鍋墨大根


 昔は振り売りと言いまして、荷を担いで町へいろんなものをうりにきたものです。八百屋でも店舗を構えた八百屋はございましたが、その時期になると、振り売りの八百屋がなすびならなすび、大根なら大根、まびき菜ならまびき菜と、その折々のいろんなものを売りにまいりました。  おうこをギシギシいわして、山のような大根をを前後の籠に盛り上げて「ええ大根いりませんか、大根」と長屋へはいってまいります。

女       ちょっと八百屋はん。

八       へい

女      大根なんぼやの、一本

八      へい、今朝からとってきたばかりの生きの良え大根でございます、見とおくなはれ。なあ。一本6文にさせていただいております。

女      六文・・・、この細い大根が

八      何をいうてなはんね。今朝取れたてやで。こんな良え大根、そのへんの八百屋にはおまへんで。

女      何を言うてんの。ちいと負けえな。

八      負かりまへんがな。ここらおなじみやさかい6文にしてんねや。へえ。他だしたら8文もらいたいとこで

女      ようそんな、アホなこというてるわ。ぎょうさん積み上げて、あんたこの大根、これ何本あるの?

八     いま売り始めたとこやからな、また一本も売ってェへん。ちょうど100本おます。ここが商売の口開けやさかいな。ひとつ景気付けに・・・なあ、ひやかすてなことせんと買うたって。

女      もらうがな。口開けやさかいちいと負けなはれ。

八      そうはいきまへん。

女      口開けやがな。

八      口開けから負けてたら商売にならしません。6文で買ってえな。

女      なあ、これ100本みな買うと言ったら、あんたもうちっと安うするやろ

八      ・・・100本みな

女      あんたいっぺんに荷物空になるで。(空荷になるで)

八      そらそうや。100本みな買うてくれたらそら負けまっせ

女      何ぼになる?

八      そやなあ、さっと荷が片付くのやさかい、100本400文でよろしいわ。

女      100本400文やな

八      そや

女      ほな10本で40文の勘定やな

八      ・・・まあまあ、そらまあ、そうやわな

女      ほな、1本4文やな。その勘定でほなちょっと3本もらうわ。

八      あかんであかんで、あんた、そんな無茶言いなはんな

女      ごちゃごちゃ言いなはんなあんた、ええ、100本は無理やけど、あんたがボーンと4文に負けたらこの長屋だけでもあんた、半分の50本は片付くがな。ええ、わてがみんなに言うといたげる。これとこれとこれとな、ほな3本家に持ってきとくんなはれな、ちょっとお長屋の皆さん、八百屋さんが4文に負けてくれはったさかい、せいだい買うたげとんくれなはれや、頼んまっせ

八      なんちゅう、おばちゃんや。ほんまに。えらいおばちゃんやな。ごてくさごてくさ言うて。1本4文やなんて殺生な・・・。ははあ、これとこれとこれっちゅうて無造作に引き抜きよったけども、こらみんな、太うて長いええ、大根ばっかしや。ごちゃごちゃ言いながら、あれ探しておったんやな。・・・こんなええのんばっかりあんな安い値ェで買われてたまるかい、他のん持って行ったろ。・・・ええ、おかみさん、ほな大根もってきましたで

女      ああ、そこへ12文おいたあるやろ

八      殺生やで

女      そんなこと言わんと持って行きィな。口開けや。景気つけたげんねや。長屋の人みんなあんたんとこ買いに来んねんで

八       誰も買いに来るかいな。まあ、どうしようもない。ほたら・・・

女       ちょっ、ちょっと待ち。これ、大根がちがうやないの

八       違わしまへんが

女       わてがさっき、これとこれと言うたやつ、もっと太うて長い良え大根や。こんな小さいのと違う

八       あんたな。ここへ持ってきたさかいそんなこと言いなはんねん。これみな、あん中では太うて長い良えやつだっせ

女       隠したかてあかん。わてな、ちょうど鍋の尻をガリガリかいてたんや。手は鍋墨だらけ。このとおり真っ黒けや、なあ。これとこれとこれ言うてさわった大根には鍋墨が付いたあるね。黒い印の付いた大根3本持って来なはれ。これもって行って印の付いた大根持ってきなはれ

