世界のトイレ事情
世界のトイレ話は深く面白い。いつか大作としてまとめたい。
身近な生活の話はツアー旅行やテレビを通してではなかなか伝わらず知られていない。また、その国の基本的な文化や習慣の違いというのはなかんなか観光ガイドブックでも伝わりにくく詳しく書いてあるものも多くない。
したがって、現地に行かないと分からないことが多いため、こういうところが意外に海外旅行では落とし穴で、知らないで行くと大変な目にあったりする。要注意である。
しかし、一方で、だからこそ、海外旅行におけるトイレのエピソードは多く、そして旅のウラ話としてどれも楽しく、おもしろい。
<日本 - 「和式は元々水洗式?」>
最近は和式にかわって洋式の水洗便所が多くなった。この和式便所の衰退が日本人の足腰の筋力の低下の原因の一つではないかとも考えられている。それでも、ちょっと田舎にいくと和式でいわゆるボットン便所もまだまだ健在である。こういう田舎から、脚力が強く粘り腰のあるスパーアスリートが生まれるのかもしれない。
自分が小さいときに住んでいた家も和式のボットン便所でだったが、今ではすっかり洋式になれてしまった。外で大をするときは洋式を好み、外で入ったトイレが和式で時間的に余裕がある場合はわざわざ洋式を探して使用する。
しかし、一方で和式を好む人もいる。このような類(たぐい)の人には自称潔癖症が多い。自分も外で洋式を使って大をするときは便座をトイレットペーパーで拭いたり、紙便座シートを使ったりするが、潔癖症の方々はこの洋式便所の便座の上でも和式スタイルでしゃがみこんで用を済ますようだ。オーストラリアでアパートをシェアして住んでいたが、そのときの日本人のルームメイトがこの類だった。最初、便座の上に足の指紋の跡がついていた時は、なんかの理由があって便座の上に台代わりに立ったのだろうと思っていた。しかし、これが頻繁に指紋の跡がついていて、おかしいと思い、ルームメイトらに問いただしてみたところ、一人のルームメイトが便座の上で和式スタイルをとっているとのことだった。しかし、生活をみるかぎりだと潔癖症にはみえないが、なにか自分なりに潔癖症としてのルールがあるらしい。それからは、用が済んだ後は自分で指紋跡は拭いておくことになった。しかし、本当にそんな格好でやっているのかどうも信じられなかった。ある時トイレのドアを開けてみると本当にその格好だったときにはさすがに驚いた。その後も
「また、足跡」
「すいません、やっちゃいました。拭いときます」
という会話が結構あったが、なんかおかしく、怒る気にもなれず楽しんでいた。
また、ルームシェアをしていていると共同使用する消費物の補充をどうするかが割とめんどくさい。男だけの場合、トイレットペーパーがきれるといい加減で補充するまでの間、タイのスタイルをとってみたり、あるいは近くのホテルに大をしに通うようになった。女の子なんかが来たときなんかは、
「トイレを借ります」
というと、住人の誰もが、
「シャワー浴びるか、ホテルにいくかになるけどいい」
と訳のわからない返答していた。
さて、話がちょっとそれたが、このボットン便所が日本の伝統的なトイレのスタイルかと思いきやどうもこれだけでもないらしい。
漢字でトイレのことを厠(かわや)といい、文字通り、川の上に立てられたトイレのことを指している。事実、昔は川の上にトイレが建てられていた。今でもフィリピンなどのアジアの国々ではこのようなトイレがまだみられる。いうなれば、水洗トイレのの元祖である。そして、用を済ました後は、川のなかで麻縄や木の板でお尻を拭いていたらしい。
昔は飲み水も川、トイレも川、お風呂も川、洗濯も川。
自然のままに流れている川は 浄化作用が有り、人間にとって本当に大切な自然の恵みだったのである。
またこのような人間の昔の風習によって生き長らえてきた生物もいる。
寄生虫である。
