..................................武島 美香
Bostonに単身赴任している夫は、月に一度我が家に立ち寄る。たいがい金曜の夜遅く、
もしくは土曜日に帰って来て日曜のred eyeで飛び発つという慌ただしさ、
「素泊まりだったら来ないでよね」とつかの間しか一緒に過ごせない淋しさを憎まれ口でごまかす。
たった二晩女になったって....私のオヤジ化は止められない。
いつの頃からか定かではないけれど、私はオヤジ化してきたのだ。
40を過ぎてオバサンになってきたからか、オバサン=オヤジなのか分からないが、
天下無敵の私なのだ。夫という異性のいない家の中は、少々無様な格好をしたって、
信じられない行動をしたってだれもとがめる者のいない、見物客の去った後の動物園のような物、
でもホントーはとがめる者はいる。子供たち、特に14才と15才の男の子二人にとっては「オヤジだぜ」
と言わせる私らしい。晩酌をする。テーブルに足を上げてソファーにどっかりと腰を沈め、
大笑いしながらテレビを見る。オナラがでたって平気。「ママー!」
と非難の声を浴びる私だって内心じゃあ少し恥じている。でもこの解放感、
何も気にしないでいられる快適さ、いや、開き直りを覚えてしまったら、子供たちの
「ママー、それじゃあオヤジだよ」という声だって脂肪のついた体がはね返してしまう。
「ご主人がいないとお父さんの役目もしなきゃいけないから大変でしょう?」と人に聞かれて
「うーん、まあ」と答えながら、実際、母親の役目、父親の役割と区別があるのかなと考える。
子供たちに向き合う時、私は私で向き合っている。女という性が言わせる言葉もあるかも知れないけど、
それは「母親」などと自覚して言うのではない。やっぱりあるがままの私なのだ。
思春期を迎えた息子二人は私にいろいろなテーマを与えてくれる。
音楽の話や映画の話をしても一緒に楽しめる年頃になった。「性」についての話もする。
万事につけopenで、無論子供たちは私に秘密もあるだろうけれど、
それでもよく話しているほうではないだろうか。異性やsexの事、友人のこと、
普段から話しやすい間柄でいたいと思う。
子供が本当に困ったとき、他の誰よりも相談にのってやれる状態を作っておきたいとおもうから....
子供が親に警戒心をもったなら子供は何も打ち明けてはくれない。
夏休みのある夜更け、こんな会話があった。
「ママ、僕の先輩がねgirl friendとベッドのなかにいたんだよ。そしたらお母さんが帰ってきて、
その時は何にも言わないで、黙って出ていっちゃったんだって。でも後で凄く怒られたんだって、
ねえ、これって怒られることなの?」....... 難しい質問だなと思った。
「好きな女の子とそうなるって事は、自然じゃないの、それはいけない事なの?」
という素朴な質問が彼らにはあるのだろう。頭ごなしに「そんなのぜったいだめよ!」
と否定しても答えにならないだろう。
私は、私が育ってきた環境や育てられた間に受けた親の性にたいする考え方をそのままに子供に与えることはできない。
全てにおいて事の善し悪し、考え方、捉え方、親である私は迷いながらもちゃんとした意見をもって
彼らにのぞんでやらねばならないだろう。十代の彼らはいつもこんな時はどうするのか、
どうすればいいのかと、自分の欲望や好奇心に挟まれながら判断をくださなければならないだろう。
その繰り返しの中で成長する。だからできるだけ判断を誤ることのないよう道しるべをつけてやる事、
一緒に考えてやることが私の務めなのかなと思ったりする。
今を生きる子供たちと今までを生きてきた自分とのギャップをどう埋めてゆくかも
これからのテーマだろう。
滅多にいない父親は、仕方のない事ながら子供たちの生活のほとんどを知らないだろう。
でも息子たちの中に魅力ある男として存在する事を彼等の口から聞く時、私は嬉しいと思う。
オヤジと呼ばれても、生き生きとした人間である私が彼等の前にいられたらいいなと思う。
息子の部屋に入っていったら、長々と寝そべって長電話をしていた。「何やってんのよ!」
と足でこずいたら、「今ね、内の家畜がきた」と友達に言っていた。家畜だって!....
遠いところで頑張っている夫、3人の息子、娘、犬、猫、金魚との生活、忙しい中で
「人間死ぬその日までがんばらなくちゃあ」とつぶやく私だ。
焼肉屋さん行ったらビールのびんがどんと置かれた。On the houseだって.....
お鮨屋さんのカウンターでおつまみのサービスをもらいながら、女友達とグラスを傾ける。
これってほとんどオヤジよね.......でもいいじゃない大人なんだもの。
だけどこれからは少し気をつけます。美しい?女ってことを忘れないように。だから、
「オヤジって呼ばないで!!」
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