末の娘が22才でボストンへ行って大学に通うようになったとき、よくまわりの方から言われました。
「娘さんおひとりで海外へ出されて、さぞご心配でしょう。」
「ええ、まあ。」
「どんな注意をされたのですか?」
「はあ、一応レイプされたときの心構えを......」
「えっ。レイプされた時の心構えですか?」
皆さんに笑われてしまいました。
女の子の一人暮らしというと、皆さんは何をご心配されるのでしょうか。
確かに私も三つの事は心配です。一つは、娘が自動車を運転していて事故に巻き込まれること。二つ目は暴漢にナイフで刺されたり銃で撃たれたりすること。三つ目は、レイプされたあと、悲観して自殺されてしまうことです。
しかし、おかげさまで、ボストンは路面電車やバスが充実していて自動車なしで暮らせますので、車の心配は要りません。二つ目の心配は、日本にいても同じことですが、怖がりの娘のことですから滅多なことでは、そんな危険のありそうな場所には近づきませんので、それほど心配することはありません。ただ三つ目は、もしそんなことになったら、純粋で潔癖な末娘のことですから、世をはかなんで死んでしまわないとも限りません。そこで日本を出る前に「たとえレイプされても、それは転んでヒザをすりむいたのとたいして変わらない、肉体的損傷を受けただけのことだから、自分の人生はもう終わりだ......なんて思っちゃいけないよ」とだけ注意をしておきました。
そう言えば「娘が15才になったら、僕が性教育をすることになっているんですよ」と言ったら、「えー、お父さんが娘に性教育ですか?」と言って笑われた事があります。
私の子育ては、娘が15才になる迄と15才以降とにわけて考えていました。15才までは、親として子供を守り育てることに専念する。15才以降は、対等な大人どうしとして付き合うということです。
まず、15才迄の子育ては、次の四つの基本的な考え方でやってきました。
第一は、徹底的なスキンシップです。赤ちゃんの時は勿論、中学、高校に行くようになっても、しょっちゅう抱きしめてスキンシップに努めました。おかげで立派な大人に育った今になっても、嬉しいにつけ、悲しいにつけ親子のスキンシップがあります。
第二は能力の「引き出し」主義です。本人に向いていると思われること、自分から面白がってやることは何でもやらせてみました。スキーやテニス、英会話など私が最初の手ほどきをしてやったものも多いのですが、今ではどれも私のレベルを越えてしまい、親の権威などなくなってしまいました。
第三は「私のようになりなさい」教育です。教育というのはあれをしなさい、これをしなさいと言うのではなく、このように生きて欲しいと思う生き方を親がして見せることだと考えたからです。
第四は、人間づき合いをするということです。どんなに小さな子供であっても一人の人間には違いないので、親として子供に接する以前に「人間と人間」として付き合うよう心がけました。例えば子供が何か問題行動をしたような場合、子供の目線まで低くかがんで「どうしてそんな事をしたの?」とたずねます。そしてその理由が納得いかなければ、何故それをしてはいけないのか説明します。
このようにして、15才になるまでは親の庇護の下に育てるという姿勢をくずさないのですが、娘の15才の誕生日になると私の出番がまわってきます。「性教育」をするのです。
これは子供を作る方法と子供を作らない方法の二つを説明するだけのことなのですが、大切なのはその最後に次のような宣言をすることです。
「今日から、君は立派な大人としてやっていくのだよ。何をして、何をしないかは、君の判断だ。君が一人前の大人としてきちんと判断して決めたことなら僕たちも受け入れるから、十分考えて行動してね。」
しかし、このような育てかたをしてきた結果が、良かったのか悪かったのかはまだまだ分かりません。というのは、それぞれの娘が非常に独立心が強く育ってしまい、長女はオーストリア人と結婚してウィーンに在住して、オペラのプロデューサーになるとかオーストリアと日本の比較文化を本にしてノーベル賞をとるとかいっており、三女はボストンで大学院に通って国際関係法を勉強しており、カンボジアに行ってアジアの国際平和につくしたいとか、世界中の戦争と貧困に虐げられている子供達を報道したいとか言っています。二女だけは大学を出たあと、マスコミ関係の会社に就職して我が家から通勤していますが、これも別に親離れしていないというのではなく、掃除、洗濯、料理人つき借家が気にいっているから家を出て行かないだけのことで、遊びに出かける時などは自分の都合でサッサと行動しています。
そして、「まあ、21世紀までには、可愛い孫を抱かせてあげるよ」という空約束だけが、私たち親に与えられた報酬だというありさまなのです。