人の体内に感染した寄生虫サナダムシは毎日何千もの卵を産み落とすが、その卵から人に感染することはない。卵が川などの水辺に落ちて、ケンミジンコに食べられ、このケンミジンコをサケやマスが食べ体内で2cmの感染幼虫になった後、人がこの幼虫をサケやマスと一緒に食べ体内に入れることによってはじめて感染する。つまり、人が川でうんこをしないかぎりサナダムシの子孫は絶えてしまうのである。
日本人へ寄生し共存することを選択したサナダムシの先祖は少し悔やんでいるかもしれない。
<アメリカ - 「ドアはどこ!」>
アメリカの公衆トイレはドアがない。全部が全部ではないが、公園などの公衆トイレはないことが多い。
アメリカで生活しているとき、友人が訪ねてきた。海岸通りを歩き、友人がトイレに立ち寄り、びっくりして出てきた。何事かと聞くと、大用のトイレのドアが全開で、男が便器のところでうずくまるように中腰で用をたしているという。
それは全開なのでなくもともとドアがなく、それに中腰なのは便座がないから容易に座ることが出来ないから。あと前かがみの格好で隠してもいるんじゃないか。こういう風な感じで説明すると。
それはおかしいと、半信半疑で全く信じているようではなかった。そこで、もう一つ他の公園のトイレに立ち寄ってみると、そこも同様に、ドアと便座(たまたまかもしれない)がなかったため、やっとなんとなく納得したようだった。そして、ひと言、
「ありえない、考えられない、なぜだ」と。
空港などのトイレでさえもドアはあっても首下から膝上までだけの場合がほとんどだ。ちょっと下を除けば、このトイレは使用中かそうでないかはすぐにわかる。しかも、はいているズボンまでわかってしまう。
なんかあまり落ち着ついて用を足すことができない。
ドアがなかったり、ドアの上下わりと大きく開いているのは、爆弾などのテロや犯罪対策のためだそうだ。
そういわれれば、なんとなく納得する。でもなんとなくである。特に一時的な観光客には。
<オーストラリア - 「終わったらうめろ!」>
オーストラリアの都会からちょっと離れた郊外はコンクリートで囲まれた人工的な都会の雰囲気はほとんどなくなる。そのかわり、人と自然の入り混じったにおいがし、その割合はその土地の人口密度に比例しているような気がする。
わりと国内でも大きな都市や町でさえも歩道は舗装されず芝生や土のところが多い。大きな道からそれてちょっと脇道を歩くと、家畜のにおいがプンプンしてくる。
そんな牧歌的な国でもほんとうに堪えがたくいらただせる敵がいる。土地の人は生まれたときからいるので、ある程度は慣れて共存しているというが、都会から来たものにはなかなか慣れることが出来ない。
ハエである。
これがあつかましく口、鼻、目、耳の中と遠慮なく入ってくる。
これが先にこの文を先に進むときの大切な予備知識である。
オーストラリアの大半が人気のない土地である。特にアウトバックといわれる内陸部は広大である。自分は4年そこそこオーストラリアに滞在していたにもかかわらず、残念ながらある意味本当のオーストラリアの顔をみていない。
そういうアウトバックでの旅では当然いろいろと不便が生じてくる。トイレもその一つである。水は貴重なため水洗便所は少ないらしい。
野でのトイレでは、ある程度深く掘って埋めなければならない。ちょっとの風や雨で掘り起こされて出てきたら大変なことになる。
そう、ハエである。
「お前のうんこを食べたハエを口の中に入れるのはたまったものじゃない!」
<タイ - 「紙がない!」>
オーストラリアに留学していた時のことである。最初の学期は大学の大きな寮に住んでいた。寮は5人ぐらいで一つのユニットの中に各個人に個室が与えられてトイレ、シャワー、洗面所などを共同で使用して生活をする。そのユニット内のルームメイトらは様々な国の人種がいておもしろい。自分の場合は香港人、インドネシア人、タイ人、日本人だった。
