Bilingual Educationを学んで
宗田 昭子
6歳と3歳でアメリカにやってきて、最初は何をするにも親を頼っていた子供たちが、現地の生活になれ不自由なく英語で友達と遊ぶようになった頃、日本語と英語の二つの世界を持っている子ども達に対していろいろな興味を持つようになりました。 生まれてから30?年日本という国で日本語だけで教育を受けてきた私にとって二つあるいはそれ以上の言葉を自由に操ることのできる人は驚異でした。英語以外の言語を第一言語としている子供たちはどんなふうに英語を習得していくのだろうか。 日本をでるときにいわれていたように小さい子供は自然に英語を習得したのだろうか。 英語を習得するにつれて日本語が下手にならないのだろうか。子供たちの頭の中で英語と日本語はどんなふうに作用しているのだろうか。 次々と疑問がでてきました。
Bilingual Education は 大学での専門分野としては 大別すると二つの分野で研究されています。言語学と教育学です。私が学んだのは San Francisco State Universityで、教育学の中のBilingual Cross-Cultural Education です。 アメリカの大学はとても柔軟で、私の専門とした分野は独立した学科としては提供されてはいなかったのですが、担当の教授のアドバイスをもとに自分で講座を選ぶ事ができました。おかげで教育学部以外にも英語学科、民俗学など学部を超えていろいろな分野を勉強することができました。学生の層も20代の大学生から、教師を目指している学生、すでに教師の職に就いている人達など様々でした。日本の大学と違って年齢も経験もそれぞれに違っていましたので、私のように外国の大学をしかも十数年も前に卒業した者もすんなりと受け入れてくれました。
クラスはほとんどがグループでの討論や、研究発表が主でしたので、最初に「日本で教育を受け、英語をまだ自由に操ることはできません」と弁解がましく自己紹介をしたのですが、その時の教授や学生の反応はとてもやさしく、逆に元気付けられる事が多くありました。「英語が第一言語ではないのだから、違って当たり前、ここで勉強しようとしている事はとてもすばらしい事で、日本語での知識は十分にあるのだからもっと勇気を持ちなさい。」「間違いを恐れていては、スムーズな討論ができないから恐れずに発言しなさい。気になるところは直してあげましょう。」 ESLの教師をしている学生が多かったことも幸いしていたと思われます。中でも私の担当の教授達は、レポートの採点をする時に、「英語を母国語としているものと英語を第二言語をしているものを同じ観点で採点する事はできない。形式より内容が大切だから、形式的な誤りで減点をする事はしない。ただ、言葉の選択や、ESL特有の文法の誤り(これは第一言語が何かによって様々なのですが)は、大人になって英語を勉強した人には大変苦労することだから、事前に誰かに添削をしてもらうように。」と、とても理解があり、できない事で排除するのではなくできる事に着目して、みんなを受け入れようとして下さいました。
このアメリカの異種を受け入れようとする姿勢は、ESLの子供たちが現地の学校に通う時にも通じるのではないかと思います。特にカリフォルニアでは、マイノリティーとマジョリティーが入れ替わるような勢いで英語を第一言語としない人口が増えてきており、ESL教育は重要課題の一つです。以前は、アメリカ社会はメルティングポット(人種のるつぼ)といわれていましたが、最近はサラダボールと考えられるようにようになりました。つまり、様々な社会的文化的背景を持った人々が一つに同化してしまうのではなく、異なったものは異なったものとしてお互いを尊重して、共有していこうということです。学校教育も英語が母国語である事が前提となっているカリキュラムから、 英語以外の言語を第一言語とする子供たちを対象にESLやバイリンガルのプログラムが設置されるようになりました。ここで対象とされている子供はいわゆる "language minority" 新しく移民で来た子供達や、アメリカで生まれて家庭での言語が英語ではない子供です。
