1984y Nissan Skyline DOHC RS



1.DR30とは
2.思い入れと印象

1.DR30とは

「RS」を名乗ったスカイラインは後にも先にもこの一代のみである。
「RS」とは「RacingSports」の略。

1970年代は説明するまでもなく、オイルショック・大気汚染といった問題が取り沙汰され、
自動車、特にスポーツカーにとっては正に暗黒の時代であったと言える。
スカイラインも時代の要請には逆らえず、1972年にデビューした4代目スカイライン(C110型)
においては、生産されたGT-Rは200台にも満たなかった。
年がら年中エンジンには改良が施され、その度に性能は低下の一途を辿った。
それに対して大きな解決策となったのが電子制御とターボの二つである。
特にターボは今や大パワーを稼ぐ上で欠かせない存在だが、
実用化された当初は省燃費のためのデバイスとされていたのが興味深い。
余談ではあるが、日本で初めてターボを搭載したのはセドリック/グロリア(430型)である。
そのL20ET型エンジンは5代目C210型スカイライン、2代目S130型フェアレディZにも搭載された。

そして1970年代の終わりには排ガス対策にも一応の目処がつき、各社ともスポーツユニットの開発に乗り出した。
しかし、日産はここで思わぬ挑発を受ける事となった。
この時日産はS20以来DOHCエンジンを持っていなかったのだが、
先にDOHCユニットを市販化していたトヨタのセリカのキャッチコピーは以下のようなものであった。

「名ばかりのGTは道を開ける」

当時の人間には余りにも有名なコピーだが、スカイラインを名指ししたものではないものの、
それを意識したものであったことは誰の目にも明らかだった。

これに刺激を受けたのかどうなのかは定かではないが、日産は本格的スポーツユニットの開発に乗り出した。
勿論DOHCであったことは当然だが、当時の多くのDOHCユニットが既存のブロックにDOHCヘッドを載せただけという、
言わばあり合わせ的なものであったのに対して、日産は全てを新規設計した。
さらには今や常識となっている、1気筒に対して4つのバルブを備える設計とされた。
モータースポーツでの使用を前提に設計されたことから、汎用性の高い直列4気筒という選定がなされたと思われるが、
随所にかつてのスカイラインGT-Rが搭載したS20型との共通点が見られた。
そしてこのユニットはFJ20と名付けられ、スカイライン/シルビアに搭載された。

6代目となるR30型スカイラインのデビューから遅れること2ヶ月、1981年10月にスカイラインRSは発売となった。
S20以来となる本格的DOHCユニット、それは当時5ナンバー最強を誇る
150psを発生し、瞬く間に自動車ファンの間での話題となった。
特にこの6代目では、代々肥大化が進んでいたボディがダウンサイジングされ、
また軽量化を睨み各部に高張力鋼板を採用したり、スカイラインの命である「走り」に重きを置いたモデルであった。
その中でもRSは、標準ではラジオすら装備されないほどのスパルタンな存在であったのである。
位置付けとしてはGT-Rに相当するにも関わらず、GT-Rの名を与えられなかったのは
やはり直列6気筒ではなく4気筒であったことに由来すると言われるが定かではない。

しかし、デビュー当初は最強を誇ったエンジンも、約1年後には
トヨタの1.8リッターツインカムターボにあっさりとその座を奪われてしまった。
これに対して日産も黙っていたわけではなく、FJ20にターボを組み合わせ、
新たにRS-TURBOとしてリリースした。これにより出力は190psへと向上し、
当時の2.8リッターターボを搭載するソアラさえも上回る数値を誇った。
またこの年には「スカイラインシリーズのイメージをより明確なものとする」ために
マイナーチェンジが実施された。標準車については小変更に止まったものの、
RS系からはグリルが消え、またライトも薄型のものが装着されたいわゆる「鉄仮面」へと変化を遂げた。

しかしRSの進化はこれに留まらなかった。
1984年にはインタークーラーを備えたRS-TURBO・Cが発売されることとなった。
これにより出力は205psへと向上した。
当初はスパルタンな存在であったRSも、この頃にはRS-Xという装備を充実させた上級車を設定したり、
またAT仕様も設定されるなど大幅なソフト化が行われていたのである。

1985年8月には7代目となるR31型スカイラインへとバトンタッチが行われたが、
このようにパワーウォーズの中を突き進んだFJ20が搭載される事はなく、
一世代のみという短命に終わったエンジンだった。



子どもの頃からの憧れでした、と言いたいところですが、
昔はZ31型フェアレディZにZokkonだったので、これはあまり正しくないです(w
子どもの目には3リッターV6ターボで230psの方が良く見えたということでしょうか?