そのタイ人のルームメイトが、毎朝トイレにバケツに水をいれて持っていく。
<何をやってんだろう?>と純粋に疑問を持っていた。
<パンツでも洗っているのだろうか?>
<まさか、毎晩おもらしをしたり、やらしい夢でも見ているわけでもないだろうしな。>
気になって、聞きたいのだが、触れてはいけない領域のような気がしてなかなか聞けないでいる。
そうしたら、ある時、彼の方から
「ジュン、いいこと思いついたよ。」
というのである。
「なにが?」
と聞くと、
「朝食の後に、うんこして、シャワーを浴びればいいんじゃないか。」
「はっ? .....!」
まったくもって何を言っているかわからない。
「どういうこと?」
「朝、わざわざトイレにバケツに水をいれて持っていく必要がなくなるじゃないか。」
「そう!それそれ、何してんだよ、毎朝トイレで。」
「あー、あれは、うんこをした後、おしりをきれいに洗ってんだよ。タイの国の習慣だね。」
「はっ、トイレットペーパーじゃだめなの?」
「あれだけじゃぁ、完全にきれいにできないだろう。」
「うーん、そうか。外でうんこしたくなったらどうすんだよ。」
「それが、問題なんだよ。だから、朝していくんだよ。万が一、したくなったら寮まで戻ってこなきゃならないからね。」
「マジで。そりゃぁ、大変だな。」
「他のタイ人もそうなんじゃないかな。そう意味じゃ、オーストラリアは不便だよ。」
暗に、この国あるいはタイ以外の国の人たちは、不潔だと、言っているような気もする。でも、水できれいに洗い流す方が確かに清潔であるといえる。
結局のところ、その国の置かれた環境によって築きあげられた文化なのだろう。タイという国は年中蒸し暑い状態が続く。そういう環境での生活は股や腋の下などの身体の一部は蒸れやすくなり、汚物などが残って不潔にしていると痒くなったり、虫がわいたりして、病気の原因になったりするのではないだろうか。日本でも、学生の頃などに夏の蒸し暑い日の中スポーツなどの運動をしたときにそういう経験をしたことがないだろうか。予断だが、高校でラグビーをしている時はラグビーパンツの下は皆ノーパンだった。理由は、長時間の練習で中が蒸れいてインキンタムシになんかになるから穿くなということだった。最近は発汗性の良いサポーターを装着しているようだ。
こいうことを考えていると、昔の人の生きるためへの順応性のすごさを感じる
もちろん、現代人の順応性もなかなかのものだ。このタイ人のルームメイトも1年も経つと、トイレットペーパーの文化にもなれ、外でもうんこをするようになった。ただ、問題は人よりも多く使う点である。
自分が夏休みにシドニーでオーストラリア人の家でハウスシッターをしていたとき、友人を何人か呼んだ。そのなかに、タイ人の仲間がルームメイト以外にも何人かいた。そのうちの一人がまだオーストラリアに来て日が浅かった。その彼がうんこをしたのだが、びっくりしたことが起きた。トイレに入ってからなかなか出てこなく、なんども水を流す音が聞こえる。
「どしたんだ、なんか問題でもあったのか」と問いただすと、なんだかただ申し訳なさそうに謝るだけである。
なんと、ほとんど新品のトイレットペーパーを一人で一回の便で使い切ってしまったのである。
ルームメイトがそのことを弁護するかのように代わりに説明をしてくれた。トイレットパーパーを使うことに慣れてきたとはいえ、最初の頃は何度も何度も血が出てもなお拭き続けるという。何回拭いても、きれいになった気がしないらしい。
これには笑ったが、彼らは真剣に言うので、こちらも「気にするな、悪かった」としか言いようがなかった。
ネパールに行く途中にタイでストップオーバーすることになったので、そのルームメイトの家に一泊させてもらうことにした。