今回は、バイリンガル教育よりも少しESL教育について述べたいと思います。ひとくちにESLプログラムといいますが形態は様々です。ESLのクラスが特別に設けられていて、一定の期間あるいは一定の英語のレベルに到達するまでそのクラスで、教科学習を行う。例えばESLの歴史の授業では、生徒たちはまだ完全に英語をマスターしていない場合でも特別な教授法によってわかりやすく英語で授業を行っています。ESLのクラスが主に英語をマスターすることに重点を置かれている場合、"pull out"方式といって普段は他の生徒と一緒にレギュラーのクラスで英語で教科の授業を受けているが、ある一定の時間他のクラスの生徒たちと一緒にESLのクラスで英語自体のマスターのための授業を受けます。ESLの先生がレギュラーのクラスに定期的にやってきて対象となる子供たちのサポートをする場合もあります。(低学年の場合に多い。)最近ではレギュラーのクラスの先生がESLの生徒を指導する資格をかねて、レギュラーのクラスの中で他の生徒と一緒に教える中でESLの生徒を指導していく形が増えています。レギュラーの先生達に対して、ESL教育やMulticultural(複数の文化相互の)教育の講座を取ることが奨励されています。
各学校でどのような指導方法を取っていくかは、その学校の生徒の構成、教師の構成、予算や方針など様々です。ただ、ESL教育を行っていく根底には、子供達が学校で学ぶ時に(学校にいる時に)英語ができないということで疎外感を感じることなく、学校が安全で子供たちが安心できる場所であるように、 ESLの子供達も自尊心を育てられるような場所であるようにという考えがあります。学校や教師は子供達の第一言語や文化を否定するのではなく、尊重しようという姿勢でESLの子供たちに接し、家庭との交流を望んでいます。
この場合家庭は子供が学校に慣れて英語を習得するのに一つの大きな役割を果たします。自分の子供の勉強の面倒を見ることに限ったことではなく、例えば、最近はいろいろな学校において文化の紹介の企画やプログラムがたくさんあると思いますが、その時は積極的にご両親も参加することが期待されています。また、liaison(連絡役)学校からの書類やPTAでの行事を同じ第一言語のグループに訳して伝える係りの人がボランティアとして存在する学校も多いと思います。 いろいろな方面で学校はご両親を始め同じコミュニティーにすむ人が同じ民族グループの子供達を助けることを大歓迎しています。
最後に子供達が、ではどのくらいの期間ESLのクラスにいるのかということが問題となります。子供がアメリカに来た年齢、家庭で話している言語、周囲で使用されている言語、子供の性格などにより様々ですが、一般的に2年ぐらいすると日常の会話はネイティブと同じようになるが、学習面では、ネイティブの子供との差がなくなるには5年から7年かかるといわれています。幼い頃来た子供は日常会話は早く習得し、ある程度の年齢で、第一言語で母国で教育を受けてきた子供は、学習面での到達はもう少し速いともいわれています。従いまして、ここで家庭として大切なことは、子供がESLのクラスを卒業した時、会話レベルまで達して卒業したのか、学習レベルまで達して卒業したのかを考える必要があります。 2年前後でESLを卒業した場合学習レベルではまだ到達していないのでレギュラーのクラスで子供は必要以上の苦労とプレッシャーを感じることがあるからです。また逆に2、3年でESLを卒業しないからといって子供の英語力は決して劣っていないのです。子供の英語の習得にはいろいろの段階がありますから、焦らずに子供が一番過ごし易い環境をつくってあげて、時には一緒に地域の活動に参加することも必要だと思います。特に日本人の子供たちは日本語の保持をすること以外にも忙しすぎる毎日を送っているような気がします。(これは私自身の子供達を見てても思ったことです。)
大学で学んで、それまで母親として子供を異国の地で育てるのに英語を伸ばしながら日本語を保持させるために暗中模索ながら良いと思ってしてきたことも、ESL教育の理論にかなっていたこともあれば、まったく違ったことを子供に押し付けていたことも分かりました。
アメリカにきて8年目の今は、考え方がだんだんアメリカ人になってくる息子達にどうやって日本のよさを伝えようかと思案中です。
バイリンガルエデュケイションについて何か執筆をというお言葉に甘えまして思いつくままにESL教育の現在を書き連ねましたが、ESL教育について、Bilingual教育について、異国での子育てについて、皆様のご意見を頂けたら幸いです。
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