就職活動おそるべし

飯田 仁子

とにかくやたら暑くて仕方のない日であったが、かといって家でゴロリとしながらジュース片手にお笑い番組でも..という訳にもいかなかった。そう、今日が本命の会社"M物産"の面接日なのである。思いおこせば、その4ケ月前に母と二人で大阪、梅田にある阪神百貨店に行って「親も子もそして会社も納得出来るであろうリクルートスーツ」なるものを購入して以来、私はこの日で入社試験だの、面接だのといったものとおさらば出来ることをずっと心から願っていた。当時の私は大学4年生であり、卒業までに、いや夏休みが終わるまでにどうしても卒業後の就職先を決めておかなければならなかった。おまけに自宅生だった私には親の希望や近所の人達の目といつも考えて行動しなければならず、これがプレッシャーとなっていた。毎日のように会社説明会や入社試験なるものを終えて帰ってくると結構いい時間になってたりするのであるが、この頃家の近所で決まって会うのはTさん、Iさんといったいわゆる"町内の放送や"と呼ばれる人達である。彼女達の笑顔は素敵だ。「まぶしいよ、おばちゃん!」とでも言いたくなる。しかし彼女達の質問には決して気を許して答えてはならない。何故なら私の言った一言が次の日には"町内奥様井戸端会議"の重要項目になっていたりするからである。

「今日の面接は午後2時半からであるから。30分程の余裕を考慮に入れて、そうだな午後1時には家を出よう。するとスーツを着てお化粧をするのは12時からだな。」その時も私はそんなことを考えながら朝食をゆっくり食べていた。大好物の茄子の漬け物をポリポリかじっていると、さり気なく母が「仁子ちゃん、御飯のお代わりは?」と声をかけてくれる。今日だけは母もいつもより2倍から3倍親ばかである。つまり御飯を山盛りで3杯食べても怒られそうにないってこと。しかし、そういう日に限って緊張のためか食欲もない...残念。今日は面接だけだから試験問題集のチェックはする必要無し。一時は問題集に載っていた四字の熟語から何から何まで全部丸暗記しましたが...、などとぼんやり考えていると、12時前には父からの電話がそれとなく入る。「いいか、仁子。一言だけ言っておく。15分の面接が20分になったら内定をもらったと思え。」

父にはああ言われたが、そこは本命の会社の面接を受けにきているただの内気な女子大生...面接室のはす向かいにある待合室に入った後は緊張度も急上昇、胸がドキドキしているのが周りの人達に聞かれるのではと思ってしまう程だ。それでも汗をふきふきしながら注意深く部屋の中を見廻すと、やはり他の学生さん達も落ちつかない様子である。その中の一人などは小さな手でハンカチをぎゅっと握りしめうつむき加減の姿勢で座ってらっしゃる。親友のA子によるとここが私の性格のよくわからないところであるらしいが、やはり同じ緊張している者同志、仲良くしましょう!と私の方では気分が盛り上がったので、こちらから声をかけてみた。「こんにちは。今日はとても暑いですね。」可哀相に、彼女の方は私の100倍位緊張していたらしい。「ヒッ。」と小さな声をあげ、驚いた様子でこちらを一瞬ではあるが見つめた。そしてぽつりと一言「そうですね。」と言ったあとはまた黙ってしまった。その一分後には、係の人に呼ばれたので、ひきつったままの顔で彼女は面接室へと向かった。

どのくらい待ったのかはよく覚えていないが、どこかに自分の名前を呼ばれたので面接室に入ると、そこには3人の面接官の方々が"どーん"という音が一瞬聞こえたかと思った程、堂々とした姿勢で座っていらっしゃった。それまでの自分自身の面接経験から即時に私はこう判断した。左端の若い面接官は私に対してごく普通の基本的質問を担当する人、中央の方は多分係長―課長クラスの位で、私の話し方やマナーをチェックする人、そして右端に何気なくいらっしゃるのが人事部長さんで、この人こそがとんでもない質問をふっかけることで、私自身のとっさの判断力と冷静さを見極めるのであろうと。そしてほぼ同時に15分の面接であるから必ず最初の5分以内に大きな笑いを1つこの三人からとることを私は考えた。「そうすれば、きっと私の面接は彼らにとって興味深いものになり、成功する。」「きっと上手くいく。」私の心の中ではこの瞬間チーンとゴングが鳴ったように思えた。

私の面接は15分が25分にまで延長されて終った。人事部長さんが時計を見て「あっ、もうこんな時間ですね。いやあ、飯田さんとお話していると、すっかり楽しくなってしまって...。今日はどうも有難うございました。」おっしゃって下さった時には、心の中で「やった!」と思ったものだ。あまり気分が良かったものだから、デパートに寄ってクッキーの詰め合わせを買い帰宅した。家に帰ると案の上、母がパタパタとスリッパの音をたてながら寄ってきた。「あら、お帰り。面接はどうだった?」「うん、まあ15分のところが25分にまで延びた。3人の面接官とも最後まで熱心に話を聞いて下さったし、上手くいった方やと思うよ。」「まあ、まあそれは良かったわ。」

リクルートスーツからジャージに着替え食堂に行くと夕食が待っている。シャージ姿の私を見ていつもは「情けない」を連発する母も今日だけは何も言わない。どうやら大変重要な話があるようである。「今日ね、M子ちゃんのお母さんとTさん宅の前で会ったんだけど...」母は手早く出来上がった料理を食卓にならべながら話を続けた。M子ちゃんというのは、同じ町内に住み、来春短大を卒業する予定の人だ。「もうM子ちゃんには、別の一流銀行からほとんど内定が出てるんだって。」「あっそう。」「ちょっと、あんた聞いてるの。M子ちゃんのお母さん、すごい、自慢げやってんよ。」私はクーラーのきいた部屋でビールを飲んでいるだけで、もう極楽に行ったような気分になっていたのだが、母にとってみればM子ちゃんのお母さんの自慢話の方がそんなことよりはるかに重要らしい。ちょっとした情報を手にした"町内スパイ"の1人というところか。「お母さんさ、ここ数週間M子ちゃんのお母さんがいつもその"一流銀行"のことを井戸端会議で引き合いに出してきているのはわかるけど、一流銀行といっても、一体どこの銀行なんさ?。」「それなんよ。あんまりいつも"一流銀行"としか言わはらへんからTさんがさすがに今日は、"ねえ、ところで、それはどこの一流銀行"って聞かはったんよ。」「それで?」「さすが彼女の方が一枚上手よ。"M子の内定が出るのも今日、明日のことですし、そうしましたら正式に発表させていただきます"ってさ。」奥様同志仲良くやってゆくのも大変そうだ。自分の子供の就職活動のことくらいで、プライドを高くしたり、低くしたり...夏バテ以上に疲れそうです。

M物産から内定通知の電話連絡が入ったのは、面接日から4―5日経ってからだった。その時、私はアルバイト先の学習塾におり、会社からの電話を実際に受けたのは私の母であった。"その様子をそっと見ていた"という妹によると「お母さんがあれだけ電話の前でペコペコ頭を下げているのを今までに見たことがない。」という程、非常に丁寧に応対していたそうだ。何だかんだと言っていても、こういう時には母親の愛情で応援してくれているんだね。お母さん、どうも有難う!実のところ一番笑ったのは、そのまた2―3日後してかかってきた祖母からのあまりにも可愛い電話の内容である。「あんたは美人でもないし、身長もないのにM物産に採用されて...おばあちゃんは本当に嬉しいですよ。」今は天国にいるおばあちゃん、ごめんなさい。でも就職活動はミスコンテストとは違うんですよ。

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