最初に教えてくれてありがとよ、といったけど・・・。まさかね。 Fin.

 楽しい思い出をくれた高橋夫妻にはこの場を借りて心から感謝したい。