ブラジル人の楽しみ/ サッカー


    ブラジル人のサッカー熱
    A paixao dos brasileiros em futebol


     ブラジル人のサッカー好きには歴史と伝統があります。特にサッカーが世界的なブームになった1970年代はブラジルが圧倒的強さを見せ、サーカーの王様と言われたペレーに率いられたブラジルチームはワールドカップ大会で次々と優勝を飾りサッカー王国ブラジルとして頂点の座を長年維持したことがありました。



    2002年度サッカーワールドカップ大会でブラジルが5度目の優勝

     ブラジルは過去に4度もワールドカップで優勝し、サッカー王国として知れ渡った輝かしい過去がありながら1994年からはよい結果がなく、ブラジルの景気どうようの状態にありました。
     特にワールドカップトーナメントに参加したブラジルナショナルチームは、ちょうどブラジルサッカー協会幹部の腐敗スキャンダルで、会長らが裁判にかけられていたため、今回のワールドカップ参加に対して当協会が政府に申請していた予算も対応が悪く、険悪な状態で予選試合にのぞみ、ブラジル国民からの期待もほとんどありませんでした。

     ところがこの最悪な状態の中でブラジルチームは次々と勝ち進み、とうとう強敵ベルギーをやぶって決勝トーナメントへと進出した時点ではじめてブラジル人たちは「これはうちのチームが優勝するかも知れない」と期待をもちはじめそれが確信へ変わっていったのでした。

     ブラジル人ファンからは期待されていなくても幸運の女神に微笑まれたとでもいった幸運が重なりブラジルチームは優勝まで驀進できたのです。選手たちの謙虚な姿勢に神様の応援があったのでしょうか。今回はブラジルより完成度が高くみえたチームに勝ち進み、特に決勝戦であたったドイツは技術的にも優勢に見えたチームでした。さらに、ここで2本のゴールを入れドイツに勝利を決めたロナルドは(写真上: Foto: Dusan Vranic/AP)、右ヒザの靭帯を故障し1年半の治療から復帰しての参加でした。医者からはもう前のようには戻らないといわれた状態でした。
     彼はインタビューに答えて「神様のおかげで復帰できた」と述べていましたが、優勝が決まったあとでチーム全員が手をつないでグランドにひざまづいて神様に感謝のお祈りを捧げていました。この風景は昔サッカー王のペレーがゴールを決める毎にひざまづいて感謝の祈りをあげていたのがすごく印象的でしたが、最近はそういった風景が見かけなくなっていただけにチーム全員が祈る姿は彼等の苦しかった苦労が本当に報われたことに対する純粋で謙虚な喜びが感じられました。





    優勝に沸き立つブラジル

     優勝が決まった瞬間ブラジル全土で花火がいっせいに打ち上げられ、朝からまるで戦争がはじまったような騒ぎでした。そして家ではジットしていられないとばかりにブラジルの国旗を担いで車に乗り、街に繰り出すのです。首都のブラジリアでは、クラクションを鳴らし、子供たちは花火を上げながらみんなが立法府、司政府、行政府他すべての官庁が集中する三権広場に向けて車を走らせました。


    6月30日の朝、優勝が決まった瞬間旗をもってブラジリア三権広場に集まるブラジル人ファンたち
    (Foto: Genichiro Ito)



     さらに、7月2日に優勝した英雄たちが帰ってくるのを出迎えるためにブラジルは全国休日となり、大統領がチームに勲章を授与するということで、ブラジリアの大統領府の前の三権広場には15万人という前代未聞の数の市民が集まりました。この日はまず首都ブラジリアで凱旋パレードをし、大統領からの勲章授与を受けた後、ブラジル最大の都市で商業的首都であるサンパウロに飛行機で移動しそこでも凱旋パレード、そしてそれが終わったら、ブラジル第2の都市でレジャーと文化の都市リオに行く予定になっていましたが、ブラジリアでの凱旋パレードに1日つぶれ、サンパウロやリオは翌日になってしまいました。サンパウロやリオで英雄たちを待っていたサポーターたちはくたびれ損の一日でしたが、ブラジルではよくある話でそれほど珍しくはないようでした。



    写真:選手たちが凱旋した日は三権広場に15万人とも20万人も言われる数の群集があつまった。
    Foto: Dida Sampaio/AE




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