「むすめ」

..................................Takeshi Okai


 私の家内は、現在妊娠7ヶ月の身重の身体である。近頃の私の杞憂は、 家内のお腹の中にいる子供の性別にある。世の中には、 子供が欲しくても授からない方もたくさんいらっしゃるし、 病弱だったり障害を抱えて生まれてくる子供達もいるので、 あまり贅沢を言ってはいけないのは十分承知なのだが、人にはそれぞれ理想というものがある。 ハッキリ言わせていただければ、お腹の中の子供は出来るだけ男の子が良いのである。

 私には、女の子が良く判らないのだ。もし、女の子が生まれたら、 どうやって扱ったら良いものなのかが判らない。周りに女の子がいなかったせいである。 私の家族は男系家族であり、私は男ばかりの3人兄弟で育ち、家の中にいる女性は母一人であったが、 もちろん子供にとって母親は女ではなく「おかあさん」なのである。親戚中も男だらけで、 ひどい所など男ばかりで4人兄弟のところまである。 私の母が3人目の子、 つまり私の弟を身ごもった時、不謹慎にも父は「家はサラリーマンで経済的にも大変だから・・・」 と渋ったそうである。しかし、母は「次は絶対女の子に違いないから。」と頑張って産んだのだが、 3人の中でも一番汚い男の子が出てきてしまった。その時の母の落胆ぶりが容易に想像出来る。 私の最初の子供も男の子であったし、私の弟の子もやはり男である。弟など子供が生まれる前から 「どうせ男に決まっとう。家に女が生まれるわけないやない。」と言っていたが、奴は正しかった。 私の母は孫まで女の子から見放されていて、最近は「男の子の方が良い。」と強がりを言っている。

 そういう訳で、女とは私にとって長い間未知の生物、宇宙人のようなもんであった。 小学校3年生の時に、友人が「昨日ねえちゃんが屁をこいたのが臭かった。」 という話をしているのを聞いて、驚愕のあまり目が点になってしまったものだった。それまで、 女の子は屁をこかないと固く信じていた。 なぜなら、私の母の屁を聞いたことがなっかたからである。 父をはじめ私たち兄弟3人の男どもは、あたり構わずプップと屁をこくのであるが、母親は 「オナラは、おトイレでしなさい。」とかったるい事を言って私たちを叱っていた。 「お母さんはオナラしないの?」と聞くと、「お母さんは、オナラなんかしたことないわよ!」 と答えたのだった。母は幼い私にウソを教えたのである。不正直な母も一役買って、 私の間違った女性観念が形成されていったのであった。

 未知のものに対する恐怖の他にも女の子を恐れる理由がある。男の美学、 ダンディズムの崩壊である。世の男はそれぞれ「男はこうあるべきものだ!」 という理想の男性像を少なからず持っていて、それに近づく為に愚かな見栄も張り、 痩せ我慢もするのである。私の友人達で娘を持った者達は、 ほぼ例外なく私のダンディズムとはかけ離れた情けない男に変貌していく。 まことに嘆かわしい事に娘にメロメロで、男としての毅然たる態度が欠如してしまっている。 私自身、息子が生まれた時、想像以上の可愛さに危うくダンディズムを失いかけたが、 そこは男同士である。無言の諒解とでもいうか、必要以上にデレデレする必要はない。しかし、 男の子でもこれだけ可愛いいのだから女の子だったらもっと可愛いいのではないかと思うと 私の描いているダンディズムを守りきる自信がないのである。娘にメロメロになり、 娘の一挙一動にうろたえるような男へと堕落してしまうのだ。私は、 そんな自分を見たくないのである。

