テロに感じる


2002年10月12日夜、バリ島のナイトクラブで爆弾テロが起き多くの犠牲者が出た。

この事はアメリカ出発直前にオーストラリアに住んでいる友人からのメールによって知った。 犠牲者の中にはシーズンを終えてチーム旅行に訪れていたAFLやラグビーの選手ら多数のオーストラリア人も含まれ、ひどい火傷で入院している選手や依然として行方不明の選手もいるとのことだった。現地の人と観光客を巻き込んだ無差別テロ。ニュースやインターネットで流れた現地の光景は信じがたいものだった。

土曜日の同時刻、他では仲間と共に楽しい夜を過ごしている中、そこでは堪えがたい惨事が起きていた。


ちょうどこのバリでのテロ事件の直後から1週間程アメリカに行った。

主に南カリフォルニアのSanta BarbaraとマサチューセッツのBostonだったが、せっかくなのでBostonから1日だけだがNew Yorkにもちょっと脚を伸ばして訪れてみた。

NYにはBosotonから中国人の経営する安いバスで片道5時間前後かけて1日で往復した。

2001.9.11のテロ現場となったツインタワー跡グランドゼロにも行ったが、もうそこはあの時の悲惨な面影はほとんどなく、観光客の集まる柵で囲まれた寂しい空虚と化していた。

テロ前に訪れたことがなかったためか、その違いや変化に驚嘆することもなく、そして自分の身近に起こった出来事でもなかったためか、悲しみも湧かず、ただの工事現場のようにしかみることが出来なかった。オリンピック前のシドニーのあっちこっちでみられたビルの建設現場のようにさえも見てとれた。

しかし、そこには多くの人の死をもたらした悲しく暗い過去がある。それにもかかわらず、自分には張りつめた感情が沸き起こってはこなかった。

ある友人は言う。

“史跡を前にして、先人の生活に思いを馳せる人は多いですが、惨劇の跡地で被害者の無念さに思いを馳せる人はあんがい少ないのでしょう。私も直接関係がない場合は、報道を見ても、同情しか感じません。真に感じるべきは同情ではないのだということは分かっているのですが、未だに進歩していません。なかなか難しいです。”

一方ある友人は言う。

“グラウンドゼロに着いたら涙を流しそうになった。二年前とはまったく違う光景でショックでした。あのクロスがぽつんとあったのはすごく悲しかった…。自由の女神にも行ったけど、厳戒態勢が厳しくて島へ到着しても中には入れなかった。エリス島のお土産屋でLIFEの写真集が売っていて、細かくテロの事が載っているのがあったので買ってしまいました。”

このテロによる影響はNY以外のところでも旅中身近に感じられた。
飛行場でのシキュリティの厳しさ、機内のもの(フォークやナイフ、ミニボトル)のプラスティック化等。また、一方で事件のTシャツや写真集などを売るなどしてビジネスをする者。
様々である。

東京を大きくコンパクトにしたような印象のあるNY、今、そこはおそらくテロ前と変わらない人の生活と往来があるのだろう。しかし、テロによる影響は身近に起きている。飛行場でのシキュリティの厳しさ、機内のもの(フォークやナイフ、ミニボトル)のプラスティック化等、その一方で事件のTシャツや写真集などを売るなどしてビジネスをする者、様々である。

バリでのテロは昨年のNYほど大きく報道で伝えられなかったためか、テロの大きさや悲惨さがあまり伝わってこない。テロや戦争の事の大きさは人の死んだ数や起きた場所など決められるものではない。しかし、その出来事のインパクトの強さはメディアや報道の質や量、そして人それぞれの関わり度合によって決められてしまっているようだ。<自分の親戚や知り合いがいないか>、<日本人がいないか>、と身近なことを気にするのは当然だろう。しかし、本質的にはそうではないはずだが。

実際、被害を受けた当事者だけが真の悲惨さを知っているのかもしれない。だから、テロや戦争は恐い。

海外、いや知らない土地にいくといつもなんらかしらの刺激を受ける。

世の中知らないこと、学ぶことだらけである。

実際自分の肌で感じて見なければ本当のことはわからない。