シカゴの現在時刻と気温 | ||
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![]() エッセイ… 『200年T』 |
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シカゴの名所に数えられる、北米一-少し前までは世界一だった…-高いビル、シアーズタワーを訪ねると、何やらビデオの上映をやっていて、シカゴの街やシアーズタワーの空撮映像が見られる。その冒頭の辺りで、多分何処かでロケをしたのだろうが、美しい草原が映り「150年程前…この 辺りは草原でした…」という場面が冒頭にある。 150年程前ということで、件のビデオが念頭に置いているのは1830年代から1840年代であろう。その頃の日本は江戸時代の終わりが見えて来る辺りの天保年間であろうか。その草原に街が姿を現し、急速に発展して摩天楼が肩を寄せ合うような都市となった。凄い速度かもしれないが、アメリカという国自体、1976年に漸く建国200年を祝った若い国ということになるのだから、それ程愕くことではないのかもしれない。 「外国の偉い人」という漠然とした括りで、私が一番最初に名前を覚えたのは、この建国200年を祝っていた頃の米国大統領フォードである。後年、歴史を学ぶと、フォードという大統領は少し特殊であったことが判る。フォードの前任者はニクソンだった。ニクソンはウォーターゲート事件で失脚してしまった。大統領に事故があった場合-ニクソンのような辞任、或いはケネディのような暗殺、F・ルーズベルトのような病死などで任期中に空席になること…-は、副大統領が昇格して大統領職を務めることになる。フォードは副大統領だったので、ニクソンが辞任した後の大統領となった。しかし、フォードは副大統領の職をも、前任者が辞任したため、ニクソンの党であった共和党国会議員を代表して指名を受けて得たのだった。米国の大統領選挙では、大統領候補は自分を補佐する副大統領の候補とコンビで選挙戦を戦う。フォードはそういう型で選挙戦を戦っていない。大統領候補としても、副大統領候補としても選挙を経験しないで大統領になったという特異な例なのだ。 このフォード大統領には、自分の姓に引っ掛けた得意な台詞があったという。「私はフォードで、リンカーンではない。」というものだった。フォードは大衆車で、リンカーンは高級車である。彼の言辞の解釈は「自分は国民の多くと同様であり、高級車を乗り回すハイクラスな人間ではない。国民の多くにより近い立場に居るし、居たいのだ。」というようなことだろうか。高級車の代名詞としてフォード大統領が用いたリンカーンも、大統領の姓である。南北戦争という米国史上未曾有の危機の中で大統領を務めたリンカーンは、高邁な理想を謳った高潔な人物だったという。実はこのリンカーンは、シカゴがあるイリノイ州の開拓民の子として、粗末な丸木小屋でこの世に生を受けている。 「150年程前…この辺りは草原でした…」という言葉でシカゴの歴史が語り始められる時、思い起こしてみたい。偉大なリンカーンが生まれた大草原に、偉大な都市が建設され続けて来たということを。ビデオを見た後、そんなことを考えながら、一番高いビルから眼下に摩天楼を眺め、シカゴが、そして米国が過ごした200年、またはそれ以前からの歴史を思った。 |
2002年3月4日 管理人 タシケント |