元大手商社マンが語る
元大手商社マンが語る:
彼は会社人間だったと言う。『一般市民は無知だから、私達官僚が全てに筋書きを企て、施行していかなければいけない』という態度に屈しなければならなかったし、自分の属する会社(大手の企業)は企業で、経団連のいうことと、経団連が勧める毎年の価値観や流れについていくために、社員にその流れにそった著書を読ましたり、その流れに添うための講演を聴いて来いと言ったりしていたらしい。いわゆるtop-down形式の、総てが『yes-man(person)』制度であったことを物語る。そこには、人間性の自由など微塵も無かったそうだ。会社の為の会社人間。『会社あってこそ食っていける』という鎖は、辞職するまで決して外れる事は無かったという。又その会社も、存続する為には、大きな経済の流れや価値観の渦についていかなければならないような制度がいつのまにか出来ており、色々な組織や団体に加盟していかなければならなかったようだ。
自由主義国家でありながら、民主国家でありながら、top-down形式が当然のこととされていた。まさに、日本国民が、民主主義国家や制度を市民運動を通して勝ち取ってこなかった事が原因だったのか知らないが、 top-down形式に慣らされしまっている一般市民は、お上が言っているかのごとく、『上の人が言っているので』で片付けてしまい、しかたがない、ただ従うだけだと思ってきたのだろう。これは、教育界にも及んでいるようで、そうなると、日本は民主国家でありながら、実情ではそうでは無い国になってしまっているのだろう。海外の人が、長く日本に住んで、日本の伝統や文化を敬い、愛しながら、横目で、その実情を軽視し始めて、ようやくその目線に気がつくという日本人がやっとでてきたかのようだ。
だからこそ、先の元大手商社マンも、日本の伝統工芸に戻り、日本人として生まれてきたことの意味を理解し、『物作り日本』それも魂のこもったもの、職人気質を忘れず大切にし、自分を表現できる場に心から感謝するのだという。
かつて産の第一線で活躍してきた人で、退職され、今では自分の趣味を生かしたり、お孫さんの顔を見るのが楽しみな人で、民の要素をもっと多分に取り入れるべきだったと気がつかれた方は、是非その体験を分かち合っていただきたく思います。