 ダンディズムの崩壊以上に恐ろしいのが娘の父親いじめである。小さい頃は 「お父さんと一緒にお風呂に入る!」とか「お父さんと一緒じゃなきゃ寝ない!」 などと父親をとろけさせるようなことを言い、極めつけに 「大きくなったらお父さんのお嫁さんになる。」 などと父親が歓喜の涙を流しむせび泣くようなことまで言っておいて ティーンエイジャーになるとコロッと手のひらを返したようにお父さん嫌いになる。 ホルモンのせいかティーンエイジャーの女の子ほど理解に苦しむ生き物はいない。 私の権威ある個人的リサーチによると、この年頃になると父親の中に男を意識するのか、 「お父さん臭い!」とか「お父さん汚い!」などという暴言を平気で吐いたりするらしい。 仕事で疲れた父がチョット気を抜いた瞬間にうっかり娘の前で放屁でもしようものなら、 まるで汚いものを見るような目で父親を蔑み、しばらくは口をきく事さえ拒絶するという。 なんという酷い仕打ちであろう。「おまえの身体の細胞の半分は、わしのDNAで作られているんだぞ! わしが臭くて汚いオヤジなら、おまえの半分は臭くて汚いオヤジじゃ!」と叫んでやりたい。 ある方のお話によると「臭い、汚い」などはまだまだ序の口で 「お父さんの下着と私の下着を一緒に洗わないで!」とか「お父さんと一緒の鍋はつつきたくない。」 などという悲しい事まで言うそうだ。 終いには、 洗濯物の中に父親の下着を見つけると鼻を手でつまみ箸で父の下着を摘まみ出しごみ箱に投げ棄てる馬鹿な娘もいるという。 こうなるとダンディズムどころではない家族の崩壊である。 「あの可愛いかった娘はどこに行ってしまったんだろう?」夜空に向かってそう問いかけるのである。 会社ではどんなに偉くても家では娘に怯え、ただただ嵐が通り過ぎるのを待つがごと如く、 ジッと我慢していなければならないのである。こんな理不尽な話はない。 お父さんは娘の幸せを思って、嫌な事も我慢して毎日一生懸命働いているのに世の中には感謝の心を持つどころか 父親を動物以下に扱う娘がいるのだ。それでは、余りにもお父さんが可哀想である。

 私の家内などは、私の心配をよそに「結婚しても家に戻って来てくれるのは娘よ。 病気になった時に本当に親身になって看病してくれるのは娘なんだからね。 お父さんが嫌われないようにオナラしたり鼻糞ほじったりしなきゃいいんじゃない。」 と言う。「屁をここうが、鼻糞をほじろうが、ここはわしの家じゃ。ホットケ!」と思う。 よく考えれば家内も元「ティーンエイジャーの娘」である。奴等の仲間なのだ。 道理で娘をかばう様な事を言う。油断ならない。「私は父親に酷い事などしたことはない。 良い娘だった。」と言っているが本当の所はどうだか判ったもんじゃない。今度、 義父さんとじっくりヒザを交えてそこの所を聞いておく必要があるかもしれない。 私が娘を持ちたくない一番の理由は、実は可愛いい娘をどこの馬の骨とも判らない男に カッ拐っていかれる時の苦しみを味わいたくないのだ。 私も家内を嫁にもらったが、 自分の事をたな棚に上げてしまうのが人間というものだ。理屈ではない感情の問題である。 たとえティーンエイジャーの時どんなに大きな嵐が吹き荒れようが娘はやはり愛しい。 大事に育てた娘に近づくオオカミがいれば、それを退治するのが父親の役目ではないか。 年頃になった娘に電話をかけてきたり、付け文をするような男は断固として排除しなければならない。 不純異性交友は、父親としては絶対許せないことである。家内は「そんな事言っていると、 余計娘に嫌われるわよ。」と言う。家内は娘を持つ父の心などまったく理解していないようだ。 このような者に娘の教育を任すことは甚だ危険な事かもしれない。

 娘が結婚相手を家に連れて来ても良い顔なんて出来ない。 私もされたように一度ぐらいはスッポカシを食らわせてやるのが当たり前だ。 たとえどんなに良い男を連れて来ても私は決して嬉しくない。 「彼はどことなくお父さんに似ているから好きになったの。」 などと言って私を丸め込もうとしてもムダである。 そんな見えす透いた手にはだまされない。 私はそんな男とはちっとも似ていない。 それに第一ティーンエイジャーの時、 あれだけ人のことを臭いだの汚いなどと言ったその同じ口でそんな事を言われて信じる方がどうかしている。 しかし、結局のところ母親と娘がグルになって父親を押し切るのだ。その上、 アメリカでは花嫁の父が結婚式の費用を出さなければいけないらしい。 どうしてだ! 冗談じゃないぞ! 何で、ちっとも好きでない男に娘をくれてやるのに、 その不愉快な式の費用を父が払わなければいけないのだ。私は断固として拒否してやるのだ。 「しも、娘が欲しけりゃ、結婚式の費用ぐらい自分で払えるようになってから顔を洗って出直して来やがれ!」 と一喝してやる。

 少し興奮しすぎて、取り乱してしまった。もう皆さんもよくお判りであろう。まだ、 娘もいないうちからこれだけ、うろたえ取り乱しているようでは、 とても女の子を育てていく自信がない。見苦しいかぎりである。もしも、 私がメロメロになって娘を連れて歩いている姿を街でみかけた時は、 どうか温かい目で見守ってやっていだだきたい。そして、娘をお持ちの父親の方は、 正しい心構えを私にご指導していただきたいのである。 ついうっかり可愛いい女の子を抱いている姿などを想像している自分をいましめながら、 神様に「どうぞ男の子をお授けください。」と祈るのである。

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