SFOにて..........................................岸上順一


出発が夕方の4時になった。誰かの迎え、見送りのときは必ずUnitedのセンターに到着予定の最新情報を聞いてから出かけるのに自分の乗る飛行機だけはいつも定刻どおり飛んでくれるものといつのまにか信じていた。強い願望がいつのまにか信念に変わっていたようだ。車を預けてチェックインカウンターでビジネスクラスに乗る優越感を隠しながら、出発時間が2時間半ほど延びていることを聞いたのはもう遠い昔のことのような気がする。普段ほとんど読むことのない日本の週刊誌をたまたま持っていた。やはり台風の影響で成田で10時間も待たされた人から昨夜貰ったものだ。相変わらずの水増し記事の固まりではあるが、とにかく端から端までじっくり読んでしまった。週刊誌を読んでいると山の手線にいる感覚になるのはどうしてだろう。カリフォルニアのどこまでも青い空の下で読む違和感を味わいながらも次第に周りから遊離していった。

こんなゆっくりした時間は何年ぶりだろう。常に時間を有効に使おうと毎日を過ごしてきた。空港に来る前も朝からベンチャー企業を一社訪問し、家でシャワーを7分で浴びた後オフィスでシステムの設定、出張に行っている間の処理、昨日までほとんど徹夜をして仕上げたレポートの最終推敲をしていた。こんなことならもっとゆっくり出てくればよかったと思いながら、この中途半端な空間を楽しんでいる。

日本の動きが政治、経済そして「インターネット」と毎日伝えられるのを読みながら、自分自身の存在が相対的になっていく。年齢的にも空間的にも、仕事の面からも過渡期に居るのだともう。普段はそんなことを感じる余裕もなく一瞬でも無駄にしないなどと考えている。ここ数ヶ月で急激に増えてきたemailが加速しているのだろう。常にモニターしているわけでもなく、電話のように邪魔されるわけでもない。でも常に誰かとコミュニケートしている疑似体験の中にいるのは少し疲れる。何かが常に通奏低音のように流れている。

流れゆく時間の中でふと優しくなれるときがある。それは一定のリズムを持って順番にものごとが出てゆく中で予定されていたものがすべて出尽くして次の荷物を待っているバッゲージクレームに似ている。そんなぽっかりと空いた時間のスポットにほうり込まれたとき、急に人恋しくなる。誰かにすごく優しくしたくなる。今だったら普段言えないような気恥ずかしいことばも素直に言えるような気がする。同じ飛行機に乗るであろう子ども連れの親子を隣に見ながらそう思った。

日本もがむしゃらに働いてきて、バブルを迎え、やがてそれが去りいろんな膿が出てきている。心の問題を書いた本をサラリーマンがこぞって読んでいる。みんな自分に帰りたがっている。茶番劇でしかない政治がやはり単なる政治劇にしかなかったことを知ってしまい、官僚をはじめすべての権威が失墜していく中結局すべては気の持ちようさと自分を慰めている。

搭乗開始を告げるアナウンスに現実に引き戻されてしまった。今年になって4回目の東京はどんな顔で向かえてくれるのだろうか。今夜は誰かを誘って久しぶりに新宿3丁目でズブロッカを飲もう。ズブロッカは香草を入れたウォッカであるが。アメリカではこの香草が麻薬に指定されているらしく飲むことができない。バターコーンをつまみになんて考えていると東京もなかなかいいなと思えてくる。

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