"神様がくれた赤ん坊" -母と子の絆-....................大川 恵


―母親の切なる願い<わが子が欲しい>。しかし不妊症を克服した末に授かった娘は"ダウン症"だった....。(講談社文庫“神様がくれた赤ん坊”より)

―最近、"命の尊さ"を実感させられる、素敵な本に出会いました。この"神様がくれた赤ん坊"は、一日一日を精一杯生きているダウン症の女の子と、そのお母さんの人生との戦いを記したノンフィクション。この本を手にとった時、正直言って"お昼のドラマにありがちな、お涙ちょうだいの手合いの悲劇ものかな"と思ってました。そして、それならば.....と、泣く準備をしながらページを開き....。ところが、彼等は、嬉しい意味で私の期待を裏切ってくれたんです。確かに、主人公とそのお嬢さんは大変な人生を歩いています。でも、不思議と暗くないんです。もちろん、泣きもし、絶望感にも何度も陥ります。でも、そんなどん底からでも、一筋の光を見い出し、喜びを探し出しているんです。彼女は言います。"健常児やその家族から見れば、あんなに何もできなくて、何が楽しいのだろうと思われるレベルかもしれないけれど、私には、娘が本当に楽しんで毎日を過ごしていることがよくわかるから、私も楽しい"と。

私にはまだ子供がいません。母親になるという気持ち、血を分けた子供に対する思いというものは、母になれる体を持つ女として想像はできても、実感としてはまだちょっと....というのが本音です。そんな私が、ここで何を言っても、偽善にしか聞こえないかもしれませんから、これ以上、この本に関する感想は書かないことにしましょう。でも、こんなに小さな子が精一杯生きている同じ世界で、どれほど自分が毎日を何気なく過ごしてしまっていたことかと反省したこと、どれほど私を生んでくれた母を愛しく、ありがたく思ったか、そして何より、尊い命を自ら断ってしまうというニュースの多さに、どれだけ(あらためて)怒りを感じたか、それだけは絶対記しておきたい。

私自身、母にとって、やっと恵まれた一粒種です。家族に縁の薄い母の喜びや私に対する思いは、計り知れないものがあることと思います。未熟児で生まれ、なかなか保育器から出てこれない私に、お乳をあげることが許されず、泣く泣くお乳をしぼって捨てた母。小学校に入学してすぐ、助かる見込みは少ないと言われた、左肺腫瘍の摘出手術を受けることになった私と、自分が倒れるほど、倒れてもまだまだって粘るほど、一緒に頑張ってくれた母。その後も(もちろん、父がバックにいてくれてますが)ほとんど二人三脚の状態で、一生懸命育ててきてくれました。

それなのに、一人で大きくなったみたいな顔して生意気言って、いっぱい傷つけちゃったことがありました。心が張り裂けんばかりに泣くくらい傷つけちゃったのに、それでも、いつも私の味方でいてくれた。反対を押し切って行動したことが失敗しちゃって、部屋で隠れて泣いてた私の姿を見て、何も言わずに、一緒に泣いてくれたこともあった.....。ずっとずっと、親子というより“同志”という言葉の方がしっくりくる母娘だったような気がします、この“神様がくれた赤ん坊”の母娘のように。 何度も聞いた母の"子育て苦労話"が、この本によって、心にゆっくりと溶け込んでいきました。こんな暖かい気持ちを与えてくれた作者に、母に、心からのありがとうを。そしてすべての人に、主人公あてに彼女の父から送られた手紙の一節を....。

―あなた達がこの世でたったひと組の母と娘であることの意味の大きさを思い、過ぎ行く時を、手のひらでおしいただき、温めるような気持ちで、毎日を過ごしてください。(講談社文庫"神様がくれた赤ん坊"より)-

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