ウナギが消えた日................................Takeshi Okai
昭和42、3年頃、東京から福岡に移り住み2年程経った時であろうか、ある晩、父が珍しく私達が起きてる間に帰宅した。庭を歩いてくる父を茶の間から「お父さんが帰って来た!」と兄弟大騒ぎで迎えた。その父の背広の右ポケットに茶色い小さな生き物がうごめいていた。それが、ボクら兄弟とジロとの出会いであった。ジロは雑種のいわば捨て犬である。動物好きの父がアニマルシェルターのような所であまりに可愛いので五百円で買って来たのであった。私達はジロが最初に家に来た晩、玄関に置かれたダンボール箱の中でクンクンと心細げに吠くジロが心配で「甘えグセがつくからほっときなさい。」と言う両親の忠告をよそにジロの様子を見に行っては撫でたり抱き上げたりしたのだった。ジロとボクらは毎日一緒に遊びながら大きくなった。もちろん犬のジロはアッという間に成犬になり、弟はジロの上に乗ったり犬小屋でジロと昼寝をしたりしたものだった。その上ジロの尻尾を引っ張り回したり肛門を棒でつついたりもしていた。ジロはとても利口な犬で人間の言う事をとてもよく理解していた。知能指数は、青ッ鼻を垂らした弟よりはるかに高かった様に思う。私は一人で留守番をする時など家の中に一人で居るのが恐かったのでジロのいる庭で母の帰りを待ったものであった。夕食の買い物のほんの短い間であるが幼児にとってはすごく心細く長い時間であった。ジロはそんな私の気持ちを理解して励ますように優しく側に寄り添っていてくれたのであった。幼い私達の無邪気な虐待にもよく辛抱し、家族の一員として楽しく毎日を送っていたのである。
あれは暑い暑い夏の日の出来事だった。多分土用の丑の日であったのであろう。いつも行く近所の魚屋に見馴れぬ桶が置いてあり、中には黒く長い魚がうにゃうにゃとうごめいていた。その日の母はいつもの母と違った。三人のクソガキの子育てに追われ少しやつれては見えるものの、はにかみ屋さんの私がしがみついている足にはビンビン気合がみなぎり、しっかりと大地を踏みしめていた。母は、おもむろに桶の中を指差し「すみません、おじさん。今日はウナギを頂こうかしら。五人前でどれぐらいかしら?」とさり気ないながらもどこかしら得意げに言い放った。魚屋のおやじも、渋チンの常連客からの豪奢な注文に相好を崩しホイホイとウナギをさばき始めた。ヌルヌル動くウナギの頭を錐でトンとまな板に打ちつけてスイスイと嬉しそうにウナギをさばいていくおやじとそれを満足気に眺め、ウットリと恍惚感に酔いしれている母を見て、二人の大人の放つ異様な雰囲気にウナギの価値のよく判らない私も只ならぬものを感じ取ったのであった。さばき終わったウナギを受け取る母は周りの買物客に対する優越感に包まれ輝いていた。今晩の夕食の支度に向けて闘志を剥き出しにしてメラメラと燃える母は、隣の駄菓子屋でアポロチョコを買ってくれと涙ながらに訴える私を引きずるようにして家に帰って行ったのである。
その日の夕方、私達兄弟はいつものように庭で遊んでいた。もちろんジロも一緒だ。そうやって日暮れまで外で遊びまくるのが私達の仕事なのである。そのうち家の中からモーレツにいい匂いがしてきた。「この匂いは何だ!これはやはり只者ではない。」私の嗅覚が大人達のウナギに対する異様な執着の理由を感じ取ったのであった。私の口の中では“未知の味ウナギ”に対する期待で唾液がジュワジュワ分泌され空腹に拍車をかけたのであった。しかし、子供は一度遊び始めるとなかなか止められない。いい匂いはするが、まだ遊び足りない。家に中から母の「ご飯よ、家に入んなさい!」という声が聞こえた。母の言う事を一度できいた試しが無い私達はキャッキャッと遊び続けていた。やがて堪忍袋の緒が切れた母が庭にやって来て、言う事をきかないクソガキどもをシバキにきた。私達は逃げるように家の中に飛び込み食卓に向かおうとした時、母が突然大きな声で「あれ!無い!ウナギが無い!」と叫んだ。私は何がどうしたのかサッパリ判らなかったのだが、確かに食卓の上にはどんぶりが人数分並び白いご飯が盛られているが茶色いウナギのたれが、かつてそこにウナギが存在していた事を証明はしているものの、肝心のウナギ様の姿はどこにも見当たらなかった。我家の食卓は瞬時に一大パニック状態となった。母はキツネにでもつままれた様な顔で茫然自失状態である。母が私達を呼びに庭に出た一瞬のスキに母が人生を賭けて焼き上げたウナギの蒲焼きが姿を消してしまったのであった。
母は、やや青ざめた顔で「泥棒にでも盗られたのかしら?」などと、とんちんかんな事を言って必死にウナギの行方を考えている。私は、当時はやっていたUFOのテレビ番組にぞっこんだったので、宇宙人の仕業かもしれないと真剣に考え込んでいた。弟は、何も考えていないようだった。その時、一同の脳裏に私達が家の中に駆け込むのと同時にすれ違うように外に飛び出して来た黒い影があった事が思い浮かんだ。「あっ、ジロだー!」一同は、茶の間の外の犬小屋の前でペロペロと口の周りを舐めまわしているジロをキッと睨みつけた。ジロはすまなそうな顔でウナギの余韻をしっかり口の中で堪能していた。彼はちゃんと判っているのだ。自分がどんなに大それた悪行を働いたか、でも我慢出来なかったのだ。誰がジロを責められようか、誰だってあんないい匂いがしてきたら一生に一度ぐらいたとえ命を危険にさらしても腹一杯ウナギを食べてみたいと居ても立ってもいられなくなるではないか。しかし、私の母は責めた。「ジローーーーー!」と叫んでジロに詰め寄った。ジロは頭を垂れてお裁きを待っていた。ウナギの素晴らしい味と価値をよく理解していない私達は母に「ジロが可哀想、叱らないで!」と、愚かにも懇願したのだった。眉間にシワを寄せ、こめかみに青スジをたてプルプルと手を震わせる母は今度は私達をキィッと睨みつけ「元はと言えば、あんた達が何度呼んでも来なかったのがいけないのよ!」と怒鳴りつけた。お怒りはごもっともである。私は迂闊にジロの弁護をした事を後悔し、母の叱責が少しでも兄か弟に向かってくれる事を願った。
こってりと油を絞られた私達はすっかりしょげ返り、家族そろってウナギのたれのしみたウナギの香りご飯をさびしく背を丸めただ黙々と掻き込んだのだった。そのご飯から香るウナギの香りは、何とも言えず美味なもので「本物のウナギだったら、どんなにおいしかっただろう。」と思うとやり場の無い怒りと虚しさが込み上げてくるのだった。庭ではジロが相変わらずすまなそうな顔をしているが、奴は私が食べた事のないウナギをたらふく食べたのだ。やはりジロは利口な犬だった。マヌケな私は、今でもウナギを目の前にすると、あの暑い夏の日の出来事がツーンと鼻先にほろ苦い思い出となって蘇ってくるのである。あの日以来、私は「ご飯よ!」と呼ばれるとすぐ食卓につき、自分の好物は人に盗られないように真っ先に食べる食い意地のはった性格になったのである。