ゴールデン・ゲイト・ブリッジ..................................リード 恵津

 

   昨年の春、私達夫婦は何十年も住んだ日本を引き揚げ、カリフォルニアにまいりました。サンフランシスコの最北端にあるゴールデン・ゲイト・ブリッジを北へ約15分のぼった所に、レッドウッド(アメリカ杉)の多い森の町ミルヴァレーがあり、そこに落ち着きました。

  サンフランシスコにはよく用事で出かけますので、この橋をいつも通っております。名はゴールデンでも、色は金色でなく、渋い赤です。雨の降らない日には、多くの観光客が風当りの強い歩道を歩いています。 

1937年に完成したこの橋は昨年で60才。橋を通りながら、60年前に出来たと聞き、思わず「まあー、そんなに古いのー!」と云った後、ハッと自分達の年齢より若いのに気づき、「私達も年とったのねぇー」と夫につぶやき、フッーと息を出しました。

  思い返せば私が一番最初に見たアメリカがこの橋なのです。19528月に東部の大学に留学のため渡米した時、乗っていた船がボーボーと汽笛を鳴らしてゆっくりと橋の下を通って港に着いたのです。横浜を出てから二週間の船旅の終りでした。多くの乗客は甲板に出て橋を見上げていました。それぞれがきっと万感の思いを胸に秘めて。 

その頃は日本より自由に海外に出る事は無理に近い事でした。アメリカに渡るのは珍しい出来事で、親類、友人達が見送りに横浜に来て下さいました。大きな客船を見たいという気持ちもあったのでしょう。テープを沢山なげあって、別れの曲と共に出航するのは実に「お涙もの」でした。当時はジェット機はまだなく、アメリカの軍用機(プロペラの)が日米間を往復していただけです。 

この大きな客船はプレジデント・クリーブランド号で、大分前に廃船となりました。1等は豪華ですが、3等は陰気な大部屋(男女別)です。女部屋には留学生達と、先に帰米した軍人の夫の許に行く戦争花嫁さん達が一緒でした。とてもショックだったのは女性トイレです。それぞれの便器の前に戸がないのです。両側に対立てがあるだけ。後ろ向きで吐いている人。頭を低くして用足しする人。その様な状況に我慢出来ず、私はあちこちを探しまわり、食堂近くに小さい一人用のを見つけました。部屋から遠かったのですが。 

サンフランシスコからは、たった一人の汽車の旅で、日本語はもう使えず緊張しました。淋しく、心細く、アメリカに来た事を悔やみましたが、逆戻りは不可能ですから、頑張る以外に生きる道はなくなりました。楽しみは日本からの便りという生活が始まりましたが、子離れ出来ぬ母の淋しさは深く、ボトボト落ちた涙の跡だらけの手紙を受け取る度にホームシックは強くなったものです。親離れも大変でした。 

その大学町では私だけが日本女性でしたので、あちこちの婦人会等から依頼が来ました。日本文化について話すなんて出来やしないと困りましたが、少しでも日本のよい面を知って欲しいという責任感を持ち、親善大使の一人になったようで肩の荷が重かったです。下手な英語で苦労しました。 留学2年目より英語も大分楽になり勉強に拍車がかかり、ホームシックも治まりました。二年で卒業出来、結婚して米国籍をとりました。

  195811月にハーバードで博士論文にうちこむ夫を残し、2人の幼い男の子達を連れて日本に帰る事になりました。翌年2月に三人目が生まれる予定で実家で世話になることにしたのです。今回はアメリカの教会関係組織からの赴任で1等船客でした。偶然にも来た時と同じ客船で3等との雲泥の差に驚きました。トイレつき個室でよかった事! 3才半と2才直前の子供達の手を握り、ゴールデン・ゲイト・ブリッジを見上げ、夫と一緒でない淋しさと、久しぶりに両親姉妹に逢える期待で胸が一杯でした。6年以上も前に初めてこの橋と対面した時の気持ちも思い出し、感無量で橋を見つめていたのです。渡米の時と同様ホノルルで1日下船しました。ワイキキは相変わらず日本からの観光客は殆ど無く、ホテルもまばらで静かでした。 

横浜には家族と親類が出迎えに来ていました。出迎えの人々は船内に入れましたので船内中ゴタゴタで、エレベーターを上りおりして探しあいです。やっと出会った伯母が次男に「まあー、なんて可愛いんでしょう!」と云いましたら、次男が"Shut-up, you"(お前さん、おだまり)と答え、伯母が「まあ英語がとてもお上手だこと。ねぇー今なんといったの?」と私に聞きました。私はとっさに話題を変えました。

  何十年もの日本滞在中に何度もアメリカに戻りましたが、船旅は二度となく、ゴールデン・ゲイト・ブリッジとはすっかり縁がなくなっていました。一昨年の夏、3週間だけ帰米した時に車でこの橋を渡りました。次の年の引退地を物色に来たのです。不思議な縁でこの橋の近くに落ち着くことになったのが夢のようです。橋は晴れた日も霧深い日も非常に美しいですね。