親愛なるMさまへ...............................................桧木 陽子

 

素敵な素敵なお手紙を有難うございました。

12月、寒い日本で初めてMさまにお会いしたのは、Mさまのお姉さまの葬儀の日でございましたね。あの時、私も主人も本当に驚きました。Mさまがあまりにもお姉さまにそっくりだったのですもの。4年と8ヶ月前、私が初めてお姉さまにお会いした時、お姉さまはすでに80に手が届くというお年にもかかわらず、凛とした気品を備えた美しい方でした。

お姉さまのお若いころの写真は往年の女優・高峰三枝子さんを彷彿とさせる面影で、驚かされました。ひょんなご縁で私がお姉さまのご病気のお世話をさせていただく事になり、私にとりまして、この事が私自身の誠に貴重な、そして忘れる事のできない大切な大切な思い出となりました。

Mさまのお手紙にありますように、「人生のめぐり会いは、その人の運命」だったのでございましょうか?

私には若い頃、さんざん親不孝をした母親が日本におりまして、偶然にも私の母とお姉さまは生まれ年も、月も全く同じという、なにか運命的といえる出会いでございました。私は母に何もしてあげられぬまま、アメリカに永住するはめになり、はじめはとても無理と思えたお姉さまの看護のお仕事をすることになりました。48ヶ月の毎日は看護に関するいろいろな知識を学ぶ日々になり、お姉さまを母におきかえさせて頂き、親孝行の真似事をすることに・・・。

そして、そんな私を見て母を喜ばすことにも・・・。Mさま、そんな訳ですのでお礼を申し上げたいのはむしろ私の方なのでございます。本当に得難い経験をさせて頂きましたこと、心より感謝し、御礼申し上げます。

Mさまにもお渡ししましたが、お姉さまと一緒に歌った日本の歌のかずかずをレコードしたテープを聞きながら、いろいろあった出来事を思い出している今日この頃の私でございます。

カリフォルニアで亡くなりましたお姉さまのお骨を、Mさまとご一緒に日本の鎌倉霊園に納骨いたしましたが、あのあと、私と主人は日本を発つ前もう一度、鎌倉霊園に参りました。実は私の父の墓も鎌倉霊園にあるのです。ついで参りはダメと知りつつ、お姉さまの墓前にも参拝することにさせていただきました。

 

謹んでお姉さまのご冥福をお祈り申し上げております。