手の中の記憶
高橋潤子
左手の中に完全に飽和状態に達した、ずっしりと重くそして暖かい紙おむつがあった。
そこで目が覚めた。夢である。つい左手を布団の中で握ってみたりした。その外したばかりのオムツの感触は、ここ何年かの間、意識の上ではすっかり忘れていたものであった。下の娘のおむつが取れてからもう4年以上になる。二人の子供を育てる中で、5年間毎日いやになるほど経験した感触であったが、そんなことでも、人間てその期間が終るやいなや結構忘れてしまうものなのだ。なんでオムツの夢なんて見たのだろうと考えるうちに思い出した事は、夢の中の「こんなにおむつが濡れているならもっと早く取り替えてやればよかった。」という気持ちだった。そして、それを思い出した途端に、シングルマザーの働きながらの子育てで、いつも十分な事がしてやれなかったという、その頃の申し訳ない気持ちがいっぺんに蘇ってきた。
こうやって夢でもみなければ、たくさんのこうした感覚や味や匂いや雰囲気やその時の自分の気持ち等を忘れていくのだろう。特に子供はどんどん成長して声、言葉使い、身体の大きさ、肌の柔らかさまで日に日に変わって行く。
子供の成長は親にとっては楽しみである。こんな事が出来るようになった、こんなに強くなったと頼もしく思う。でも特に母親は、一ヶ月に一度ぐらいは、自分の子供が何年か前の大きさに戻ってくれて、その小さな身体を抱っこ出来たらな、とも思う。
一日に何度かある二人の子供のとてもくだらない言い争いを、何年も後まで覚えている自信が無くて、この間そっとテープレコーダーで録音した。家族の誰かが言った面白い言葉や出来事は「ファニーブック」というノートに日付けと共に記録している。写真やビデオも機会があるごとに撮っている。でも匂いと感触はとっておけない。毎朝梳かしてあげる娘の髪の手触り、まだ腕相撲は私に負ける11才の息子の腕、朝方私のベッドに娘が潜り込んで来る時の柔らかい匂いとモゾモゾする感じ、そんな、今は当たり前の生活の感触を自分の身体にしっかり記憶させたい。子供が大きくなった時、そんな小さなことを思い出すと同時に、今の幸せな気持ちを一緒に思い出すだろう。心の中の宝箱を、時々開けては微笑むだろう。
7才の娘と手をつなぎながら、止める事の出来ない今のこの瞬間がとても貴重な時間なんだと実感する。自分の手に「この小さな柔らかい感触を覚えていてよ。」とお願いして、娘の手をぎゅっと握った。
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