夏最後の大型連休という事もあって、4、5件かけた大手のレンタカー会社も、行く先のアルゴンキンパークの中の宿泊施設も、Sold out。やっと借りる事ができたこのステーションワゴンで、不安と期待の入り交じった気持ちの中走り出す。
「とにかく、アルゴンキンパークは、すごいところらしい」この情報だけで、私は動いたのだ。カリフォルニアから、主婦である私が一人で参加というのは大冒険であった。英語はちゃんと通じるのか、主人はウンと言うだろうか。といろいろ考え、結局思い切って聞いてみたところお許しが出た。ところが、自分の中ではとても不安だった。
ガイドブックで読んでみると、トロントの北に位置するオンタリオ州立アルゴンキンパークは自然の宝庫らしい。7600平方?の広大な森、そしてたくさんの湖、その湖や池をむすぶ無数のカヌールート。自然の中で、キャンプもした事のない私がこんな自然の中に入って、本当に大丈夫なのだろうか。そんな不安のもと、レッドアイ(飛行機の中で一泊)の便で、トロントに到着。
着いて数日は、市内観光と隣町キングストンへ電車で日帰り旅行をした。アルゴンキンパークへ向かう車の中ではその時の思い出話で盛り上がっていたが、内心はこの先の宿泊先を決めていない事の心配と、反対に行き当たりばったりの旅の醍醐味を味わっていた。しばらく走ると大都会のトロントのビル群を抜け、荒涼としたどこまでも続く北の大地の中へと入っていった。途中道路の脇にふさふさとした毛を体に巻き付けた小さな動物たちの死骸をたくさん見て、複雑な気持ちだったが、たくさんの手付かずの自然の状態を見ていくうちに、3人は緊張と興奮の中へ吸い込まれていった。
一日目は、404号を北に向かい、シムコウ湖を通り過ぎ、途中無数にある湖のほとりにあるポートスタントンという小さな町のモーテルにやっと一泊目の宿がとれた。この湖も鏡のようにまわりの森を映し出し、静けさの中に鳥の声や森の音が聞ける素晴らしいところであった。一週間やそれ以上の宿泊をするのが定番らしい。宿泊施設も宿泊者がシーツや枕カバーを持ち込んでベッドメイキングをやる代わりに宿賃を安くするというタイプのものもあり、一泊のみの私達は断られるだけでなく、何をしに来たのかと内心思われたに違いない。街の人達は皆フレンドリーでやさしく、日本でいう近所のおばちゃんみたいな人が多かった。
二日目は、さらに北へ向かいアルゴンキンパークに一番近い街ハインツビルにはいる。街の中を通り過ぎ、いよいよアルゴンキンパークへ。ゲートを通り過ぎると、別世界が待ち受けていた。さとうかえでが色づき始め、木々の萌え出した美しい森の世界だった。それを切り刻んだ唯一の舗装道路ハイウェイ60号を今走っている。パーク全体にほとんど人間の手が加わっていないので、舗装道路もこの公園には、これしか通っていない。
160キロという長さのこの道路は、この中では小さい道の一本にすぎないが、自然のままに残したこの公園の最大の自然破壊の一つらしい。ムースに注意!の標識が見えた。野生のムースに会えるかもしれないなんて感動的である。私達は窓を開け、新鮮な空気を吸った。
パーク内に一つだけあるホテルは、そこだけ人間の世界という雰囲気のホテルであった。何もかも揃い、サービスも一流、もちろん宿泊料金も一流。他にはキャンプ場があるだけである。そのキャンプ場も2種類あり、オートキャンプできるタイプと、カヌーでしか行けないキャンプ場である。オートキャンプできるタイプには、まわりに簡易トイレやシャワー、事務所などの設備があり、このハイウェイ60号沿いにしかない。カヌーでしか行けないキャンプ場は、湖のほとりにいくつか作られたもので、木を多少切り開いてはあるものの対岸から見てもほとんど分からないほどである。管理事務所のある湖を除いては、ボートなどの乗り降りに使う桟橋らしきものは一切ない。そのためか景観は何も手をつけていない湖の景観そのものであった。トイレは深く掘った穴に木枠と蓋が付いている極簡単なものが、各キャンプサイトの奥に作られている。シャワーはない。
この日はホテル以外は、いっぱいだった。しかし、3人ともパークの近くのモーテルを探すことで一致した。ハイウェイ60号を戻る途中、1時間ぐらいでまわれるHardwood Lookout Trailを歩いた。パーク内のトレイルには全て入口に無料の小冊子が用意されており、ポイント毎に見所や、そこで見られる植物、動物の説明が書かれている。木洩れ日のなかで松や杉をはじめとする針葉樹林や、いろんな種類の楓を堪能した。
パークを出て間もない所にある湖のほとりに立つコテージに宿がとれた。このコテージから見る湖もまた、静まりかえった幻想的な湖であった。朝、散歩の途中に霧が森と湖を包みはじめたころ、キツツキを2メートルぐらいの距離で見た。白地に黒いストライプの模様があり、頭には赤い班点がある、手のひらより少し大きいサイズ。Downy Woodpeckerだろうか。湖を見ながら朝食をとった後、さっそくパーク内に戻る。
管理事務所Portage
Storeに行って聞いてみると、前日までがピークのようで、がら空きであった。