というわけで明確にいつから、というのはハッキリしないのですが、
一つには西部警察の影響ということがあると思います(ベタベタな理由)

まぁ、私自身あまのじゃく的な部分があるので、他人とは違った選択を好みます。
スカイラインといえば代々直列6気筒というのが暗黙の了解となっていますが、
その中でこのRSは唯一とも言える、高性能直列4気筒ユニットを搭載しているという
異端児的な部分がお気に入りです。直6が好みじゃないのもありますが。
また'80年代のパワーウォーズを語る上で欠かせない存在であるということ、
そしてそれにまつわる様々なエピソードに惹かれます。

スカイラインはもともと立川飛行機と中島飛行機という2つの飛行機メーカーをルーツに持つ
プリンス自動車によって生み出されたクルマですが、
このFJ20はスカイラインの生みの親とも言える櫻井慎一郎氏を初めとする、
プリンス自動車出身のエンジニアによって生み出されたエンジンでもあるのです。
プリンスは戦後の混乱期の中創立され、飛行機メーカーをルーツに持つだけに
非常に高い技術力を有していましたが、経営力の弱さから'60年代には日産に吸収されてしまいます。
しかし、そのような中でプリンスとしての誇りを持ちつづけたエンジニア達の熱き想い、
そしてそんな誇りや想いといったものが注ぎ込まれたFJ20というエンジンにはシンパシーを感ざるを得ません。
また高い技術を持っていたにも関わらず、儚くも消え去ってしまったプリンス自動車、
同様にその技術が注ぎ込まれたものの、短命に終わってしまったFJ20との二つをオーバーラップさせ、
その儚さ故に美しいものとして思い込んでいるのかも知れません。

思い入れについてはこれ位にして、次に印象など。

かつて最強を誇ったスポーツモデルとはいえ、やはり20年の差は大きいのではないか、
憧れていたクルマとはいえ、現代のクルマには劣るのではないか、という不安はあった。
正直言って今のクルマからは考えられないほど、快適性なんていう言葉は存在しない。
パワステ、パワーウインドウすらない(装備されているグレードはあるが)。
軽量化を重視したためか、様々な音が車室内に侵入して来る。
当初はステアリングの重さに付き合っていく自信を喪失した(w

様々なエピソードを残したFJ20だって、所詮20年前のエンジンである。
それまでエンジンのホンダと言われるシビック(SiRではないけど)に乗ってきた事もあり、
フィーリングでは劣る事はあっても勝る事は無いのではないか、と心配していた。
アチコチでFJ20の持つフィーリングというものについて書かれているが、
それらをいくら読んだところで心の片隅には一抹の不安が残っていた。

しかし、初めて高回転まで一気に回した時にその不安は吹っ飛んだ。
正直言ってホンダのエンジンのようにスムースに回っているというワケではなく、
一言で表せば荒削りな感じの回転だった。しかし上までしっかり回ってゆく。
音はホンダのようなカン高い音ではなく、むしろそれとは反対の太い音である。
5000rpmを越すと、その音は一層力強いものへと変化する。
この音を聞けば、FJ20がレーシングユニットと呼ばれる所以が分かると思う。
初めて高回転まで回した時の、どこまでも回っていくような感覚は強烈だった。
この一発でFJ20の虜になってしまいました・・・(今ではすっかり慣れてしまったけど)
車室内に侵入して来る「音」も気分を盛り上げる要素の一つである。
もっとも、興味の無い人にはタダの五月蝿いクルマでしかないのであるが。
だが、このクルマに乗った人間が口を揃えて言う言葉は、「クルマに乗っていることを
実感できる」ということである。今時のクルマが如何に退屈なものに成り下がっている事か。
ハードウエアとしての完成度は、現代のそれを大きく下回っている。
これは20年分の時間差であるが、代わりに今時のクルマが失ったものを持っており、
それがネガティブな部分を埋めてなお余りあると言えるだろう。

いくら言葉を用いてもFJ20の持つフィーリングを説明することは出来ない。
このエンジンは何かを語るよりまず乗れ!と私は言いたい。