シカゴの現在時刻と気温 | ||
![]() |
||
![]() エッセイ… 『寒さのこと』 |
||
![]() |
厳寒の時期が去ろうとしている。確りと雪が積もっていれば、歩くのは然程困難ではないが、決して高くは無い気温と無関係に降り注ぐ太陽光線の力で積雪表面が融けると、日没後に積雪表面や、融けた雪の水で湿った路面が凍結する。毎シーズンのことながら、数度の転倒を経験させられる。幸い、それで怪我を負ったことはないが、気持ちの良いものではない。しかし「こんなことなら雪が有る方が良い!」と考えてしまうこともある。季節の変わり目には、前の季節を思い出し、季節の半ばには来る次の季節を思う。身勝手と言えば身勝手である。 他所の土地を訪ねるというのは“機会の有無”に左右されるもので、更にその訪ねた時期のことしか知り得ない。それでも、訪ねた土地では、何時ものような身勝手な考え方をしていることに気付く。知り得ない来る季節を、或いは過ぎた季節を思っている。 シカゴについて、私は現時点で冬の様子しか知らない。冬のシカゴを二度訪ね、訪ねた都度に春と秋、更にはそれらの間にある夏までを思っている。 冬のシカゴについては、積極的に「凄く良い!!」と絶賛する声を耳にしたことは無い。「とんでもなく寒いので、出来れば他の季節が良い。」という声が大勢を占めるように思う。寒い、逆に暑いというのは身体には堪える。出来れば避けたい。そういう意味では両者とも大差は無いように見受けられるのだが、どちらかと言えば、寒いことについて否定的な見方が強いように感じる。 私は暑い方について、より否定的な見方をしている。身体を動かせば益々暑くなり、裸になろうとも避ける術が無い上、私の住む稚内のような土地では冷房が普及していないので如何ともし難い状態に陥ってしまう。寒い場合は、着込むことが簡単に出来、用事があって外を歩けば身体は火照る。更に稚内のような土地では屋内の暖房は完備されている。 そういう事情で、シカゴを全く訪ねたことの無い段階でも、「冬は寒いのかもしれないが、大勢が住んでいる大都市なのだから、暖房などの対策も完備されており、南極点のような途轍も無い気温ではないのだから、着込んで凌ぐ術もあるであろう。」という見方をしていた。 寒さというものは、少し興味深い。気温のような誰にでも見える数値で判り易く示し難い場合が多いと思う。例えば稚内は、気象情報で示される冬季の気温を単純に信じる限りにおいては、北海道内でも「凄く寒い場所」という程でもない。しかし、実際には海からの冷たい強風のため、氷点下3℃でも内陸の氷点下20℃より辛く感じられる場合さえある。こうした“体感”は数字にはなり難いが「風速○mで○℃低く感じる」という目安はあるようだ。 初めて訪ねた際、シカゴには雪があった。シカゴ空港のビルに入る前は、積雪で滑走路が塞がっていることを受けて、除雪のために待たされた。この時は直ぐに空港から乗り継いでしまったが、復路では市内に出た。薄らと雪が積もっていたり、所々積雪が溶けて凍ったりという具合だ。気温の方は0℃から氷点下4℃程度だった。「最悪!」という程でもない、北国なら何処にでもある程度の寒さだと感じた。 二度目は事情が少し違った。積雪は無かったが、気温は氷点下10℃前後だった。北極の寒気が居据わっていて、寒気に冷やされて半ば凍った湖面を渡る冷やされた風が時々市街に舞い込む状態だった。ジッとしていると頭痛がする…アイスクリームを勢い良くガブガブと食べた時のような感じだ…ニットの帽子、ロシアでもあるような毛皮の帽子、スキー場で見かけるようなフェイスマスクと防寒具の見本市のような様子が見受けられる。 空港の離発着が若干乱れる様を目の当たりにしたが、シーズンに何度かは、酷い雪などで市内交通などに影響が出てしまうこともあるように想像する…冬というものは、ホワイトクリスマスのようなロマンティックな面ばかりではない。 ただ、こうした厳しい自然も、シカゴの個性の一部なのだろう…頭が痛い寒さも困るが、それもまたシカゴの一面ということで大事にしたい気分である。… |
2002年3月18日 管理人 タシケント |