彼の家にはトイレットペーパーがあったがそれはトイレのためではなく、机の上にティッシュペーパーの代用として使っていた。そして、トイレの便器の丁度トイレットペーパーを置く位置辺りに小型のシャワーが備え付けてあった。上のクラスの人たちのトイレにはトイレ用のシャワーが設置されているが、下のクラスでは水が入った桶に小さな水すくいが添えてあるだけようだ。
タイや他のアジアへの旅の際はトイレットペーパーは持参した方がよさそうである。
<ネパール、インド - 「左手で食べるな」>
ネパールやインドは衛生的に汚そうだと思われているようだが、ネパールの都市カトマンドゥの安宿では洋式の水洗トイレだった。ここは各国の旅行者が訪れるためかわりと発展している。
ただ、田舎にいくとそのような洋式のトイレはみかけなくなる。
この地域の国でよく聞く話は、左手は下の処理をする不浄の手といわれる。そのため、彼らは左手で触られることをきらう。これには右手が食事はするために使う手として、右と左で使い分けていることに理由がありそうだ。しかし、彼らが右手を使って食べる姿は本当に芸術的である。
また、家畜の糞は乾燥させて、燃料とするため、家の壁に投げ付けらている。これには驚いたが、この国では、燃料が非常に貴重なため、家畜の糞が草などの繊維物からできているために、燃料として再利用しているのだ。生活の知恵である。
<中国 - 「どう今朝の調子は」>
中国では今でも大きな都会意外の共同トイレは広い建物中に排水溝のようなものが流れて、何も仕切りがないらしい。隣同士で用を足している者の視界を遮るものはなく丸見えである。また、排水溝の下流に者にいたっては、上で出たものさえもが自分の所を流れて通過していき確認できるのだろう?
「よぉぅ、どうよ今朝の調子は」
「いいよ、昨日うまいも食ったからな」
「コーンシチューだったのか。そりゃぁいいな、なんで呼んでくんないよ」
と、こんな会話をしているかどうかはわからないが。
大を済ました後は、横に吊るしてある麻縄に跨いで、お尻をこすって綺麗にするそうである。縄に付いたものは乾いて下にパラパラと落ちているそうだ。また、なんか痛そうだが、用を済ましたあと竹の棒でお尻を拭くという話もきく。やわらかくして使うのかどうかは疑問である。竹の棒では無くて'へら'を使うところもあるらしい。
なにしろ気になる中国である。早く中国で用を足してみる必要がある。
しかし、最近の中国、特に上海はすごい発展のようだ。洋式トイレが入り伝統の様式は廃れていくのだろう。
<ギリシャ - 「トイレでにらまれないように!」>
男性用と女性用のトイレの目印がわかりずらくなっていて、海外からの旅行者は間違えることも多々あるようだ。ただ、女性が男性用を使っても問題ないようだが、間違って男性が女性用を使ってしまうとものすごくにらまれることも。
この男性用と女性用のトイレは大きさの違いで区別されているようである。男性用の方が女性用に比べて大きいようだ。この点から、男性が女性用を使うとにらまれ、女性が男性用を使っても文句を言われないことの理由の一つになっているのかもしれない。
<南極 - 落語>
「南極でのおトイレ(小便)の際にはハンマーが要るそうで....」
「出るそばから凍るので ハンマーで砕きながらでないと 危ない!とか」
「ハンマー忘れたら、くっついてひどいことに」
「難局でのおトイレ(大便)の際にもハンマーが要るそうで....」
「出たものがあまりに固いので、ハンマーで砕かないと流れないで大変!とか」
「ハンマー忘れたら、水があふれてひどいことに」
「南極で難局でのおトイレをすればハンマーが要らないそうで....」
「それで釘が打てれば、凍るものも砕けるでしょ」
「でも順番が大事」
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まだまだ続く。
山内潤一郎