八       ・・・何いうえらいやっちゃなあ。はあー、ちゃんと印つけてけつかるねん。こらあかんな、わしらみたいにまあ口の下手な気のあかん人間は、ああいう手合い相手には商いはでけんぞ。こらもう商売やめや。商売人やめて駕籠屋にでもなったろ

 えらい転向の仕方で八百屋商売やめて駕籠屋になりました。相棒見つけて、住吉街道へ立って客を引き出したんです が八百屋をやって要領の悪い奴は、駕籠屋になっても同じこってんな。他のお客を見つけ、担ぎ出して行ってしもた。子の組だけは、いつまでたっても残っとります。

八       へえ、駕籠、・・・・へえ駕籠。・・・はあ残ってるのはわしらだけやで。しかしまあ、暇やなあ。

客       駕籠屋

八       おお、客やで、客やで。へい、お供しまひょか

客       ああ、やってもらお。

八       どちらまで

客       堀江まで行ってんか

八       さいですか、へい。

客       なんぼで行く

八       ええ、もうあぶれとりましたさかいな、お安う行かしてもらいます。堀江まで・・・15文で行きまひょ

客       すまんがそこ20文に負けといて

八       ええ。負けるて、わい起きてるか?

客       起きてるわいな。それからな。ここに天保銭があるわ。その辺で茶碗酒キューっとやっとおいで。なあ。

八       おおきに、ありがとさんで。20文ですな。いやあ、駕籠屋になってよかったわ。ほならキュッとやってきますんで、しばらくお待ちを

客       一杯だけやで。よけい飲んだらあかんで。・・・関取、もうよろしい。こっちへでてきなはれ。

関       やあ、駕籠屋はもう向こうへ行きましたか

客       ははは、関取、お前はんの体を見たら、駕籠屋が何ぼいいよるやわからんさかいな、わしが応対しといた。で、言い値よりちいと大目に話つけといたさかい、さあ、20文・・・これ駕籠賃、オカミさんによろしゅう

関       ああどうも毎度お世話さんでごんす。そしたらまた場所が始まりましたら、初日にはお顔をみせてくださりますようにな

客       はい、もちろんです。垂れを下ろしてな、履物も中に入れといて・・・。駕籠屋が来ても何もごちゃごちゃ言いなや。・・・どうやら戻ってきた。ほなさいなら

八       ・・・えらいお待たせを、おう、旦那、もう垂れを下ろして乗り込んではりまんのか

関       ああ

八       お履物なおってまんな。ほなら堀江までやらしてもらいまっさ

関       ああ

八       さあ、相棒行くで。よ、よっ、うっ、・・・何をフラフラしてんねん。ええ、一杯や二杯の酒で・・・しっかりせえ。・・・やっと・・・おい。えっ。ワイのせい。なんぼ元八百屋でもこないだからずっとお客のしてるやないか、て。そやで、こうして、よいしょっと・・・。重たいなあ。ええ、・・・はい、はい、はい、・・・こらちょっと重たすぎるで。相棒、こないに重たいはずないぞ。あのお客さんどっちかと言うたら痩せたお人やったがなあ。この重たさは・・・、まさか二人のってるわけやなかろうが・・・、ちょっといっぺん下ろしてみよ。どうもこら・・・

八       相棒、お前もおかしいと思う

八       お客さん、ちょっとすんまへんが、ちょっとのぞかしてもらいます。・・・うわァ、相棒、重たいはずやがな。関取や。なんちゅうことしなはんねん。

関       あっはっは、バレたか

八       ばれたかやおまへんで。ほんまに、相棒、関取や、中身が変わってんねん。

八       しもた、さっきの客に鍋墨塗っとたらよかった