その日から締めるキャンプサイトまであるらしい。最後の2泊となるわけだが、たった2泊でもパーク内でキャンプできることに3人とも満足であった。カヌー・ライフベスト・テント・ストーブ・食事セットなど必要なものを借りて、そこから車で10分ぐらいのCanisbay Campgroundに行く予定であった。ところが問題が勃発。カヌーを車に乗せることができないのだ。アルミ製で50lbを越える重さも女性2人で運べると思った。Portage Storeのスタッフの女性は一人でも簡単に運んでいた。スタッフも手伝ってくれないので、2人でふらふらとカヌーを持ち上げ、車までは運んだものの、今度は車の上のキャリアに乗せる事ができない。2人はバランスを崩し、あわや車に激突する直前に、近くにいたカップルが見るに見かねて助けてくれた。男性のほうがスタッフを呼んできてくれ、なにやら私達の代わりに交渉してくれている。スタッフもブツブツ言いながらカヌーの乗せ方、紐の結び方、運転の仕方などを早口でまくしたて、チップを渡すとさっさと戻っていった。からだ中砂だらけになりながら、3人は今後の不安を隠し切れなかった。
Canisbay Campgroundには着けたものの、その日にカヌーを漕ぐ元気はすでになかった。テントを張ったり食事を用意していたら、あっという間に日が暮れてしまった。周りを散策すると、歩いてすぐ湖があり、旅行者のピークを過ぎた次の日ということもあり、太古の昔に舞い戻ったかと思うほど辺りはシンとしていた。そのキャンプグラウンドでは、その日私達だけであった。テントで寝ていると、風で楓の葉がゆれる音が子守り歌となって、熟睡することができた。
次の日、木の上で何羽ものBlue
Jayが見守るなか、朝食を簡単にすませ、カヌーを砂浜にだし、全員初心者のカヌー漕ぎが始まった。何とかカヌーには乗れたものの砂浜にカヌーがめり込んで漕いでも漕いでも先に進まない。ちょうどそこに別のカップルが車でやってきて、私達を足で押してくれた。
やっと湖に出た私達は、漕ぎ方も知らないまま漕ぎ出した。前に進まない。ジグザグに進み、少し前に進むだけでとてつもない時間がかかる。そうこうしているうちに冷え込んできてトイレに行きたくなってしまった。とにかく近くのサイトにつけようと思うのだが、風が強く、岸までついてもすぐ流されてしまう。何回トライしてもだめであった。カヌーから落ちなかっただけラッキーであった。私達の後ろをすごいスピードで通り過ぎていく先ほどのカップルがいた。犬も乗っている。私達は、風で漕いでも漕いでも行きたいところにつけず、気が付くとカップルの泊まっているサイトまで流されていた。私達の一人が、突然「トイレはどこか」と聞いた。相手もびっくりしていたが、となりのサイトに行けと、言っているようだ。一生懸命漕いでも風が強くて、となりにも行けない。しまいには流木に引っかかり、にっちもさっちもいかなくなってしまった。カップルの男性のほうが叫びながら漕ぎ方を教えてくれている。なんとか言う通りにして流木からは逃れたものの、トイレの我慢のほうがどうにもならなくなっていた。その男性は状況を察知してくれて、自分の靴が湖の中に入ってまで、私達のカヌーを引き寄せてくれ、さらにトイレまで貸してくれた。なんとも一生忘れられない思い出になってしまったのである。カヌーを漕ぎ出す時も、後ろの人間が舵を取るんだと、事細かに漕ぎ方を指導してくれて、お礼のしようもないくらい感謝の気持ちでいっぱいになった。
それからは、水を得た魚のようにスイスイと漕ぐことができ、湖を一周することもできた。60代を越えた知り合いの母上は、「この年でテントに泊まったりカヌーを漕ぐとは思わなかったねえ」と、苦笑いしていた。サイトに戻った時は既に日も暮れかかっていた。そのキャンプグラウンドは、その日で締めるといっていたので、何とか別のサイトに行こうと、慌ててテントをたたんで砂浜まで来たが、すっかり日も暮れてきたので、本当はキャンプサイトとして作られていない、砂浜の裏の駐車場にテントを急きょ張ることにした。夕食の最中に、レンジャーの人が見まわりに来て、追い出されそうになるが、事情を説明したら何とかその日はそこでキャンプしても良いとのお許しが出た。
その日の夜、湯沸かしのポットだけを机の上に置き忘れていた。寝入りに楓の子守り歌を聞きはじめたころ、ポットの落ちる音と引きずる音が聞こえた。その少しあと頭の真上で足音がする。即座に起き上がり声をだし音を立てた。テントの外を懐中電灯で照らしてみると何もいない。ちょうどその時レンジャーの人が車で通り過ぎた。ゆっくりと走り過ぎ、何もなかったかのようにまた楓の揺れる音だけが残った。知り合いも同じように何かの音を聞いている。3人とも恐くてテントで寝れなくなってしまったので、結局車で寝ることにした。空を見ると180度といって良いほど星で埋め尽くされていた。木と木の間に星を見たり、銀河のように星の塊を見たのは初めてのことである。よほど空気が澄んでいるのだろう。ひとときの感激であった。
朝になり、からだの節々が痛むなか外に出てみると、ごみ箱の下に糞が落ちていた。猫のような小動物らしい。砂浜にでてみると、そこらじゅうに二爪の動物の足跡が残っていた。熊だと思って大騒ぎしたが、どうやら狼だったらしい。そう言えば前の晩、狼の遠吠えか鹿の鳴き声かどっちだろうと、話していたのだ。なんとも大自然のスリリングな体験であった。帰る途中ハイウェイ60号でムースを見て、その優しい目に昨晩の恐怖も吹き飛んでしまった。4日間で880キロという大走破だったが、自然の中では、人間はなんとちっぽけなんだろうと痛感した旅であった。
二日後に、トロントに住む友人にその話をしたところ、ちょうど2週間前にアルゴンキン近辺で熊に少年が襲われて、テントの外に引きずり出されたが、レンジャーが来て助かったというニュースがあったという話を聞いて、更にゾッとしたのであった。