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今回の旅で特に感じたことは、世界中の多くの国で、被災地のために熱く祈ってくれている人たちがたくさんいる、ということでした。多くの義援金がささげられているのはその一つの表れですが、さらに、現地にわざわざ出向いて、何とか人々を励ましたい、という熱意を示してくれたメキシコからの友人たちから、直接そのことを受け止めることができました。 「サマリヤのよき人」という話があります。イエス・キリストの時代、ユダヤ人はサマリヤ人をさげすみ嫌っていました。あるときエルサレム近くの山道に、強盗に襲われて瀕死の状況に陥っている人がありました。ユダヤ教の司祭、神殿奉仕者がその脇を通り過ぎますが、見て見ぬふり。そこを通った旅の途中にあるサマリヤ人が助けて、手厚く介抱してあげる、というもの。そして、「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」「あなたも行って同じようにしなさい」が、キリストの言葉。 いったい、だれが好きこのんで、自分をさげすんでいるような人たちの地域に旅する人があるものだろうか、とも思うのですが、あえてそういう設定になっているたとえ話。そのようなところに入って行ってでも、援助の必要な人の隣人になって手をさしのべなさい、というのがキリストの教えです。遠くメキシコの地からやってきた異邦人は、この教えをまことによく体現していました。 また、彼らの訪問は、被災者のみならず、被災者支援に関わる人たちをも励ましてくれました。私たちは小さな働きをしているに過ぎないものですが、より多くの人たちとの一体感の中で働いていける喜びをかみしめたのです。さらにまた、援助活動が援助するものと援助を受けるものという関係にあるものではなく、同じ時に生きているものとして共に歩むものという関係を持つようにすべきことに思いを至らせてくれました。 戒厳令下のイスラム教地域。同じスマトラ島に住んでいながらどこか遠いイメージがあったお隣の州アチェが、急に身近になったのは、確かです。 |
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