縛られない、自由とは

自分にとって、自分らしく何にもしばられることなく自由に生きるということは、重要なテーマである。
ただ、社会に反発してわがままにいきるということとは違う。

朝は低血圧で弱く、起きるのが苦手である。
それにもかかわらず、目覚まし時計で起きるのは好きではない。
なにか強いられているような気がする。

もう、海外にいった20歳のときから、腕時計はしていない。
今はどこでも時間を知ろうと思えば、知ることができ、不自由はしない。
理由はそれだけではない。
腕に時計があると時間に縛られ、何か追われているような気がする。

ネクタイは1本しかない。それも中学校ぐらいから持っている古いものだけである。
サラリーマンのような生活をしていないので、そのようなものをする必要がない。
フォーマルな場でもそのようなものをするのはあまり好きではない。
ネクタイだけでなく、ネックレスなどもそうだ、
身だしなみやおしゃれが出来ていないといわれればそれまでだが。
犬や猫のように人に飼われている気がする。
そうではないとわかっている。
それでも、なにか縛られたくなく、飼われたくなく、自由にしていたい。


山内潤一郎