ドイツのシュレーバー農園
Isabel Harter, Tottori 2002
ドイツ人に「週末をどのように過ごしていますか」と尋ねると、いろいろな返事がありますが、その中には必ず「週末菜園」という言葉も出てきます。ドイツの週末菜園は、一般的にはシュレーバー農園 (シュレーバー・ガルテン:Schrebergarten) 又は小菜園 (クライン・ガルテン:Kleingarten)と呼ばれています。ドイツではシュレーバー・ガルテンやクライン・ガルテンは町の郊外や線路沿いなどによく見られます。
私が子供の頃、はじめてシュレーバー・ガルテンを見た時、とても驚きました。小さなかわいい家とその周りの手入れの行き届いた畑が、まるで童話の世界のようだったからです。私はそこには小人が住んでいると思い込んで、大きくなったらここに住んでみたいと思いました。
しかし、本当は、シュレーバー・ガルテンの小屋には住めません。平均の高さは2.5m以下、幅は6m以下、奥行きは2m以下で、その中にはたいていいろいろな農器具類が置いてあります。一般的な現在のドイツのライン・ガルテン地区を紹介します。それはヘッセン州のハーナウ市(鳥取市の姉妹都市)の「バウムヴェグ(木の道)」というクライン・ガルテン地区です。土地はハーナウ市の所有で、管理はクライン・ガルテン「バウムヴェグ」協会が行っています。区画数は132区画で、1区画当りの面積は約300uです。面積によって入会費は異なります(約150,000円〜500,000円)。年間使用料は約7,500円で、1人1区画に限り、使用できます。
現在私が住んでいる鳥取市でもよく「今日は畑にいきました」と言う人がいます。基本的にはクライン・ガルテンいわゆるシュレーバー・ガルテンはこの日本の市民農園とか家庭菜園に似ていますが、ドイツのシュレーバー・ガルテンは長い歴史を持つ、人づくりやまちづくりへのユニークな取組みだといえます。
シュレーバー農園という名前は、「Daniel Gottlieb Schreber (1806-1861)」の名前に由来します。約150年前にこの小菜園方式を思いついたダニエル・ゴットリーブ・シュレーバー博士というライプツィヒ市出身の整形外科医は人口過密地帯の貧しくて、子供の多い労働階級の家計や健康状態の改善のために家庭菜園を作りました。女の子も男の子も意味のある農園作業をすると同時に、身体の成長を促進できるというのが博士の主な考えでした。子供だけではなく、大人もシュレーバー農園を通じて自然と公共心を守る人間に育つという根本理念でした。
シュレーバー博士の考えを実現したのは、彼の娘婿のErnst Innocenz Hauschild (1808-1866)でした。ライプツィヒで校長をしていたハウスシルト博士は、1864年に最初の「シュレーバー・ガルテン協会」を設立し、この協会を通じて校区の中に子供の遊び場を実現しようとしました。
その後、ドイツのあちこちにこうしたシュレーバー・ガルテンが増えてきました。例えば、シュレーバー博士の提案は1900年にドイツ赤十字社から取り上げられ、大きな都市の郊外にいわゆる「労働者農園」を作りました。そもそも第一次世界大戦と第二次世界大戦中、国民の栄養を補うため、多くのドイツ人の家庭では小菜園の畑から大切な食物を取り寄せることができたのです。
戦後ドイツは裕福な社会になりましたが、都市化の建展に伴って「シュレーバー農園」の意味も変わりました。現在、約4千万人のドイツ人が週末菜園を楽しんでいます。シュレーバー・ガルテンの土地を借りている人のプロフィールを見ると、年金生活者の割合が多く、そのほとんどが庭の付いていないマンションあるいはアパートに住んでいます。シュレーバー・ガルテンはもともと子供のためにできましたが、最近は教育、スポーツ、食糧調達といった面よりも文化的または社交的な役割の方が重要となってきています。
現在のドイツ人はどういうふうにシュレーバー・ガルテンを使っていますか?週末になると、ビールを車のトランクに積んで、シュレーバー・ガルテンまで行き、自分で作ったトマト、キャベツ、レタス、豆などを料理して、隣の菜園の友達と一緒にバーベキューをします。
ここには、150年前のシュレーバー博士の思想がいまも生きています。それは、菜園者が農園作業をすると同時に、身体の成長を促し、自然を守り、公共心を養ということです。いつか、私もシュレーバー農園を借りて、家庭菜園を楽しみたいと思います。