海の匂い


鎌倉まで行った。

お焼香を済ませ、ジュースを飲み寿司をつまみながら、
話をしていると、
「そろそろ引き上げよう。こういうところではあまりを長居をするものではないから。」
と、声がかかる。
通夜というものは、その人を偲び朝まで話し明かすものではないのだろうか、本来は。
知人の父の通夜。
そういう意味では、亡くなった人のことをよく知らないのに、確かにそこに長く居て語る要素はなにもない。
ひとつの現代社会の社交辞令的なものなのかもしれない。

自分は一般常識的な考えに欠けているのだろう。

鎌倉にいる。
大仏をみたくなった。
そして、久しぶりに海を感じたくなった。

一応、周りにいる連中に一緒に行くか聞いてみる。
「ここから歩いていくと遠いよ。」
遠くてもそこに望むものがあるならば、自分は歩く。
望むならば、近かろうが遠かろうがそれに向かって進む。
チャンスはそんなにあるものではないから。
いつも可能な限り、希望に近づき達成したい。
ただ今回は、自分以外の人にはそれ程海や大仏に興味がなかったのかもしれないけど。

「それに雪が降るっていってるよ。」
なんで、それってすごいラッキーじゃない。
砂浜や海岸を歩いていて、雪や雨が降る。
気象条件ばかりは、人の力ではどうにも思い通りにならない。
雪や雨を望んで、海にきてもなかなかその思いはかなわないだろう。
機会は偶然にしかあたえられないのだから。
晴れであっても、雨や雪であっても、
今という与えられた偶然に感謝するしかない。
雪の中の海、そのような状況に出会った経験はない。
もしそうなれば、嬉しい。
たとえそれが、雨でも霙でも。

やっぱり世間の価値観からズレて生きている感じがする。

「じゃっ」
と、横断歩道でピースをして別れる。
自分だけ皆と反対側に向かって歩いていく。
振り向きもしない。
だって、海が一歩進むと一歩近づいてくる。
久しぶりにわくわくする。
途中、コンビニエンス・ストアーで道を確認する。
大仏はこの時間だともう観れないようだ。

<それじゃぁ、海まで行って、海岸沿いをちょっと歩くか>

波の音。
先は真っ暗、何もない。
人工的な光はそこには存在しない。
少し歩くとそこには違う世界が広がる。

砂浜を歩き、水に近づく。
波が足下に寄って来るのをボッ−と待つ。
いつか波に近づき、水に触れる。
そして、その水の匂いを嗅ぎ、
大きく鼻から風を吸う。

海の匂いがする。
身体中がスッースッとする。

そのまま、砂浜を稲村ヶ崎、江ノ島に向かって歩く。
何か考えているんだろうか。
こういう一人の時間は好きだ。

歩道に出て、
波の音が消え、
その代わり車のエンジン音が辺りを満たす。
それでも、左手には海が広がる。
四国を歩いているのかと錯覚を起こす。
常に左手に海があった。
自分は、人は、決められた範囲の中でしか歩くことが出来ない。
その中で挑戦するしかない。

ただ、黙々と歩く。
右手に電車が走る。
江ノ電だ。
乗ったことがあるだろうか。
小さいときにあったかもしれない。
記憶にない。
<乗りたい。>
あれは高校かな。
その前の暗い中にみえるのが駅だろうか。

車道を渡ろうとすると、
前をなんかふらふらと歩いて来る女性がいる。
<大丈夫か>
少し近づいて尋ねる。
高校生の女の子、携帯電話を操作していたようだ。
目の前のは駅ではなく、もう少し先にある駅を丁寧に教えてもらう。
「ありがとう」
「さようなら」
その言葉がなんか心に響き、
ホッと顔に笑みが出る。
ちょっと歩き、振り向く。
彼女が気になった。
でも、暗くてもうよく見えない。

七里ガ浜駅。
江ノ島まではもうすぐ。
藤沢までは半分ちょいというところだろうか。
まだ歩けないことはなかった。
江ノ電に乗りたかった。
電車が交互にきて停車し、人が降りる。
単線のようだ。
仕事帰りなのか、そこそこ降りる人がいる。
窓際に座り外を眺める。
ふー、身体の中から息が出る。

ちょっとした小旅行。

そういう目的で来たわけではないので、
こういう言い方は非常識なのだろう。

でも、自分は与えられた機会を大切に生きたい。

藤沢から小田急線に乗り換え、座ると眠くなる。

ここ数日首が回らない。
なんか語源の意味がわかったような痛みだ。
寝たり寝なかったりと不規則な生活をし、
ちょっと寝ようと冷たい床にマットも何も敷かずにほんの10分から30分ぐらい眠った。
首から背にかけてキーンと冷たくなっていた。
その日の朝家に帰り、夕方ベットから目がさめると身体を起き上げることができない。
肩から首筋にかけて痛くてどうにもならない。
なんか鉄板でも入ったように堅くなっていた。
一週間たった今も痛い。

電車から目が覚めて降りたときには、
首筋から肩への痛みがなんか軽くなっていた。

<大事だなぁ>
自然の広がっている中で息することは。

駅前の喫茶店でコーヒーを飲みながら、
文献を読もうとする。
だけど、そこには海岸の中で妄想に耽っている自分がいる。

外を歩くと雨がちらついて降ってきた。


山内潤一郎