中国関係諜報事件
総 論
汪養然事件 | 研究文献等中国流出事件 | 横田基地中ソスパイ事件 |
中国の情報機関には、代表的なものとして、中国共産党系統の「統一戦線工作部」、行政系統の「国務院国家安全部」、軍系統の「人民解放軍総参謀部弟二部」があると言われている。これら機関の要員は、友好団体等の対外関係機関や、海外で活動する大使館等の外交官、公司等駐在員、留学生等と様々な身分を隠れ蓑にして我が国に派遣され、我が国の政治、外交、防衛、科学技術等各分野にわたる秘密情報収集、米国、ロシアの政治、軍事情報収集のほか、各種工作活動を活発に行っているとみられる。 中国関係スパイ事件は、これまで、「汪養然事件」「横田基地中ソスパイ事件」等の諜報事件やココム違反事件が検挙されている。ロシア(旧ソ連)、北朝鮮関係のスパイ事件に比べて検挙件数が少ないのは、中国のスパイ活動は極めて巧妙で、一般の日中交流関係の中で自然を装って行われるからとみられる。
これまで検挙された事例を見ても、中国の情報機関員が表面に出ることはなく、日中友好組織関係者の訪中を利用した在日米軍等に関する情報収集、日中友好商社と中国公司の通常貿易を隠れ蓑とした組織的、計画的な高度科学技術機器の不正輸出工作など、
日本人をエージェントとして獲得、利用する巧妙な手口での情報収集や工作活動を展開しているとみられる。
汪養然事件 ●昭和51年1月26日警視庁検挙
この事件は、
香港在住中国人貿易商 汪養然 (当時54歳)
が、中国情報機関の指示を受けて、我が国の軍事、産業技術関係等の情報収集活動を行っていたスパイ事件である。
汪蓋然は、上海において出生、その後香港に渡って貿易業を始め、五〇歳を過ぎるころには貿易商社三社を経営し、手広く中国貿易を行うまでになった。中国情報機関は、昭和46年ころ、「香港において中国と取引きする中国人業者は、祖国の建設と枡目防衛に協力する義務がある。」と汪蓋然に迫り、貿易取引きを継続する見返りとして、日本における軍事、産業技術等の情報収集活動を行うよう指示した。
その後、汪蓋然は貿易業務等を装って頻繁に来日し、内妻宅をアジトに日本人エージェント散人を利用しながら、
o 中ソ国境地図等のソ連関係情報
o 外国の航空機エンジン等の軍事関係情報
o 我が国の政治、経済、産業技術に関する情報
等幅広い情報収集活動を行った。
警視庁は、昭和51年1月26日、来日中の汪蓋然を逮捕し、同人は、昭和51年11月一六日、東京簡易裁判所において、外国為替及び外国貿易管理法違反で罰金二〇万円の判決を受けた。
研究文献等中国流出事件 ●昭和53年6月2日警視庁検挙
この事件は、
日本電信電話公社職員 A
が、官公庁等の研究機関から非売品の研究資料等を詐取、窃取した上で、中国関係書籍商を通して中国に輪出し、我が国の科学技術等に関する研究資料を長期にわたり系統的に収集していたスパイ事件である。
Aは、昭和37年、38年ころ、友人が勤めていた東京都内神田の中国書籍専門店の社長等から、民同企業の技術開発関係等の資料を見せられ、「電電公社員ならこんな資料は手に人るでしょう。持って来れば買いますよ。」と相談を持ち掛けられた。Aは、小遣い銭稼ぎという軽い気持で承諾し、初めは手に入れやすい電電公社関連企業の資料を入手し、次第に官公庁にまで手を仲ばすようになった。
Aは、電電公社の肩書入り名刺を出し、「公社で利用するので○部下さい。」などと、あたかも電電公社で使うようなことを言って、相手をだまして手に入れたり、電電公社の上司である課長名で「参考文献寄贈依頼について」という公文書を勝手に偽造し、これを官公庁の研究所あてに提出して資料の交付を受けた。また、昭和52年、電電公社電気通信研究所勤務となってからは、同研究所図書館あてに送られてきた資料を盗んで手に入れるようになった。このようにして不法に入手された研究文献等は、裏付けされたもので83種に及び、Aが売却して得た金額は、昭和45年以降、合計956万円余に達していた。これら資料の入手先は、官公庁、公社、民間企業等の研究機関であるが、その内容は各種の産業科学技術に関する研究データ等であり、大部分は非売品又は部内資料で一般には手に入りにくいものであった。警視庁は、昭和53年6月2日、Aらを逮捕した。Aは、昭和53年10月18日、東京地方裁判所において、詐欺、窃盗、公文書偽造・同行使で懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。
横田基地中ソスパイ事件 ●昭和62年5月19日警視庁検挙
この事件は、ソ遠の情報機関員とみられる
在日ソ遠大使館一等書記官
Y・A・エフィモフ (当時52歳)
I・A・ソコロフ (当時47歳)
在日ソ連大使館三等書記官
V・V・アクシューチン (当時32歳)
在日ソ連通商代表部員
V・B・アクショーノフ (当時35歳)
の働き掛けを受けた
中国情報ブローカー A
と中国公司関係者から働き掛けを受けた
対中国貿易商社社長、中国政経懇談会事務局長 B
が、
在日米空軍横田基地技術図書室従業員 C
軍事評論家 D
とともに、在日米空軍軍事資料の窃取・特出グループを形成し、約8年間にわたり、主として米空軍戦闘機、輸送機のテクニカル・オーダー(技術指示書)を、多額の報酬を得てソ連及び中国に売却していたスパイ事件である。
Aは、昭和54年5月ころに日ソ図書神出店で働き掛けを受けたエフィモフとその後任のソコロフ及び昭和59年2月ころに働き掛けを受けたアクショーノフから、それぞれ米空軍のテクニカル・オーダー人手を要求され、Cが在日米空軍権田基地から窃取・持ち出したテクニカル・オーダーを、Dを通じて購入し、ソ連に売却していた。
一万、Bは、Aからテクニカル・オーダー購入の話を持ち掛けられ、訪中の際に中国公司関係者にテクニカル・オーダー・リストを渡し、昭和55年ころから、訪中の都度、同公司関係者から注文を受けて、Aから買い取ったテクニカル・オーダーを中国に売却していた。
この事件では、Aの自宅から諜報通伝受信用タイムテーブルが発見されたほか、ソ連がAと緊急連絡をする際、選挙用ポスターの公営掲示板に黄色い画鋲を打ったり、歩道橋に白のチョークを引くなどの方法が用いられていたことや、本のウロ(空洞)を埋設連絡場所に設定し
ていたことなどが判明した。
警視庁は、昭和62年5月19日、東京都内井の頭公園においてアクショーノフと密会中のAを逮捕するとともに、B、C、Dを逮捕した。
アクショーノフに対しては、ぞう物故買の容疑で逮捕状を得て出頭を要請したが、同人は急きょ帰国した。当時一時帰国中のソコロフに対しては、外務省を通じて出頭を要請したが、同人はそのまま我が国に戻らなかった。また、アクシユーチンに対しては、外務省を通じて出頭を要請したところ、同人は帰国した。昭和63年て1月26日、東京高等裁判所において、Aは、ぞう物故買で懲役2年6月、罰金100万円、Dは、窃盗で懲役2年6月の判決を受けた。また、昭和63年3月22日、東京地方鉄別所において、Bは、そう物故買で懲役1年6月、執行猶予3年、罰金20万円、Cは、窃盗で懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた。