© Harry Välimäki, Low Impact Records
THE STROLLERS BIOGRAPHY
1.結成
1992年、スウェーデンの中央部に位置する中都市エレブロ(Orebro)。3人の13歳の少年たち、Mathias Lilja<g&vo>、Henrik Wind<organ>、Martin Karlsson<ds>は、Free Forceの名のもとにチャック・ベリーやR&Bのカヴァーをプレイし始めた。彼らは16歳のとき、'60年代のアメリカのバンドたちにインスパイアされた、ガレージ・パンクをプレイするようになる。当時バンドには、リズム・ギタリストとしてThe RoadrunnersのJoakim Dimbergがいた。何度かのメンバー・チェンジの後、"the older and more sexually experienced"(オフィシャルHPのバイオより・・・)Peter Kalin<b>が加入、The Strollersが誕生する。バンド名の由来はYardbirdsの"Stroll On"から。初めてのギグは友人の30歳のバースデー・パーティーに於いてだったとか。
2.レコード・デビュー
間もなく彼らはMusic Machine、The Seeds、The Sonics、Monks、Unrelated Segments、Bernie Boys、Dukes of Dixieland、Kenny & the Kasualsら'60年代のバンドにに影響を受けた独自のガレージ・パンクで、地元で評判のバンドとなる。1997年のある夏の夜、Low Impact Recordsの創設者の1人はホットドッグ・スタンドで”'60年代半ばから今しがた現在にやってきたばかりのようなルックスをした”彼らに偶然出会う。彼は彼らのブライアン・ジョーンズのような髪型を見て、「Hep Stars('60年代のスウェーデンのビート・バンド)のオリジナル・オルガニストの名前が言えたら、ホットドッグやるよ」と言ったという。彼らは勿論正解(Hasse Ostlund)を答えて、ホットドッグにありついたとか・・・。(笑)その出会いの結果、彼らはLow Impactとレコード契約を結ぶこととなった。
1998年、彼らはEP"The Strollers"で遂にレコード・デビュー。その800枚限定のモノラル7”はリリースされるや否や世界中のガレージ・マニアの間で話題になり、瞬く間に完売となった。
3.「Falling Right Down」
続いてシングル"Bring Her Home"をリリースした彼らはその年、ストックホルムで5月に行われた"Garage Fest"(出演:The Nomads,Thee Ultra Bimboos,The Strollers,Demons,The Turpentines,The Barbwires,Fusebox Overflow)や6月に行われた米の『Gearhead Magazine』主催の"Gearfest'98"(出演:The Hellacopters,The Nomads,The Sewergrooves,Sator,Backyard Babies,The Turpentines,The Robots,The Strollers,The Flaming Sideburns)に出演。"Gearfest'98"の模様を収めたライヴ盤は後にGearhead Recordsから"Gearfest!"というタイトルでリリースされた。彼らは"I'm Going Away"、"99th Floor"(Moving Sidewalksのカヴァー)の2曲が収録されている。
1999年4月、1stアルバム「Falling Right Down」が満を持してリリースされる。'60年代の機材を使用して制作された、彼らオリジナルの11曲のハイ・エナジー・ガレージ・パンクが収められたこの傑作は、プレスからも好意を持って迎えられることとなった。
4.音楽的影響
話は少し逸れて、とても興味深い彼らの音楽的影響について。やはり一番大きいのは'60年代のガレージ・パンクで、音楽を作る上ではアメリカのバンドの影響が大きいとのこと。"Back From The Grave"、"Pebbles"などのようなコンピに収録されているバンドや、名の知られているものではMusic Machine、The Seeds、13th Floor Elevatorsのようなバンドをディグしているとか。ヨーロッパのバンドでは、Q65、Namelosers、Them、Dynamitesがバンドのフェイバリットらしい。また、The Who、Pretty Things、Kinksのようなイギリスのバンドも沢山聴いているとか。個々の影響としては、'50年代のロック、アメリカン・パンクからAlice Cooper、はたまたVenom(!?)まで、非常に多岐に亘っている様子。
5.「Captain Of My Ship」
「Falling Right Down」リリース後、その夏の国内のフェスティバルに出演した彼らは、エキサイティングなライヴ・アクトとしても認知度を上げていく。翌2000年6月には"Gearfest 2000"に出演。そして9月には2ndアルバム「Captain Of My Ship」をリリースする。1stで提示したStrollers流'60sガレージを基本としながらも、上記の個々の影響も端々に感じられ、音楽的広がりと深みを見せているこのアルバムを持って彼らはツアーに出る。このときのツアーでは、国内だけでなくドイツ、オランダ、スイス、ベルギーと、近隣のヨーロッパ諸国も廻ったようだ。(ドイツが7箇所と一番多い) このツアーのときかどうかは不明なのだが、フランクフルトでは、相当ヘヴィな体験をしたようだ。彼らが会場に到着したとき、楽屋には、泥酔したのか床に横たわって気を失っているtrash metal guyがいた。救急車がやってきて、実はその男はヘロインのオーヴァードーズだったことが分かった・・・。彼らを襲った恐ろしい出来事は、これだけで終わらなかった。その晩のショウでは、彼らがステージに上がるや否や2人のtrash metal guyがステージに上がってきてMartinを殴り倒し、セットの中盤には人々がステージに上がってきて彼らの衣装を剥ぎ取ろうとしたのだ。彼らは慌ててそこから逃げ出し、その晩はヴァンの中で寝たという。翌朝、彼らがそこへ戻ると、マーチャンダイズは全て盗まれてしまったものの、幸運なことに会場のオーナーがバックステージに持っていっておいてくれたため楽器は無事だった。だが、Mathiasは彼のギターケースに"some idiot had taken a shit in it"(!)されていることに気付く・・・。この出来事を振り返ってHenrikは、"It was pretty fucking disgusting to get it clean.But we did a kick ass show as long as it lasted."と語っている。
6.The Strollers...and Beyond
2001年に入ると、時期はいつ頃か不明だが、Peterがバンドを脱退、Joakim Dimberg(かつてリズム・ギタリストとして在籍していた人物と同一だと思われる)が後任として加入する。しかし今度はMartinが脱退。「The Strollers...and Beyond」なる、現在廃盤になっている"The Strollers"、"Bring Her Home"の音源と新曲からなるアルバムのリリース予定もアナウンスされ、MathiasとHenrikはリズム・セクションを見つけ次第バンドを続けるつもりだったようだが・・・12月28日、ストックホルムのクラブ"The Shrine"にて、Strollersはオリジナル・ラインナップでラスト・ライヴを行い(Marky Ramone&The Speedkings、Satirnine、Maryslimとのライヴで、彼らは2nd bill)、その歴史に幕を下ろしたのだった。
現在、Martinは新バンドを結成、Henrikはアルバムに参加したりと以前から交流のあったThe Peepshowsに加入、MathiasはThe Maharajasとアルバムをレコーディング、とそれぞれの道を歩み始めている。しかし残念ながら、「The Strollers...and Beyond」のリリースは予定はなくなったようだ。(02.04.08記) <2002.07.27訂正>