痴呆の恐怖
川端八重子
若い頃より私は旅行が好きで、高血圧の持病がありましたが、夫は好きな地方めぐりに行かせてくれました。私の学校時代は中国の孔子のことわざに“50にして天命を知る”と50才平均の寿命と思って居りました。夫は71才で亡くなり、私は思いがけなく本年84才で未だ生きのびて居ります。古い友達は毎年の様に一人また一人と、永遠の旅に出てしまい、皮肉にも人一倍旅好きの私が生き残って居ります。
昨年11月に永遠の旅に未だ出発しないもの3人が久しぶりに会食をいたし、3人にぎやかに語り合っていましたら、40分後また一人の友人が娘さんに連れられて加わりました。「久しぶりねえお元気ですか」と私が視線を合わせて挨拶いたしました。ご返事がないのでもう一回くりかえしましたら付き添いの娘さんが、「実は母は3年前より徐々に痴呆となり今では全く口はきけない」とのこと。食べること歩くことのみですといわれて、トイレは時間を決めて連れていくのだそうです。彼女の夫がリタイアしているので介護していてくれたのですが、昨年の春脳梗塞で急死し、その後娘さんがみて、息子さんも時々会社を休んで面倒を見ている次第ですと、ほんとうに寂しそうに話し、実は本日皆さんのお仲間に入れて頂く目的は母が古い昔の友達に会えばきっと思い出して喜んでくれるのではと担当の医師も勧めてくださったので、少しでも思い出してよくなる糸口が見つかるかも....との由。私は大きな声で彼女の顔を見つめながら「私の名を呼んでみてください」と2回もさけぶように申しましたが、呆然としていて反応はありません。入院退院をくり返したそうですが、アルツハイマー病と外国でははっきり告知がありますが、日本では後継者の関係で医師は老人呆けと申したようです。
彼女は77才、娘さんには幾年か前よりフィアンセが決まっているのですが、娘さんは小学校の教員、彼も同じ学校の教師でとても理解のある人で、母親の家の近くに家を借りて2人で母親の介護をする事を話し合い、時々弟とヘルパーさんをたのんでいるとの事でした。娘さんが、彼女の夫のお墓はこの場所より2 kmくらい離れた山の中腹で皆さんとお参りいたしたいと申しますので、帰りお互いにおしゃべりしながら、ゆっくり歩いて居りましたが、うっかりしていますと、彼女は早足で方向ちがいの方へ行って、娘さんが押さえるようにして、保土ヶ谷の駅まで来ましたが、皆さんにお別れして私は一足お先に帰りました。みんな70才過ぎの老境に入った人ばかり、以前会った時より懐かしい感じはしましたが、何となく暗い思いでした。
1月中旬も過ぎ、大寒を迎えますと、強風が吹き寒さも一層きびしく、風邪の予防と共に呆けの予防を常に心掛け、脳卒中は宿命と思いますが、老人痴呆だけは避けて生きてゆきたいと、毎日の家庭生活で出来るだけ体を動かし、なるべく明るく人とお話し、笑いを忘れないよう一日一日神様、仏様に感謝しながらも、痴呆症の恐怖を感じつつ生きている毎日です。
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