歯痛からの連想

小玉信子


近頃、2年前に治療した差し歯がとても痛む。神経を抜いたはずなのに痛む。出勤前、車に付いた霜をガリガリ削り取りながら息をする時、特に痛む。今年の札幌は、暖かいというものの一日中氷点下である。寒さが歯にしみるのだ。   

歯といえば学生の頃、歯科医院で受付件雑用のアルバイトをしていたことがあった。お世辞にもきれいとはいえないビルの2階にあったが、新潟市の繁華街のど真ん中にあったのでそこそこ患者さんも来ていた。そこの先生はキュ−ピ−さんを小太りにしたような風貌で、暇さえあれば診察室の奥のソファ−に寝転がり本を読んでいるか、親指を鼻の穴につっこんでぼ−っとしてしていた。夜はほとんど飲み歩いているらしく、二日酔いがひどいときは診療を夕方だけにしたり休診してしまうので、常勤の助手は予約変更の電話に苦労していた。その当時 、私は放射線技師になる勉強をしていたのだが、学校は職業訓練所みたいでとても学問する雰囲気ではなく、国家試験に受かっても医者に顎でこき使われる仕事に就くだけのような気がして病院実習もなげやりになり、自分の将来にとても悲観的になっていた。ならばいったい何をしたいのだろうか?このまま年をとって行くだけならば何年生きても今死んでもそう変わりないだろうなと、いつも考えていた。

ある日のこと、アルバイトの合間に先生と話す時間があり、そのことについて話を聞いてもらったことがあった。すると 「そりゃあなた、医者は偉いとか、研究に没頭する学者は崇高だとか、 芸術家は自己表現できて純粋だとかいう固定観念にとらわれているからですよ・・・・。いつも向上心を持って目標に向かい努力し続けることがいいことだと思っているでしょう? そういうふうにできない人は失格者だと育てられてますからね・・・。」というようなことを、あっさりと言われてしまった。いい学校に行くために勉強するぞと18まで(漠然と)過ごし、結果として挫折してしまったと悔やみながら学生生活を送っていた私は、宙ぶらりんでただぼんやり生きていくであろう将来に対して嫌悪感でいっぱいになっていた。 先生に言われたことで自分の現状は見えたような気がしたが、それまでの価値観を切り替えることはそうたやすくできそうもなかった。 どこかに答えを見つけた人がいないかと、本を読みあさったりもしたが、私の生き方について書いてある本なんてどこにもあるはずもない・・・・。

そして何年もたった今、その答えはまだ見つかっていない。ただ、いつからかわからないが、私は技師の仕事をしている自分が好きになっていた。「明日は手術だから、うまくいくように祈っていてよ」というおじさんや「検査の時落ち着くようにと、いろいろ声をかけてくれてありがとう」と言ってくれた若い女性に逆に励まされていた。傍若無人な老人に尊厳すら感じ、彼らと心が通っていく過程が面白くなっていった。何よりも、求めていたのは人とのつながりだったのかもしれない・・・・。自分を少し認めたことで私は少し楽になった。未来を見つめることは、現在を認めることから始まるのかもしれない。まっすぐに、目をそらさず。 

表紙へ戻る

目次へ戻る

投稿・お便りは、tane@nttca.comまでお送りください。