山中正竹 専務取締役


03/06/20改訂

 外国人ではないのですが、今後の外国人助っ人の獲得に大きく関わるであろう山中正竹 専務取締役(*)を紹介します。なんというか、すさまじい経歴です。

*山中氏の担当部署は、当初は「チーム運営部長」とスポーツ紙で報道されましたが、これはとんでもない誤報のようで、どうやらチーム運営部長は現在も笹川氏のようです。山中氏の担当は依然はっきりしません。最近は「編成担当」と報道されることが多いですが、編成部長は野口氏のハズ・・・


<プロフィール>

昭和22年4月24日、大分県佐伯市生まれ 55歳
佐伯鶴城高→法大→住友金属
全日本代表監督などノンプロ監督を歴任。
02年まで法政大学教授。
03年度より(株)横浜ベイスターズ 専務取締役 (編成担当(?))



大学野球時代
法大黄金期のエースとして大活躍。一つ上の田淵とバッテリーを組み、68年には大学選手権優勝。
大学通算48勝(13敗、66-69)。これは33年たった今も塗り替えられていない六大学記録。この記録を持っているがゆえに、クイズマニアで山中氏の名前を知らない人はいません。
(ちなみに二位は同じ法大の江川(47勝)。今年の自由枠獲得選手である土居でも24勝にすぎない。)
身長169センチと小柄なサウスポーで、“小さな大投手”といわれた。シュートとフォークが武器で、私の父曰く「最近で言うと今中や岩瀬のようなイメージのピッチャーだった」


ノンプロ野球時代
社会人(住友金属)では6年連続都市対抗野球大会に出場。補強選手として都市対抗優勝も経験。
しかし本人いわく、「投手としてのピークは大学時代に終わっていた」


アマチュア指導者・研究者時代
現役引退後はコーチ、監督として200試合を超える国際試合を経験。
住友金属監督(81-)として都市対抗優勝(82)、日本選手権優勝(83.84)と3度の日本一。都市対抗通算5勝(3敗)。
日本代表コーチとしてソウルオリンピック(88)銀メダル(当時の選手:野茂・古田・塩崎・野村謙二郎など)。
日本代表監督としてバルセロナオリンピック(92)銅メダル(当時の選手:伊東智・小桧山・小久保)。第1回世界選手権(02)銅メダル。
NHKの春夏の甲子園大会や大学野球の解説者を務めていた。
94年から02年まで法大監督。9年18季でリーグ優勝7度、全日本選手権優勝1度。
02年まで法大工学部教授
 専攻   :スポーツ方法学、スポーツリーダー学
 研究テーマ: 野球における技術論、戦術・戦略論


著書「スーパースターに学ぶベースボール 」ナツメ社97年





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